『新民週刊』 誰の蘇州河?

 

 蘇州河は上海の母なる河で、同地の屈辱と栄光の歴史を目撃してきた。しかし、適切な管理と保護が行き届かず、一時はひどい汚染と破壊に侵された。

 上海市では1997〜2003年の5年間、70億元近い予算を投じて、「蘇州河環境総合改善第1期プロジェクト」を行った。河辺の企業・事業体を移転させ、数万世帯を移住させ、19万平方メートルあまりの緑地帯を建設した。それにより、河は透明さを取り戻しはじめ、魚やエビも戻ってきた。同プロジェクトに貸付をしたアジア開発銀行の調査によると、94%の上海市民が、環境改善に満足している。しかし、無秩序な不動産開発にともない、一部のディベロッパーが巨額の利益をむさぼり、河川整備の成果を独占している。

 河辺の景観を保護するため、上海市計画局は2002年8月、『蘇州河の水辺景観計画』を発布した。河辺では建物の占有面積を減らし、高さも岸からの距離を越えてはならないと規定し、のちにより厳しく、岸からの距離と建物の高さの比率は2:1に変更された。関係部門は今後、さらに厳格な管理を行う。

『生活週刊』 三門峡ダムの保存・取り壊し論争

 

 三門峡ダムは、黄河主流の中下流域にあり、河南、山西の2省にまたがる。1962年に建設された黄河主流初の大型水利ダムであり、新中国成立後初の大型水利建設プロジェクトだった。

 今も昔も、「水位の高低論争」が焦点である。十分な水位の確保により、三門峡水力発電所は、水の落差によっての発電を保証する。しかし、ダムの水位が絶え間なく上昇したことで、洪水の危険が高まってしまった。

 2003年8月、三門峡ダム上流の陝西省内では5回の洪水が起き、直接的な経済的損失は23億元に達した。しかも、この数年に一回起こっていた普通の洪水がもたらした損失は、50年に一回の大洪水に匹敵する被害を生んだ。

 この「小さな洪水による大被害」を受け、ようやく三門峡ダムの再評価が、全国政治協商会議(全国政協)の議題となった。今年の全国政協では、陝西省共産党委員会元書記の安啓元氏が、5回目となる関連提案を提出。水利部は、各関連部門や専門家の意見を求め、三門峡ダム運用方式の調整意見を国務院に報告することを約束した。最終決定は国務院が下す。

『財経』 法治2004:政府の本来の姿への回帰

 

 中国の行政・法治制度の整備は、厳格には1989年に発布された『行政訴訟法』からスタートした。「民が官を訴える」制 x的なルートができたことで、行政機関は、ようやく自己の行為を規範化し、制限する必要性を意識するようになった。

 1992年3月には、国務院の李鵬総理(当時)が『政府活動報告』の中で、初めて「法による政務執行」という言葉を使い、中国の改革が法制化の道を歩み始めた。その後、国は立て続けに『国家賠償法』『行政処罰法』などのまったく新しい行政理念を体現した行政法律、法規、規則を制定した。

 2004年の全国人民代表大会と全国政治協商会議が終了した後、国務院は『全面的に法による行政を実施する要綱の推進』を発布した。7月1日からは、『行政許可法』が正式に施行され、「法治政府」「限界のある政府」の理念が、中国行政体制改革の重要な目標となる。

 そのほか、『行政強制法』『行政費用徴収法』『行政手続き法』『行政訴訟法(改訂)』の立法事務はすでに、今期の全国人民代表大会の立法計画に数えられていて、今年、大きく準備が進むと思われる。