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「ちびっ子相撲」の交流で、北京の小学生三人を軽々と持ち上げる |
185センチ、145キロの大男だが、ふくよかな頬にはニキビがいっぱい。まだあどけなさの残る、弱冠20歳の若者だ。ゆっくりとした日本語で話していたが、夢中になると、巻き舌調のお国ことばが飛びだしてくる。
日本相撲協会の代表団の一員として、このほど中国を訪れた。日本に住んで3年になるが、初めての里帰りである。海外場所のメンバーはふつう幕内力士を中心とするが、中国生まれで出世頭の仲の国さんは、三段目ながら参加が予定されている。「もう嬉しくてなりませんよ! 光栄なことと喜んでいます。それにしても北京の変化はスゴイですね〜」と大きな体を揺すりながら、歓声をあげる。
オリンピックで知られる世界のスポーツ、柔道にあこがれていた青年だった。北京で3年稽古をしたが、やがてそれでは飽き足らなくなり、「本場で修行してみたい」と高校を卒業したのち単身、日本へ赴いた。柔道で鍛えぬいた自慢の体は、百キロをゆうに超えていた。体力も十分にある。そんな優れた体格を見て、日本語教師の勧めた道が、柔道ではなく相撲であった。角界入りのきっかけは、そうしたひょんなことからだった。「テレビを見ていたら、とても面白そうでした。これならボクにもできるかな〜と。最初はまったくの好奇心からだったんですよ」
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初めてまわしをつけてもらった子どもたちと。北京・光明小学校の校庭には全校生徒300人の声援が響いていた |
2002年5月に湊部屋(湊親方=元小結・豊山)に入門。同年7月に初土俵を踏み、二場所で三段目に昇進するというスピード出世を果たしたが、それも柔道の心得があったからにほかならない。その後は「ずっと足踏みしている」と謙遜するが、入門してから一日として休むことなく朝五時に起床、五時間たっぷり厳しい稽古にいそしんでいる。湊部屋でも、ナンバーツーの期待の星だ。
「つらい稽古や、難しい礼儀作法……。たいへんなことはいろいろあるけど、やっぱり相撲はいいですね。街へ出ても、力士はみんなから尊敬されていると思う。日本人はほんとうに相撲が好きなんです。それがとてもいいですね」。根っからのスポーツ好きで、格闘技好き。まじめな性格で体格にも恵まれているとあれば、そんな若者が相撲にのめり込むのも自然のなりゆきだったのだろう。異国の地では、相撲ファンの応援も大きな励みとなっている。
現在、約700人いる力士のなかで、外国人力士は50人あまりに増えている。快進撃を続ける横綱の朝青龍、前頭の朝赤龍はおなじみのモンゴル出身、前頭の黒海はグルジア、3月場所で幕下優勝の琴欧州はブルガリア、三段目優勝の南ノ島はトンガの生まれと、国際色も豊かになった。中国出身の力士も、この2年で仲の国さん一人から六人までに急増している(4月中旬現在)。
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「一生けんめい取り組みます。中国公演をお楽しみに」と仲の国さん |
「日本の相撲が、全世界に発展している。それはボクたち外国人にとっても嬉しいことです。相撲は日本の伝統的なスポーツだけど、それがもし各国に受け継がれたら世界中で楽しめるでしょう」。そんな壮大な夢を描いている。
6月の中国公演では、北京と上海で合わせて5万人が会場を訪れる。中日両国のテレビ中継もそれぞれ予定されており、より多くの人々に、その勇姿をおひろめすることができる。北京市順義区に住む両親も、一人息子の成長ぶりを楽しみにしているという。
「相撲は難しいスポーツではないし、古くから中国にある『シュウイジャオ』(相撲)に似ています。そうした日本の伝統文化を理解してもらいたい。中国の人たちにも楽しんでほしいのです。精魂こめて一生けんめい取り組みます。応援ヨロシクお願いします!」
中国に相撲ブームを巻き起こしそうな、さわやかな「はだかの使節」だ。
【プロフィール】
1983年9月、北京市生まれ。本名・呂超(ルゥ・チャオ)。高校卒業後、2001年に単身日本へ。その後、日本語学校の教師に相撲を勧められて湊部屋に入門。2002年7月に初土俵を踏み、2場所で三段目に昇進と、順当なスピード出世を果たした。6月の大相撲中国公演では、その"晴れ姿"を披露することになっている。目下の目標は「まずは関取(十両以上)になること」、そして「日本語はやっぱりムズカシイ!それをマスターすることですネ(笑)」。