中国各地の農村に急速に広がっている合作社は、日本の農協に似通った働きをしている。そこで日本に留学し、東京大学で農業経済の博士号を取得し、現在、中国農業大学で教鞭をとっている馮開文教授に、中国の合作社の変遷や日本の農協との違い、合作社の必要性や将来について話を聞いた。 ――馮教授は「日本の農協と中国の合作社」という文章を書かれていますが、両者の歩みを比較してみてください。
馮教授 私は日本で研究したテーマは「日本の農協(農業協同組合)」です。日本では1947年に早くも『農業協同組合法』が制定され、農協の特殊な地位が確立しました。これが日本の農協が順調に発展した重要な原因だと考えています。これに比べ中国の農業合作社は、その発展の道が平坦ではなく、紆余曲折がありました。 実は中国の合作社の出発も遅くはないのです。20世紀の初め、中国の南方と北方に合作社が出現しました。しかしその後、行政組織の中に組み入れられたものもあります。それ以外の合作社は整った体系をもつ組織を形成することができませんでした。 ――整った体系のある合作社は、1949年の新中国の成立後に形成されたのでしょうか。 馮教授 その通りです。新中国の成立後、合作社の発展は三つの段階に明確に分けられます。第一段階は1949年から1957年までです。この時期、中国の農村では、労働力を相互に交換する「互助組」から、土地や農具、耕作用家畜を出す「初級合作社」、土地などの生産手段を集団所有とし、集団労働を行う「高級合作社」などの新しい形の経済組織が次々に打ち建てられました。 しかし1958年から、合作社は強制的に人民公社に格上げされ、「工、農、兵、学、商」が一体となった政治・経済組織になりました。だが、所有権の公有や平均化された分配制度のため、人民公社は一歩一歩破産に向かって歩むほかはなかったのです。これが第二段階です。 第三段階は、1980年代初めに人民公社が解体されてから現在までで、これは合作社が自発的に成長した段階です。
――人民公社が解体されると、どうして合作社がすぐに出現したのでしょうか。 馮教授 これは面白い問題で、合作社が不可欠なものだということを説明しています。1982年に、完全に自主経営の農家の家庭責任制が全国的に確立した後、一戸一戸に分散して経営する小農家と、日増しに拡大する市場との矛盾はますます突出したものとなりました。 市場経済化の進行過程がどんどん加速し、市場規模が不断に拡大する中で、とりわけ中国のWTO加盟後は、農産物の国内外の交易は、技術、質、安全などの面で要求がますます高くなりました。 ですから、立場が弱く、経営規模、情報、技術などの面で劣勢にある農民が、市場に参入し、市場を熟知しようとしても、また、市場での交易の中から収益を得たり、収益を増加しようとしたりしても、それはますます困難になったのです。 農産物の供給過剰が起こり、さらに生産資料の「購入難」、農産物の「販売難」などという現象がたびたび出現しました。農民たちは自然に、組織化を通じてコストを削減し、収益を増加させたいという衝動を持ち、行動を始めた、これが新しい時期に合作社が自発的に勃興してきた背景であり、原因なのです。 合作社の現状は
――新しい時代の合作社はどのような特徴をもっているのですか。 馮教授 まず、今日の合作社の大多数は、農民が自発的に興したものであり、農民の収益増加のために奉仕するもので、基本的に行政の関与から離脱しています。農民が主役であることは間違いありません。合作社は公平で、能率が高いという特徴を兼ね備え、民主的管理を実行し、農民の利益を擁護し、また激烈な市場競争の中で活発に自己拡大を図り、農民の収益を増加させました。 次に組織の形が多様化していることです。専業の技術協会、専業の合作社、社区(コミュニティー)型の合作社、企業が牽引車となって興した合作社、政府が支援する合作社などに分類できます。規模から見れば、数十人のものもあり、数万人のものもあります。村の中で作られた合作社もあり、県を跨ぐ合作社もあります。所有制度の角度から見れば、依然として集団所有制に留まっているものもあり、株式制を実行している合作社もあります。 また、合作社の発展は、地域的不均衡の状態を呈しています。全体的に見れば、経済が発達した東部地区では、合作社の成長はかなり速く、経済が比較的遅れた西部地区では、成長が少し遅れていると言えます。 ――合作社にはどれぐらいの農民が参加しているのでしょう。 馮教授 全国政治協商会議や供銷合作総社、農業部などの合作社の管理部門による統計や初歩的な集計では、2002年、全国農村の各種の合作社はすでに659万あり、加入している農家は、農家総数の10%前後となっています。具体的には北京では、2003年に各種の合作社は2030あり、加入農家は32万戸で、農家総数の28%を占めています。 ――合作社はどんな役割を果たしていますか。 馮教授 それはすばらしいものです。第一に、合作社はばらばらだった農家を組織し、生産資料を統一的に買いつけ、農産物を集中的に販売し、農民の生産コストを減少させ、農民の収益を増加させました。 第二に、合作社は農民に市場の情報や技術を提供することを通じて、農業の近代化を推進し、これによって農民は受益したのです。観光農業や工業化した農業、無公害農業の面でも合作社が貢献しています。 第三に、合作社は農業生産のチェーンを大いに伸ばし、生産と販売の一体化を通じて、農民が収益をさらに得られるようにしました。こうした収益は、生産オンリーの農家では得ることができないものでした。 第四に、一部の合作社は、大学や研究所の専門家を顧問として招聘し、ある合作社はさらに各種のルートを通じて技術・管理の人材を養成しています。統計によると、北京市では現在、合作社は一社平均七人の技術者を擁しています。これは長期的に見れば、経済的な増収よりももっと深い意義を持っています。 将来の合作社
――合作社が発展するうえで、困難はどこにありますか。 馮教授 合作社は全体からみれば、規模が小さく、その多くは専業型で、全国的な組織体系はまだまだ設立されていません。合作社が農民に提供するサービスにも限界があり、その能力も農民の需要を満足させることができません。合作社自身の発展も、資金、技術、情報、人材、政策などの多方面にわたる要素の制約を受けています。 ――合作社の発展の方向は? 馮教授 将来、合作社が発展する方向は、合作社の数や規模の拡大、全国的合作社の組織体系の形成でしょう。合作社は引き続き小規模生産と大市場の矛盾に対応しなければなりません。この他にも、政府がまさに農村で行っている税と費用の改革や村民の自治、末端の政治民主の建設などにとっても、農民の経済組織が大きくなることが必要です。 現在、国の農業政策と農業制度全体は、「三農」(農業、農村、農民)問題の解決の方向に向かって動いています。国の財政部などは、目下、合作社の試験的設立を広げる仕事をしており、全国人民代表大会も2006年に、正式に『合作社法』を施行する準備を進めています。この立法は、マイルストーンの意義を持つでしょう。 ――日本の農協とどのような関係を持つべきでしょうか。 馮教授 日本の農協は少なからぬ成功の経験を持っていて、それを鑑として参考にする価値があります。それに加え、中日両国とも人口が多く、耕地が少ない。気候や農業の産業構造もかなり似ているところがあります。だから両国の関係方面が協力と交流を強めることは、大いに有益だと思います。
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