特集 (その4)
日本への高まる期待
大慶市の田立英副市長に聞く

大慶市の田立英副市長(右から三人目)は今年春、日本の沖縄県具志川市を訪れた

 石油で有名な大慶市は、ドイツのデッサウ市、カナダのカルガリー市、ロシアのチュメニ市など世界の十数工業都市と姉妹都市の縁組をしている。日本とは、黒竜江省で起こった水害が契機となって、沖縄の具志川市と姉妹都市になる話が本決まりとなった。SARSの発生でこの夏に予定されていた調印式は遅れているが、大慶市の具志川市に寄せる期待は大きい。

 ――どうして具志川市と縁ができたのですか

 黒竜江省は1998年に特大の水害に見舞われました。大慶市も被害を受けたのですが、そのとき、日本の各界から援助をいただきました。とくに沖縄の具志川市からは、義捐金や物資の援助のほかに、慰問のための代表団が派遣されてきました。その後、双方の交流が深まり、双方の市が姉妹都市縁組を望むようになったのです。

 ――日本を訪問したことは

 今年3月末から4月初めにかけて、私が団長となって日本を訪問しました。「中国と具志川市の経済貿易文化の展覧・商談会」に参加するためです。この訪問で双方は理解を深め、多くの方面において互いに優れた点を生かして補い合い、積極的に経済・貿易の往来と協力を発展させるよう希望し、さらに一部の具体的な経済項目で商談が成立しました。

 日本では平沼赳夫経済産業大臣や亀井善之農林水産大臣ともお目にかかることができました。とりわけ嬉しかったことは、早稲田大学の浜田泰三教授と日本医事日報の五十嵐秀夫代表取締役を大慶市の高級経済顧問に招聘できたことです。

 ――具志川市での交流はいかがでしたか

 文化交流の拡大が非常に重要だと思いました。私たちの訪日団には、児童芸術団が同行しました。洋琴(真鍮の弦を叩く楽器)や琵琶、古筝、二胡、笛など7人の小さな演奏者が、日本の子どもたちといっしょに出演し、大きな反響を引き起こしました。11歳になる琵琶奏者の楊躍ちゃんが日本歌謡の『安里屋』を演奏したときには、具志川市の大劇場は拍手喝采に包まれました。舞台が終わると、中日両国の子どもたちは感激の涙を流しあい、互いに抱擁して別れがつらいようでした。

 代表団の一人として加わっていた大慶書画院の前院長である范垂宇さんの版画展も具志川市民に好評でした。具志川市の知念恒男市長は四回も展覧会場に足を運んで参観し、絵を買い上げてくれました。知念市長は「この展覧会は、これまで具志川市が開催した文化展覧会のうち最高水準の一つだ」と評価したのです。

 最後に、日本のみなさまにこの場を借りて、もう一度、感謝の意を申し上げます。これからみなさまが大慶においでになり、観光したり、友人となったり、経済・貿易に投資したりすることを歓迎します。