これは最近、 中国の都会に現れてきた 少年、少女たちの群像である。 彼らはインターネットを操り、 独特の言葉で語り合う。 どんな服を着るか、 どんなグッズを持つか、 それが最大の関心事だ。 他人とは違う自分独自のものを追い求める 日本でいう「新新人類」に近いかもしれない。 そんな彼らを、親たちは理解できない。 むろん彼らが中国の若者のすべてではない。 しかし彼らが、中国社会の中で 一定の比重を占めてきたことは間違いない。 そして彼らは 中国の未来を担う新しい可能性を秘めている。 そんな彼らを理解するために、 彼らの日常生活と精神世界をのぞいてみよう。

 

特集 (その1)
ラジコンに夢を乗せて
ラジコン模型が大好きな紀波萌君。「空中停止王」を自称している

紀波萌君、19歳。北京の高校生。 

 いつのころからか、ラジコン模型にのめり込んだ。さまざまな飛行機や自動車の模型の名前や性能を言わせたら、まるで立て板に水。全部、暗記している。

 いま彼がもっとも熱中しているのはラジコンのヘリコプターである。だが、値段は高い。1万元(約15万円)を超すものさえある。家庭は比較的裕福なのだが、「買ってほしい」という度重なる息子の懇願に、父親は我慢できないのだが、それでも息子の夢を叶えてやっている。

 買ってから数日もしないうちに、紀波萌君はラジコン仲間の中で操縦の名手となった。自ら「空中停止王」と名乗ったほどだ。

 父親はフリーのカメラマンで、仕事は忙しく、子どもといっしょにいる時間はほとんどない。唯一の願いは、学校で息子がまじめに勉強することだった。しかし、息子は大きくなるにつれ、父親の目から見れば「問題」が出てきた。それは勉強に対する興味はあまりなく、外界の新鮮な事物には強い好奇心を示すことだった。

  こんなことを、父親は記憶している。

ラジコン模型の飛行機を組み立てるのは、彼の手にかかると、玩具をつなぎ合わせるように簡単だ

 息子がまだほんの小さいころ、銀行のATM(現金自動預入払出機)に興味を持ったのだ。ある日、ある銀行の行員が父親のところに来て、「お宅の息子さんは、ある日の午後、銀行に何回も出たり入ったりしていますよ」というのである。

 父親が息子にそのわけを尋ねると、こうだった。息子はまず10元を預金して銀行カードを作り、ATM機でその10元を引き出し、それからまた銀行の窓口でそれを預金する。これを繰り返したので、銀行側はおかしいと思ったのだ。

 5、6歳のころ、紀波萌君はローラーブレードに熱中し始めた。当時、北京市内では、これで遊ぶ人はまだ少なかった。数年後、彼は友人たちを引き連れて路上を飛ぶように走り回った。それはなかなか見栄えがする光景で、道行く人たちの目を釘付けにした。

 時には小さな面倒を引き起こすこともあった。あるとき彼はローラーブレードで、赤信号を無視し、交差点を飛ぶように渡ってしまった。これを見た道路脇にいた警官が、オートバイに乗って猛然と追跡した。追いつかれそうになったとき、彼は急旋回して小さな路地に入り込んだ。警察は追いかけるのをあきらめるしかなかった。

 ローラーブレードを通じて、彼は多くの友人たちと知り合った。みな年頃の同じような中学生だった。彼らはいつもインターネット上で雑談した。もっとも多いときには、紀波萌君は22ものチャット用の番号を持っていた。だから一度、インターネットを始めれば、忙しいことこのうえなかった。

ローラーブレードを履いて友だちと語らう紀波萌君(左

 時が経つに連れ、父親は心配し始めた。息子が外で悪いことを学び、間違いをしでかすのではないかと恐れたのである。そこで息子が友達といっしょのところに行ってみたいと何度も提案したが、そのたびに息子に拒絶されてしまった。父親がそばにいては、みんな興醒めになる、というのが息子の拒絶の理由だった。

 そこで父親はよそから探りを入れると、息子は、仲間の中ではローラーブレードで早く走ることができ、技術も高く、「大師兄(兄貴分)」と尊敬されていることが分かった。

 ある日、紀波萌君は父親に「ローラーブレードのクラブに入り、プロの選手を目指して努力する。国際試合にも参加したい」と言い出した。彼の2人の友人もすでにクラブに参加し、そのうちの一人は香港へ行き、試合に参加している、と彼は言った。

 父親はこうした息子の考えを聞いてびっくりした。ローラーブレードは単なる遊びではないか。どうやってプロの選手になれるというのか。そのうえ、プロのスポーツ選手の苦労は大変で、たいていの人は耐え切れない。いい成績をあげられず、学業も遅れてしまったらどうするのだ、と父親は極力反対した。

 結局、紀波萌君の考えは水泡に帰した。だが、仲間たちはローラーブレードのクラブを作ろうとしているので、そのときにはきっと自分も仲間に入れてくれる、と彼は考えている。

 ローラーブレードのプロ選手になるという願いが実現しなかったので、紀波萌君の興味はラジコン模型に転じた。「ラジコン模型がなかったら、ボクは生きていけない」と言うほどのめり込んだが、それでもまだ満足できなかった。

 彼は家から遠くない一軒のラジコン模型店を探して、店の主人に頼んで助手にしてもらった。閑があれば、店の主人を助けて、細かい部品を組み合わせ、飛行機や自動車の模型を組み立てた。

ジムで強靭な肉体をつくることも「新人類」の一つの特徴だ

 日がたつにつれ、彼は、もっと複雑なラジコン模型でも、すばやく組み立てることができるようになった。週末になると彼は、店の主人といっしょに、北京の郊外でそれを飛ばして実演した。

 こうした彼の行動に、父親はなにも異議を唱えなかった。どのみちこの元気いっぱいの若者が、これさえやっていればおとなしくなるのだから、悪いことでもない、と考えたからだ。

 彼は、ラジコン模型の道に深入りするにつれ、将来への希望も変化が生じてきた。高校を卒業してから、ラジコン模型の店を開きたい。そうすればきっとお金をかなり稼げる、と彼は言う。しかし父親は、それに賛成とも反対とも言わず、ただ一笑するのみである。