世界自然遺産の地
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チベット族の人々とシャンチュウロブさん(前列右から3番目) |
――まず、あなたのお名前ですが、シァンチュロポはチベット語でどういう意味ですか?
シァンチュロポ(以下「シァン」に省略) チベット族には姓がありません。父母たちはみな、その希望を子どもの名前に託して付けます。私の名前の「シァンチュ」は「聡明で、英知がある」を、「ロポ」は「いとし子」を意味しています。
――では、あなたはご両親の願望をかなえたことになりますね。アワ州州長に就任されて一年ということですが、アワ州についてどんな印象をお持ちですか?
シァン 2002年11月18日に、ガルゼ州(四川省ガルゼ・チベット族自治州)から転任しました。この一年、アワでの仕事を通して、ここがまさにかけがえのない宝の地であることを実感しました。
地理的な位置から言っても、ここには明らかな優位点があります。たとえば、中国西部の中心都市である四川省の省都・成都に近い。また、西部の青海・甘粛両省に隣接し、この二つの省と成都の間の交通の要衝となっている。地理環境の上でも、ユーラシアプレートとインドプレートに押し出された「世界の屋根」、青海・チベット高原がありますが、アワはちょうど成都平原から青海・チベット高原への過渡(移行)地帯に位置している。ここには豊かな観光、水利、生物、鉱物資源があるのです。
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アワ州の中心区にある「九寨天堂(天国)」は国際会議やリゾート、観光、アウトドアなどに対応した大規模・多機能型の生態観光リゾート地区だ |
面積8万4200平方キロ、人口85万人で、そのうちチベット族が58%、チャン族が18%を占めています。ほかに漢族と回族、その他の少数民族が暮らしています。多様な民族と文化が、アワに多元的で多彩な文化景観をもたらしている。それが、ここの独特な文化的資源になっています。
――ヨーロッパへ旅行したときに、アルプス山脈がとても印象的でした。山に向かう道中がいずれもすばらしい景色で……。先ごろのアワの取材も、同様の印象でした。ここも至るところ美しい景観ですね。
シァン その通りです。人々はアワについて、「人みな形象であり、ところみな景勝である」と評しています。私たちは「生態で州を立て、科学教育で州を興し、観光で州を豊かにし、水力発電で州を強くし、法によって州を治めて安定させる」というモットーを提案しました。
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スゥンチュ県の九黄空港は、アワ州を外界とつなぐ空中通路になった |
とりわけ、観光を第3次産業の柱としています。近年の成長率は年に30%以上で、それはすでに当地の経済発展の支柱となっています。ここの九寨溝、黄竜の二つの風景名勝区は1992年、ユネスコの世界自然遺産リストに同時に登録されました。非常に高い知名度を得て、それはアワの「名刺」となりました。
九寨溝や黄竜のほかにも、ここには高原湿地帯や地熱温泉、雪山峡谷、低海抜の氷河があり、中国の母なる大河・黄河が百二十六キロも流れています。また、ここは長江上流の緑の障壁ともなっています。ジャイアント・パンダや四川キンシコウ、ウシ科のターキン、オグロヅルなどの希少動物も生息しています。国家の「友好の使者」となるパンダの多くは、アワ州の臥竜自然保護区から「出発」したものです。さらに、多種多彩なチベット仏教文化、素朴なチベット族の寨(村落)、神秘的なチャン族のディア楼(見張り用のやぐら)などがあります。03年9月28日、九寨溝―黄竜間の「九黄空港」が正式開港しました。アワに外の世界とつながる空中通路ができたのです。たとえば現在、北京からアワまでは空路2時間しかかかりません。それはアワが世界に向かって進む上で、大きな作用を及ぼすでしょう。
州長としての仕事と家庭
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アワ黄河大草原はズオゲ、紅原、アワ、スゥンチュの四県に広がる中国最大の高原湿地帯である。「アジアの肺」と称されている |
――あなたを取材するため何度も連絡をしまして、ようやくこうして成都でお目にかかることができました。非常にお忙しそうですね。
