規制緩和に向かう戸籍制度

                                    文 侯若虹

  「戸口」とはなにか

先祖代々、土地を耕して生きてきた農民たちが、大量に都市に殺到している(newsphoto)

 2002年の夏休み、康計紅さんの12歳になる息子は小学校を卒業した。息子を連れて康さんは河北省石家荘市の第六中学校に出頭したが、従来のようにまず学校に「借読費」を納めることはしないでもよかった。「石家荘城鎮戸口」と印刷された赤い表紙の証明書を取り出して見せたら、息子の入学手続きはすぐに完了した。

 「うちの息子は小学校一年から石家荘市の学校に通い、『借読費』を払って小学校を卒業しました。現在は良くなりました。石家荘市の正式な『戸口』(戸籍)があるので、ことはずっと簡単になり、お金も節約できるようになったのです」と康さんは言った。

 長い間、中国人の戸籍は「農業戸籍」と「非農業戸籍」と分けられてきた。都市に居住する人々は非農業戸籍(都市戸籍)をもち、教育、就職、医療、社会保障などの面で多くの優遇条件が得られるよう国が規定している。一方、農民は農業戸籍を持ち、勝手に都市に転居することはできず、都市の中で各種の福祉を受けることはできない。また、農民の子供はどこで生まれようとも、農業戸籍しか持てない。

 康さんが払ってきた「借読費」とは、農業戸籍の子供が都市の学校に通うときに納めなければならない費用である。康さんの故郷は河北省の農村だが、河北省の省都である石家荘にある河北省長城実業総公司の社員として十数年も働いてきた。だが、2001年まで、戸籍はずっと農業戸籍であった。

 2001年に石家荘市が戸籍管理の改革を行い、市街区部への農業戸籍の流入制限を全面的に取り消した後、彼をはじめ多くの「農民合同工」(農村から都市に出稼ぎに来た契約労働者)は、やっと戸籍の問題を解決することができた。康さんは、奥さんと子供と自分の戸籍を、農村から石家荘市に移すことができたのである。

 「借読費」のほかにも、都市で暮らす農業戸籍の人や外から来た人に対して、さまざまな規定や手続きがあった。たとえば「暫定居住証」が必要であり、外来人口の管理費や都市の人口収容費などを納めなければならない。こうした規定や手続きは、すべて中国の戸籍管理制度にその源がある。

 中国の戸籍制度が持つ主な社会的機能は、公民としての身分を証明すること、社会の治安を維持すること、戸籍の移転を規制することである。後になって、需要が大きいが十分に供給できない生活必需品を戸籍によって一定量、配給することなど、他の機能も追加された。たとえば、食糧や食用油などは、配給切符で定められた量を配給する方法が採用された。同時に、就職、住宅、教育や社会福祉など公民の権利と利益も、戸籍とリンクしている。これはみな、計画経済時代の産物である。

 長期にわたり戸籍管理部門は、農業戸籍から非農業戸籍に転換することを厳しく制限してきた。「農転非」(農業戸籍を非農業戸籍に転換すること)は、農村で生まれ育ってきた多くの人々がずっと、夢に見てきたことである。

戸籍制度の変遷

多くの都市では、外から来たの人は「暫定居住証」が必要だ。派出所の警官に相談する人も多い(newsphoto)

中国政府の戸籍管理に対する変化は、新しい中国社会の変化の過程を現している。

 1958年以前は、戸籍の主な役割は、一個人の存在を証拠することであり、人々は自由に移動することができた。

 1958年、全国人民代表大会(全人代)は『中華人民共和国戸口登記条例』を公布した。これが、戸籍の移転を拘束する最初の規制である。この条例は、戸籍を農業戸籍と非農業戸籍に厳格に分け、農業戸籍の人が都市に転入することを規制した。これまでずっと住んでいる人たちを主体とし、人口移動を厳しく規制することを基本的原則として確立したのである。

 こうした管理規定ができたのには、二つの原因がある。一つは社会の安定のためであり、もう一つは供給が不足していた当時の経済状況に適応するためであった。しかし、農村の学生が都市に来て大学に進学することや、大学卒業後、都市での仕事を割り当てられること、また、都市間の正常な転職などによる人口移動は許されていた。

 そして1977年前後に、社会はまた新しい問題に直面した。「文革」中に農村の人民公社の生産隊に入って定住した多くの知識青年たちが、都市に戻ってきたし、一部の農民たちも都市に仕事を探しに出てきた。しかし、国の経済状況は依然として良くなかったので、社会の安定と逼迫した商品の供給を維持するために、公安部は戸籍移転を規制する規定を公布し、かなり多くの細則を制定した。

 たとえば、農業戸籍の人と都市戸籍の人が結婚した場合、その子供は母親の戸籍に入る。そればかりでなく農村から都市へ、小都市から大都市への戸籍移転も厳しく禁じられた。

 1980年代の初め、農村は、生産請負制によって生産性が向上した。それにより、多くの農村余剰労働力が、就業の機会を見つけるため都市に殺到してきた。このため、1984年に国は、人口移動をやや緩和した法律を公布し、農民が県の下にある行政単位の「郷」や「鎮」に移住することができるようになった。

 だが、この政策は農民にとってあまり魅力がなかった。なぜなら「郷」や「鎮」では、仕事にありつける労働市場でのチャンスはきわめて少ないからであり、農民にとっては、都市は依然、魅力に満ちていた。都市への出稼ぎブームが起こり、このため国はまた『都市における人口管理の暫定規則』を制定し、都市に流入してくる農村人口は暫定居住の登記が要求されるようになった。 

