【上海スクランブル】

就職の縁は異なもの味なもの?
                                        文・写真=須藤みか
                 
今一番ホットな場所「外タン3号」。1階にはアルマーニが入る

 上海はいま、ホットなテーマ。上海で働く日本人も注目されていて、私も『上海で働く』という単行本を書くために、十数人に話を聞いている。さまざまな職業、年代で、上海に来たきっかけもそれぞれだが、上海で働く彼ら彼女らには共通点がある。人よりももう一歩前へ進んでみる行動力と、中国人とのいい出会いを持っていること。いくつもの物語を聞いていたら、自分の数年前を思い出した。

 私の中国での就職活動は、アポなしから始まった。中国のことが知りたくて留学。メディアに勤める友人たちとつきあい始めると、また別の欲求がむくむくと出てきた。中国で働きたい。とはいえ、私にできるのは雑誌の編集か記事を書くことだけ。調べて、思案して、ターゲットが決まった。

 丸一日かけて中国語で職務   履歴書を書いた。漢字がたくさん並んでいるだけで、立派なものに見えてくる。ほー、我ながらなかなかのものではないか。まぁ視野も広く、仕事ができそうに見える履歴書だ。自信を持って、ラジオ局記者の友人に見せると、彼女は怪訝な顔で言った。

 「これじゃダメ。あなたは毎月何千字書いて、一年で何万字書いたの? これまでの数年間でどれだけの文字を社会に発表したの? それを書かなきゃ」

 ええっー??? 文字数って言われても、数えたことなんてあるわけがない。社会に発表した、なんてそんな大層な。ひるむ私に、彼女はハッパをかける。

 「ほら、計算して」

 ターゲットと決めた国営出版社の雑誌には、住所と一緒に電話番号も書かれていたが、電話するより行ったほうが早い。翌日は授業を休んで、バスと地下鉄を乗り継ぎ、一時間半かけて出版社を訪ねた。

 退屈そうにあくびをしてい   た守衛さんと目があった。

 「私、この雑誌社で働きたいんですけど」

 「日本人かい?」

 「そうです」

 「ふんふん、分かった。三階に行くと、日本語部があるから、そこへ行ってみるといい」
 三階のどこが日本語部かは分からない。声の聞こえたドアをどきどきしながらノックした。

 「日本人の留学生です。ここで働きたいのですが。履歴書を持ってきました」

 中国語で言うと、親切そう   な中年の男性は美しい日本語で、

日本人女性たちの懇談会「上海働く日本人女性の会」

 「そうですか。まぁ、どうぞどうぞ」と椅子を勧め、皆に声をかける。部屋の四方から五、六人が集まってきて、私の履歴書をのぞき込む。

 「最初は上海に留学したのね」

 「字がきれいねぇ」

 「日本では出版社で働いていて、何々、毎月○○字書いてた?充分だねぇ」

 「ところで、北京と上海、どっちが好き?」

 次々に質問が飛んでくる。湯呑み持参の人たちもいて、私の履歴書は、ふいに訪れた休憩時間のサカナになっている。どうやら歓迎されていないわけでもなく、アポなし会社訪問は、第一関門を突破したようだった。

アポなし会社訪問を歓迎 就職先の紹介も

 質問攻勢がひと段落すると、最初に応対してくれた男性が、

 「ここで働いて欲しいけれど、今、日本人の空きはないんですよ」と言う。どうやら、この人が、この部屋の責任者らしい。

 「そうですかぁ」。ガクンと肩を落とす私を見て、すかさず、

今一番ホットな場所「外タン3号」。1階にはアルマーニが入る

 「日本語誌はほかにも二誌あります。今ちょうど、日本人を募集しているはずですよ」と、フォローの言葉が入る。

 そして親切にも二誌の住所と電話番号、責任者の名前をさらさらと書いてくれたのである。

 結論を言えば、そのうちの一誌に運良く採用された。文字数がそれほど大切なのかなぁと半信半疑だったが、訪ねた二誌の責任者は二人とも、「毎月これだけ書いていたのなら、大丈夫ですね」と、判を押したように言った。翻訳テストもあったが、履歴書に書かれた「文字数」はアピール力があったようだ。友人のアドバイスは大正解だったのである。

 その後、私は上海に移った。最初にアポなし訪問をした雑誌『人民中国』に入社の縁はなかったものの、連載記事を担当させてもらって四年目に入った。