特集 江西省・景徳鎮 変容する千年の焼き物の里 (その3) |
中国陶磁器の魅力と景徳鎮の将来
――景徳鎮陶瓷学院院長に聞く |
中国で生まれ育った陶磁器は、中国の文化そのものを体現しているといっても過言ではない。その陶磁器の故郷であり、しかも、陶芸の最前線に立ち続けている景徳鎮は、どのように位置付けられるのか。これから景徳鎮にはどのような未来が開かれているのだろうか。 陶芸の技術を継承し、次代を担う若い陶工を育てている景徳鎮陶瓷学院の院長で、中国陶芸界の著名な工芸美術家の秦錫麟さんに聞いた。(文中敬称略) ――歴史的、国際的に見て、景徳鎮はどう位置付けられますか。 秦錫麟 景徳鎮の歴史は悠久であり、陶磁器の資源は豊富です。中国陶芸史上の名品を次々に生み出し、「青花」「粉彩」」「釉上彩」「釉下彩」といった技法はすべてここにあります。しかもその窯の火は、千年もの間、絶えたことがありません。 私は世界の陶磁器の街を見て回ってきましたが、景徳鎮のような街はどこにもありませんでした。だから景徳鎮は中国の陶磁器の故郷であるとともに、世界の陶磁器の故郷なのです。 以前、私は、カナダで出版された世界地図を見たことがあります。その地図の中の中国には、四つの都市が載っていました。北京、上海、西安、それに景徳鎮です。それを見て私はひどく感動しました。
――景徳鎮の現状と問題点はどこにありますか。 秦錫麟 私が景徳鎮にやって来た1960年代のころは、伝統的な技術はよく残っていたのですが、生産の面ではかなり遅れていました。しかし、国のテコ入れで、一部の国有陶磁企業が興ってきました。 改革・開放後は、私営企業が次第に発展してきましたが、企業の規模が小さく、資金が足りません。現在、国が援助して、景徳鎮に「中国陶瓷城」と「陶瓷科学技術研究院」の建設を計画しています。景徳鎮を中国と世界の陶磁器の集散地にしようというのです。 景徳鎮は、最初は日用品を主にしていましたが、その後、芸術的な陶芸へと発展してきました。景徳鎮は現在も、芸術的な陶磁器は世界一流ですが、日用品と工業用セラミックは世界の先進国に遅れをとっています。
――後継者の養成や国際交流はどのように進められていますか。 秦錫麟 景徳鎮は自前の陶瓷学院を持っています。毎年、受験してくる学生は非常に多い。また、世界の18の大学と関係を樹立しています。毎年、景徳鎮にやってくる陶芸家や学者は五、六百人もいます。来年はここで国際陶磁器教育年次会議と国際陶磁器材料工程シンポジウムが開かれます。 陶瓷学院の卒業生たちは各地で歓迎されています。陶磁器の応用範囲がますます広がるにつれ、人材もどんどん輩出されています。
――日本との交流はどうなっていますか。 秦錫麟 日本は、中国の陶磁器の影響を非常に強く受けています。昔、多くの日本人が景徳鎮に来て陶芸を学びました。以来、現在まで、景徳鎮の陶磁器は、日本で大きな影響力を持っています。「青花」「釉裏紅」は日本人に愛されています。 私は日本で個展を開いたことがあります。そのとき、一人の老婦人が見に来て、景徳鎮の「青花」について理路整然と述べたのには、感動しました。このことは、中国の文化が、日本に深く根を下ろしていることを示しています。 第二次大戦後、日本経済は急速に発展し、製陶も速く発展しました。とりわけ日用品の分野では、中国をはるかに追い越しています。
両国の陶磁器の分野は、互いに特色があり、非常に幅広い交流を続けています。教育の面では、中国が美術の基礎教育を重視しているのに対し、日本は材料工芸の教育を重視しています。この二つの面でもっと切磋琢磨し、双方が補完しあう必要があります。 ――景徳鎮の陶芸家たちは今後、どのような面で新たなものを創造していくべきですか。 秦錫麟 いかにして世界と軌道を接するか、優秀な伝統を継承し、その上にいかに創造を加えるかが大切だと思います。とりわけ古今の文化と東西文化の結合の中に、新たな創造を探し当てることです。 現代の陶芸家は次の四つの「性」を必ず持っていなければなりません。 第一は国際性です。世界の潮流を知っていなければなりません。
第二は民族性です。作品には自分の民族の優れた特徴がなければなりません。 第三は地域性です。景徳鎮は自身の地域的特色を持つ必要があります。「青花」や「粉彩」は景徳鎮の優れた特徴です。必ずその特徴を保持し続け、それを大いに発揚していかなければなりません。 第四は、個性です。作品は作者の個性を体現しなければなりません。 この四つの「性」を兼ね備えてはじめて、景徳鎮の製陶業は発展できるのです。
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