特集 (その2)
作家馮驥才氏インタビュー
天津の個性をどう守るか

 
馮驥才氏の略歴と作品 1942年、天津市生まれ。高校卒業後、天津市のバスケットボールチームの選手に選ばれたが、怪我のため書画美術社に就職。その後天津市文化局創作評論室から中国作家協会天津市分会に移り、創作活動に従事。現在、全国政治協商会議常務委員、中国民主促進会中央副主席、中国民間文芸家協会主席。
 主な作品に『彫花煙斗』『神鞭』など。邦訳単行本には『庶民が語る文化大革命』(講談社)『三寸金蓮てんそくものがたり』(亜紀書房)、『陰陽八卦』(亜紀書房)がある。

 

 急速に発展する天津は、高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市へと変貌している。しかしその反面、伝統的な天津の街のたたずまいは消え、天津らしさが失われて、他の大都市と同じ風貌になりつつある。

 天津生まれの作家、馮驥才氏は、「このままでは天津は、個性のない街になってしまう」と危機感をつのらせている。多くの建物が壊されていくのを見て彼は、建築家、歴史家、都市計画専門家、文化人らとともに、天津の街の通りを一つ一つ実地調査し、それぞれの建築の価値を記録したあと、1994年から3年間かけて、百人の写真家に依頼し、3万枚の写真を撮った。これを4冊の分厚い写真集にまとめて出版した。費用はすべて自腹を切った。

 その写真集に「これがあなたの心から愛する都市です」と書いて、市の指導部に1冊ずつ贈った。だが、天津市の再開発の速度は、その後さらに加速していった。馮驥才氏は現状をどう見ているのか、こうなった原因はどこにあるのか、これから天津はどうなるべきか、率直に語ってもらった。

中華と西洋が共存する天津

 「歴史的、文化的に見れば、天津市は非常に独特の都市であり、北京や上海とは異なっている。天津は『華洋雑居』『華洋並立』の都市だ。『華』は中国式であり、『洋』は西洋式。東西がいっしょに存在し、共存している。北京は完全に中国式だったが、いまや中国式でも西洋式でもない、奇怪なものになってしまった。伝統的な上海は、基本的に西洋式だったが、だんだん融合して西洋式を主とする都市となった。もともとの天津はすべて中国式で、租界だけは西洋式だ。西洋式の建物の中にもギリシャ風やバロック風もあり、また1920〜30年代に流行したモダニズム、折衷主義、新古典主義などの建築が存在している」

「点」が残っているだけ

 「本当に古い歴史的街区はすでに存在しない。今の歴史街区は、もともとの街区が完全に壊されたあと、古いものを模して新しいものを建てただけだ。これは全国各地みな同じで、時代性も特徴もない。もともと薬屋には薬屋の建物の風格があり、百貨店や役所にもそれぞれに独特の風格があった。しかし現在の計画では、みな同じような建物にしてしまう。個別的にはいくつかの歴史的建築は残っているが、それは『点』の状態で保存されているに過ぎない。それは歴史的街区の保存ではない」

壊されたオーストリア租界

 「海河の南岸は、英国、フランス、ドイツの租界が集中していて、比較的良く保存されている。海河の北岸にはオーストリア、イタリア、ロシア、ベルギーの租界があった。マルコポーロ広場周辺、イタリア租界の一部の保存が、いま、積極的に進められている。イタリア租界は1990年代に一部壊されたが、風格ある建物がなお残っているのは嬉しいことだ。だが、ロシア租界とオーストリア租界は基本的に消滅してしまった。オーストリア租界で残されたのは袁世凱(中華民国初代大総統)、馮国璋(直隷総督)の旧居と、オーストリア領事館の旧跡だけだ」

危機に立つ伝統文化

天津市内では、昔の租界の建物がかなり良く保存されているところもあって、新しい街と古い街が二つの違った顔を見せている。手前は馬場道の旧英国租界

 「民族的民間文化が危機に立たされている。その背景は二つある。第一は中国の近代化の速度があまりにも速く、グローバリゼーションの速度があまりにも猛烈だからだ。経済がグローバル化する時代には、文化はむしろ本土化しなければならないと私は思う。中国の改革・開放政策は突然やって来て、経済の発展速度は速すぎ、このため伝統文化は大きな打撃を受けた。都市の古い建築などの目に見える物質文化だけではない。古くから伝わる民俗、民間芸術、口頭の文学なども打撃を受けた」

 「第二に、現在は人類の文明の転換期にあることだ。歴史上、人類の文化の転換期は二回ある。最初は狩猟漁労文明から農耕文明へ転換、第二次は現在、われわれが経験している農耕文明から工業文明への転換だ。第二次の変化の速度は非常に速く、農民は労働者となって村を出て行き、その文化は中断し、誰も継承しない。さらに多くの若い人たちの生活様式が変化し、短期間の内に、伝統文化に対するアイデンティティーを失った。これによって伝統文化は大打撃を受けたのだ」

官僚と不動産業者による破壊

 「都市の破壊の原因は、一つには、文化を良く理解しない官僚たちにある。彼らは自分の成績をあげるため、目に見える形の変化を求めるからだ。その結果、都市の個性は破壊され、多くの都市は基本的に個性を喪失した。もう一つの原因は、不動産開発業者の金儲けだ。いま、一番金を稼げるのは不動産業だろう。庶民の住宅が劣悪で、人々が生活環境を変えたいと思っていることも、都市の変化の動力となっている」