戸籍改革の大きな流れ

若者にとって大都市で働くことは、自分の運命を変えるスタートになるかもしれない(newsphoto)

 市場経済が不断に発展し、都市の労働力需要が日増しに膨大するのに伴って、人口の合理的な流動は、もはや拒むことのできない一つの潮流となっている。ますます多くの農民が、遠く故郷を離れ、都市に来て、工業や商業に従事している。中小都市の若者たちは大都市に殺到し、自己の生存と発展を計ろうとしている。公安部と専門家の推定によると、現在、中国の流動人口は1億1000万人に達し、その中の5000万人以上が都市の暫定居住人口として登録されている。

 こうした状況の下では、従来の戸籍管理制度はすでに多くの弊害が出てきた。それは公民を人為的に都市戸籍と農業戸籍に分け、同じ公民でも戸籍が異なれば享受する待遇が違っている。戸籍の移転制限は、実際は労働力や人材の自由な流動を制限しており、都市の発展と農村の都市化の進行を阻害し、農村の発展や農民の収入の増加にも悪い影響を与えている。

 流動人口となって出稼ぎに行く時には、勇気と技能が必要であるばかりでなく、さまざまな名称の証明書をそろえ、持っていかなければならない。たとえば、暫定居住証を発行してもらい、「外来人口管理費」などを納めなければならない。

 さらに、多くの大中都市では、こうした流動人口は、さまざまな制限や不公平な待遇を受けている。たとえば、都市戸籍のない人は「経済適用房」という格安な住宅を買うことができず、もっと多くの金を払ってずっと高い「商品房」という売買できる住宅を買うしかない。多くの職場や企業が所在する都市の戸籍を持っていることを求人の条件としているため、それが外から流入してくる求職者にとってハードルとなり、多くの若者たちはこの壁にぶつかっている。都市と農村に分かれて暮らしている若い夫婦が、都市戸籍を取得する条件を得るには、数年間も順番を待たなければならない。子供が、住んでいる都市の戸籍ではない場合、幼稚園や学校に上がるには、その市の市民なら払わなくてよい「協賛費」や「借読費」などの多くの費用を納めなければならない。

 この数年、中国の安徽、江蘇、浙江、山東、河南、河北、四川などの省では、社会発展のニーズに応じて、戸籍制度改革の措置が相次いで講じられ、その地方の具体的な情勢に基づいて、さまざまなやり方で、農民が都市に来て都市戸籍を取得できるよう、制限を緩和した。

 一部の省の中小都市では、「農転非」の指標となっている制限を取り消した。これは、農民でも、居住している都市での合法的で定まった住所や安定した職業、生活の収入源があれば、あるいはその都市に居住して一定年限に達すれば、その中小都市の都市戸籍への転換を申請することができる。

 一部の大都市でも、たとえば、河北省の省都・石家荘市では、市内の戸籍の制限を全面的に緩和したため、冒頭に出てきた康計紅さんのような多くの出稼ぎの人々は都市に戸籍を持つという夢が叶った。

 この改革が実施されてから最初の年に、36万の農民と外から来た人が、石家荘市の戸籍を取得した。瀋陽市は「暫定居住証」の制度そのものを廃止し、外から来て人たちからいかなる管理費用も徴収しないようになった。

 北京のような超大都市は、すでに人口の負担が非常に重いが、それでも一定の改革措置を打ち出した。近年来、北京市では、郊外に多くの近代的な小都市が建設されたが、民間企業が外から来てここに投資した場合は、本人と親族がその地の戸籍をもらえるようになった。

多くの人にとって、大学に入ることは移動の第一歩である(newsphoto)

 2002年の全人代で、広東省の陳麗トン代表が提案者となり、正式に『公民の移住の自由の権利を早期に憲法修正案に書き込む提案』を議題として提出した。

 この議案は、移動の自由の権利を憲法で認め、戸籍の審査許可制を移動登録制に改め、司法審査の方式を通じて戸籍制度の改革を推し進めようと提案している。

 40年間余りに中国の都市と農村の間に横たわってきた戸籍という垣根が、経済と社会の変化に伴って打破される望みが出てきた。しかし、戸籍制度の改革は一つの系統的なプロジェクトなので、現在行われている戸籍の移転の規制緩和は、改革の第一歩に過ぎない。これからさまざまな関連制度の改革をワンセットとして進めなければならない。

移住の自由をどう実現するか

 中国人民公安大学治安学部の王太元教授はこう指摘している。

 「改革は戸籍をなくすではなく、人口移動の方式を根本から変えることなのです。現在の行政的なコントロールを主とするやり方を経済的なコントロールを主とするやり方に転換し、国は法律を制定し、社会は経済的にコントロールされ、個人は自主的に選択するという人口移動の新しいコントロールの形をつくるのです」

 王教授にまたこう考えている。

 「中国はこれからの五年の間に、『移動の自由』が実現できるでしょう。しかしそれは『公民は法に従って居住地を選択し、変更することができる』という法的な意味での自由です。だが、『自由に移動すること』、つまり公民が勝手にどこかに移り住むということが、五年以内に実現することは、現実的には不可能でしょう。自由に移動するには、移動する人がどこへ行っても順調に教育をうけ、就業のチャンスがあり、社会保障を享受できるレベルに達しなければならないからである。同時に、移動先の人口の受け入れ能力や移動する人自身の適応能力なども、非常に重要な要因です。これは、三年や五年で解決できるものではありません」