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西南シルクロードの繁栄を物語る
「牛虎銅案」
 
 文・董琦 写真提供・中国国家博物館


青銅器 戦国時代
(紀元前475年~同221年)
高さ43センチ、長さ76センチ、重さ17キロ


 

 紀元前約300年から同280年の間、楚国の将軍、荘キョウは、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘は、現在の昆明の近くにあるテン池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「テン」はその中で最大の部族であった。

 紀元前287年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘キョウが楚に帰る道を切断した。このため荘 は部下とともに雲南に留まらざるを得なくなり、土着の住民とともに開発と生産に従事し、テン王国を建てた。

  王国では自然で自由な、そして開放的なものが尊ばれ、漁猟農耕の後に人々は歌舞音曲を心ゆくまで楽しんだ。ここはまた、古いシルクロードの西南の道にある重要な宿場町で、多くの国々の商人や南北の民族がここに集まり、商業や貿易が文化交流を促進した。当時の盛況ぶりは、昆明の南約百キロの江川県の李家山から出土した古代テン国の青銅器に詳しく描かれている。

 1972年に出土した「牛虎銅案」(案は長いテーブル)は、昔、祭祀の際に牛や羊などの供物を載せる器具である。

 テーブルは、二頭の牛と一匹の虎からなっていて、立っている大きな牛の四本の足がテーブルの足となり、楕円形の牛の背中がテーブルの台になっている。大きな牛は慎重な中にも果断な表情をしており、首筋の筋骨は盛り上がり、両の角を前にのばし、重心を前にかけている。大牛の尾の端には、一匹の虎が高みに上って遠くを見ており、これによって前方にかかっている力との平衡が保たれている。

 大牛の腹の下には小牛が前向きに置かれている。小牛は素直でかわいく見える。これによってテーブルの安定性をさらに強めている。

 古代のテン国の青銅器は、冶金鋳造技術の面ですでにかなり高い水準に達していた。この「牛虎銅案」に使われている分鋳法と溶接技術も、非常に優れたものである。分鋳法というのは、器物の主体部分と付属部分とを別々に鋳造し、これを溶接する技術で、テンの人々の冶金鋳造技術の高さを見ることができる。

 

 
 

雲南省博物館

 

 
 雲南省博物館は1951年に建てられた総合的な博物館である。

 雲南には、文化財や古跡がきわめて多い。猿人の化石から始まって旧石器、新石器、青銅器、鉄器の各時代、さらに後漢から清代までのものが非常にたくさんある。これらは雲南の考古学研究にとってしっかりした基礎をつくり、また博物館の収蔵品の確実な供給源になっている。

 この50年余り、雲南省博物館が長年の考古発掘や調査収集、購入、寄付などの方法で収集した青銅器、古い貨幣、陶磁器、古い書画、碑文の拓本、郵便切手、各種の工芸品などは、すでに13万点以上に達している。多くの貴重な文化財の中で、1000点以上が国宝の一級文物に指定された。

 収蔵品の中でもっとも特色があるのは、昔、雲南に栄えたテン文化の青銅器、雲南一帯に8世紀半ばに興った南詔国や10世紀から13世紀にかけて栄えた大理国の時代の仏教文物、近現代の多彩な各種の少数民族のすばらしい文物である。

 雲南省博物館は長年にわたり、各種の短期の展示をしてきたが、これ以外に3つの常設展示を行ってきている。

 その第1は「中国古代銅鼓展」で、雲南の少数民族が保存してきた古今の銅鼓文化を展示し、紹介している。

 第2は「雲南古代仏教芸術展」で、この博物館に収蔵されている南詔から清代までの仏教文物の逸品を紹介し、さまざまな角度から、雲南の歴史における仏教文化の芸術的成果と仏教が雲南の民族文化とが融合した状況を示している。

 第3は「雲南少数民族の風俗や民情の展示」。ここでは、25の少数民族の服装や工芸品、少数民族の風俗や民情を示す写真を集中的に展示している。これを見た観客は、雲南の少数民族のきらびやかで多彩多様な民俗文化や雲南各地の明媚な風光を直接知ることができる。