シァン そうです。州長として、第一に州内の仕事をきちんとこなさなければなりません。つねに末端の仕事を執り行い、民情をうかがい、群衆の声を聞いています。自然災害があれば、すかさず現場へ赴きます。たとえば03年、肭川県で土石流が二回発生しました。私はいつも一時間以内に現場へ向かい、橋の修復工事や観光客の救護にあたりました。また第二に、我々のこの西部の少数民族地区であるアワのエネルギー、交通、通信など各方面における支持を、中央政府から勝ち取らなければなりません。
――あなたは全国人民代表大会(全人代)の代表ですから、アワのための要求を中央政府に提案できるという優位点がありますね。
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チベット族はアワ州のおもな民族のひとつだ。祝祭日や式典で、チベット族の人々は「ロンダー」という走る駿馬をカラープリントした紙片をまき散らす。吉祥への願いを表している |
シァン 私は03年3月に初めて、全人代代表として同大会に出席しました。席上、国の重大な政策・方針の審議と表決に参加した以外は、私はやはりアワ地区の現在の変化や今後の発展構想、目下直面している困難と問題について、発言しました。またそれとともに、アワの農業区、牧畜区における電力網の建設と改造、辺鄙な山区と牧畜区における通信網の建設など、貧困救済のための八つの案件を、大会に提出しました。閉会後、全人代の提案委員会はすでにそれらの提案を関係方面に回すとともに、私にもすべての回答をくれました。今や、まさに具体的な事業が進められています。全人代の代表として、下の意見を上に伝え、諸問題が解決できれば非常にうれしく思います。
――ご家庭と、あなたの経歴を話していただけますか?
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理県のミヤロ峡谷は全長60キロで、秋になると野山がいっせいに紅葉する。中国最大の紅葉風景区である |
シァン 私は53年に、ガルゼ州ザッゴ県のある農家に生まれました。父親はかつて近隣のニャッロン県の県長を務めたことがあります。母親はずっと農民でした。私が小学生から中学一年のころ、「文化大革命」に遭遇しました。18歳で仕事に就いて、ザッゴ県のある小学校の教師になりました。83年に、全国高等教育統一試験(全国共通大学入試)を受け、念願かなって西南民族学院の政治歴史学部に進学、卒業後は中国共産党理塘県委員会の副書記になり、その後、県長を務めました。92年、ガルゼ州政府副州長に選出され、93年北京に転任、前後して国務院(中央政府)農業部と国家計画委員会(いずれも日本の省庁に相当)で副局長を歴任、99年ガルゼ州に戻って州の党委員会副書記を務め、その後、アワ州で副書記兼州長を務めています。
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石造りの家で構成されたシースォ・チベット族の集落。典型的なチベット族民家のひとつだ |
私の妻は、ずっとガルゼ州公安局に勤めています。二人の娘のうち次女は母親の影響か、現在、四川省のある警察大学で学んでいます。長女は建築工程を学び、四川大学を卒業後、今は南アフリカで大学院に通っています。
――あなた方ご夫婦は、二つの場所で仕事をされているので、互いに注意を払うのは難しいですね。
シァン アワ州はとても広いので、州長はいつも州内各地を駆けずり回っていますよ。家があっても、毎日帰宅するのは難しいです。
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バルカムはチベット語で「旺盛な炎」を表す。チベット族の集落である |
――本当にお疲れさまです。弊誌『人民中国』は、北京で発行し、日本で販売されています。日本の読者に期待することは何ですか?
シァン 聞くところによると、九黄空港が開港して以来、すでに日本人観光客のチャーター便が運航されたそうです。今後は、さらに多くの日本人観光客にご来訪いただき、アワのさらに多くの優れた場所を観光してもらいたい。私たちは、質の高いサービスを提供いたします。また、中国の西部地区であるこのアワへ、投資、売買、起業などのため、ご来訪いただくことを希望しています。そのときには、優遇政策を提示したいと思っています。