【放談ざっくばらん】


「民間交流」研究への懸念と期待

                                        

                                            井上桂子

 

 

 私が在籍している北京大学には、日本関係の研究所、センター、グループが合わせて七つある。その中の最も新しいグループのひとつ「日本問題研究会」(代表・王新生北京大学歴史学部教授)が、昨年から「90年代以降の民間交流と中日関係の研究」という共同研究に取り組んでいる。若い研究者たちの日本研究への思い入れが反映された、今回の研究の意欲的な試みを紹介したい。

「共同研究」という新しい試み

 「日本問題研究会」は、2001年5月、所属機関が異なる若い研究者が自由に参加して中日問題を研究することを目指して設立された。メンバーは15人。3、40代の大学教師、研究機構研究員、出版社編集者、新聞記者、大学院生などで、全員が日本に留学するか、日本で生活した経験をもっている。3人の日本人も参加している。私もその中のひとりだ。

 日本の国際交流基金の研究助成を得て、研究をスタートすることになった時、メンバーたちは、以前からやりたいと思っていた試みを、研究の方式、テーマ、設定に盛り込むことにした。

 そのひとつは、共同研究という研究スタイルだ。自発的に参加した十数人のメンバーが、課題の各テーマを分担して研究執筆する。日本では普通に行われている共同研究の方法は、中国ではまだめずらしいのである。

 王新生教授は、「所属機関が異なる研究者が同一テーマを一緒に研究するというスタイルは、多くの利点があることはわかっているが、経済的な理由から、中国では難しかった。特に、若い研究者は」という。

 日本研究のやっかいな問題のひとつは、日本語の書籍などの資料収集に費用がかかることだ。昨年11月の同研究会第一回日本調査に参加したメンバーからも、「日文資料(日本語の書籍類)はどれも高い」との言葉が出てくる。これは同研究会のメンバーだけでなく、日本関係の研究に携わるほかの研究者、学生たちがみなこぼしていることだ。自費だけでは、十分な資料を手に入れることはできないし、日本に調査に行くことはできない。今回の研究は、申請が通って日本の独立行政法人の支援を得ることができたことで、若手研究者にも得がたい機会が回ってきた。

「民間」に求められる新機軸

 ふたつめは、日中両国関係の中の「民間交流」、特に民間団体の交流にテーマを絞ったことだ。「民間交流」にテーマを絞ることが、どうして意欲的な試みなの?『人民中国』を愛読され、同誌を通して、さまざまな民間交流の記事に接してこられた読者の方々は不思議に思われるだろう。

 しかしメンバーの一人が、「研究分野では、『民間』に視点を置いたものは、非常に少ない。90年代に入り、日中両国の政治、経済関係、特に経済関係が飛躍的に発展し、日本研究も増えた。それでも依然として『民間』を取り上げた研究は少なく、あっても経済に限定したものだったりで、全面的なものではない」というように、研究者にとってはまだまだ新しい分野だ。

 周知のように、中国の日本研究は、長い歴史と優れた研究の蓄積がある。しかし「民間」軽視の傾向は、どうやら古来からの「伝統」であるようだ。

 王暁秋北京大学歴史学部教授の研究によると、「中国は(世界で)最も早く日本を認識した国家で、早くは一世紀の『漢書』に始まり、『清史稿』まで十六部の官修正史の中に、〈日本伝〉がある。(中略)そして中国の日本研究は、アヘン戦争後の近代に入り、"走馬看花"(
通り一遍の観察)から、実地調査に基づいた深い考察に推移した」(『近代中日関係史研究』)という。

 中国の日本研究は、このように早くから系統的な深い研究に進展してきた。しかし研究の大部分は、政治、経済、外交、交戦などの国家大事を取り上げたもので、「民間交流」という「小事」に目を向けた研究は、意外に「隙間」だったのだ。この状況は、現在も変わっていないようだ。

 日本研究の隙間を埋める、それだけで「民間交流」をテーマに掲げる意味はあるが、「民間」にこだわる理由は、もうひとつある。「グローバリズムの流れの中、企業や団体の民間交流は頑張って良好な日中関係を築いている。だが政府交流は、逆に冷淡だ。これでは政が民の足を引っ張っることになる」という、「民熱政冷」の日中関係の現状に対する危惧がある。このような中で、「『民間』には新しい役割と、新しい機軸が求められている」(王新生教授)と考えるからだ。

インターネット時代

 

 三つめは、90年代以降の日中関係に時代を限定したことだ。80年代後半から、日中両国の交流は一段と多彩で大量になった。その中で、民間の交流がどのように機軸を転換してきたかを探ろうというものだ。90年以降のインターネットの発達は、日中交流と日中関係研究の方法を多様にした。インターネット上の自由な意見の投稿、書き込みも、資料として研究に利用される。

 メンバーは、北京大学の日本関係の代表的なネット論壇「戦後東亜政治発展」、「東隣日本研究倶楽部」などの書き込みを、注意して見ている。そのなかで、「最近ちょっと心配なことがある」という。珠海市の売春事件、西安の日本人留学生寸劇事件、トヨタ自動車の広告など、日本人や日本企業の事件が起きる度に、日本を激しく糾弾する書き込みが、ネット論壇にドーッと登場する。

 西安の日本人留学生事件の時は、同じ大学生ということもあって、論壇には一日四、五百件以上の意見が書き込まれ、侃々諤々の議論が繰り広げられた。「思考はそれほど深くはなく、言葉だけがどんどんと過激にエスカレートしていた」。心配なのはこのこともだが、「さめれば、今は何のことはない。議論もない。この冷めやすさのほうが問題ではないか」というのが、多くのメンバーの一致した考えだ。

 『人民中国』創刊50周年記念シンポジウム(東京)のコメンテーターのひとり王敏法政大学国際日本学研究センター教授は、「中国人の心の大変化に伴い、その集合体としての社会心理がとても不安定になってきている」(1月8日付『朝日新聞』、「私の視点」)と書いている。ネット上の「反日」の背景には、「この不安定さがある」といっている。

 交流があれば、当然双方の印象の中で負の部分、悪い印象と内容がある。王新生教授は、「その原因を探ろうとする意識が薄く、長続きしない気質は、中国の若者だけだろうか」と続ける。

 5年後、10年後の政府そして民間の日中交流を担っていくのは、ネット論壇に殺到した、「不安定な」その彼らたちだ。そのことを踏まえての、日中民間交流の未来を展望する研究が要求されていると感じている。(筆者は北京大学歴史学部博士課程 中国近現代史専攻
北京大学日本研究センター弁公室主任助理)