◆あらすじ
磁器の絵付師周漁(コン・リー)は、ふと知り合った遠い町の図書館員陳清(レオン・カーファイ)に自作の詩を贈られ恋に落ち、週2回長距離汽車に乗って陳清のもとに通い始め、その汽車で獣医の張強(孫紅雷)とも知り合う。周漁に強く惹かれる張強。陳清を詩人として世に出そうと奔走する周漁の愛が重荷となった陳清は辺境の地の小学校教師に応募して赴任してしまう。陳清がいなくなっても汽車に乗って陳清がいた町に通い続ける周漁。ようやく周漁と結ばれた張強は周漁が陳清のいない町に通い続けていることにショックを受ける。とうとう辺境の町に陳清を訪ねて行くことにした周漁はその途中のバスの事故で亡くなってしまう。
周漁と瓜二つの秀は陳清の詩のファン。周漁が通った汽車に乗った秀はプラットホームでマスコミに囲まれる陳清と快活な獣医の張強を見かける。車中に落ちていた磁器のかけらをそっと拾って「周漁的火車」と題された陳清の詩集に挟む秀。周漁は実在せず、すべては秀の幻想だったのだろうか。
◆解説
大変不思議で濃密な大人の恋の物語。家庭も社会も倫理も道徳も抜きにして純粋に恋愛だけを描いた中国映画はこれが初めてではないだろうか。まるでフランス映画のように洒落た恋が中国の、しかも大都会ではない地方のリアルな風俗の中に描かれたミスマッチもとても面白い。原作はもっと単純な男女の四角関係で、登場する人物も電気技師やタクシードライバーと散文的なのに、映画では絵付師に詩人と獣医とロマンチックな設定にし、入れ子構造の幻想的な物語にしたところに監督の手腕と強い思い入れを感じる。孫周監督は中国一ハンサムな監督として知られるが、粋な監督であることも分かる。恋とは相手の存在とは関係なく、その思いにとらわれた自分の思い入れにすぎないのだ、という何度か恋をした後に人が気づく真理を見事に映像化した作品。
◆陳清の詩
周漁を仙湖に例えた詩。周漁はたまたま「仙湖駅」に張強と降り、仙湖を探すが霧が深くて見つからない。陳清に仙湖へ行ったと話すが、実在の湖に陳清はまったく関心を示さない。周漁への恋心を自覚した張強は人工湖(養殖池かもしれない)の水を満々に湛え、「俺の湖は満々だぞ」と言う。周漁の死後、映画のラストは霧が晴れて水を満々と湛えた仙湖が現れるところで終わる。
「ゼン魚的冰裂」というのは、周漁が陳清に贈ろうとした青磁が張強に押されて割れてしまった欠片のこと。田ウナギのような細い割れ目ができてしまたのを湖の氷の割れ目に例えている。
◆見どころ
スリムになってますます美しいコン・リー。張芸謀監督と別れて以来、スクリーンでこんなに輝いているコン・リーは初めてだ。筆者の似顔絵を描いてくれた友人曰くボッティチェリのヴィーナスのよう。あんまり美しく、また大胆なラブシーンに気合が入っているので、監督とただならぬ仲なのではと誰しもが疑うところ、これが伏兵現る、で実は獣医役の孫紅雷と撮影中に恋に落ちていたんですね。恋多き女、コン・リー。そうでなくては女優は務まりません。
お相手の孫紅雷はお気づきかどうか、『初恋のきた道』の冴えない息子です。『至福のとき』ではバスのラブホテルのチンピラ風の客を演じていました。演じる役ごとにあまりにイメージが違うその芸達者ぶりに中国では第二の姜文と呼ばれているとか。8つも年上の大スター、コン・リーを夢中にさせたところも、かつて『芙蓉鎮』で劉暁慶が一回り年下の姜文に夢中になったことを思い出させます。共に夫のある身というのも共通している。そういう事情を知ると、映画のラブシーンが真に迫っているのに納得。ラブシーンで2人の心に火がついたのか、互いに惹かれあっていたから陶酔したような名シーンになったのか、相乗作用なのかもしれませんね。
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