世界エスペラント大会、北京で7月に開催
 
                        中華全国エスペラント協会秘書長 于涛

エスペラントの創作者・ザメンホフ博士(中国報道雑誌社提供)

 7月24日から31日、北京にて第89回世界エスペラント大会が開催される。

 全国人民代表大会常務委員会の呉邦国委員長が後見役を務め、同常務委員会の許嘉雍副委員長と国務院新聞弁公室の趙啓正主任がそれぞれ、実行委員会の名誉主任と主任の任にあることから、中国政府が同大会を非常に重視していることがわかる。また、北京市政府、国務院新聞弁公室、中国外文局など17の機関・事業体が共同で準備を進めている。

 実行委員会によると、大会には、50以上の国と地域のエスペラント代表団が参加する。日本から百人以上が訪中するのをはじめ、異なる国、民族、言語の合計2000人近いエスペランティスト(エスペラントの使用者)が一堂に会し、世界の平和を守り、人類の発展に貢献するため、通訳なしでエスペラントの大計について意見交換する。

学習者は40万人

第90回日本エスペラント大会に参加した中国代表団(中国報道雑誌社提供)

 エスペラントは、1887年にポーランドの眼科医・ザメンホフ博士が創作、発表した国際補助言語である。国際交流での言語の壁を取り除くことを目的に作られ、「国際共通語」と称される。

 20世紀初頭の中国では、当時の中国文化教育界の代表人物だった蔡元培、魯迅、巴金らの提唱のもと、北京、上海、天津などの数十都市で、エスペラントが普及しはじめた。

 新中国成立後、中国ではエスペラント運動が急速に広まり、最も盛り上がった1980年代には、計40万人がエスペラントを学んでいた。現在では、中国で約一万人がエスペラントを頻繁に使っている。

 中国のエスペラント関連の媒体には、雑誌、インターネット、ラジオなどがある。1982年に中国エスペラント出版社が設立され、二百種類以上のエスペラント書籍を翻訳出版している。内容は中国の歴史、地理、民俗、料理、鍼灸、武術など様々である。

 また、中国のエスペラント教育も大きく前進した。82年以降、中華全国エスペラント協会と北京外国語学院、上海外国語学院が共同で開講した全八回の大学エスペラント教師育成班では、前後して78大学の132人の教師が研修を受けた。

 彼らが学校に戻った後には、ほとんどの学校にエスペラント課が開設され、約六千の大学生がエスペラントを履修した。現在でも、一部の小中高校、大学で、エスペラントを第二外国語として教えている。中国ではエスペラントの後継者が育っているため、関係者を安心させている。

友好の懸け橋として

2003年の世界スウェーデン大会で、世界エスペラント大会旗を受け取る中国代表(中国報道雑誌社提供)

 1950年に創刊されたエスペラント雑誌『中国報道』は、エスペラント界の中国に対する理解と友好を深めることを趣旨としている。この友好の懸け橋を通して、中国と世界のエスペランティストは、緊密な関係を保ち、友好往来を行っている。

 そんな交流には、数々の感動的なエピソードがある。

 ドイツのエスペランティストであるヘインズ・シンドラーさん(83歳)は、毎月二千ユーロの退職金で質素な生活を送っている。それにもかかわらず、何度も同誌に寄付を行い、時には中国のエスペランティストが世界エスペラント大会に参加するための援助もしている。

 ベルギーのエスペランティストだった故チャールズ・ジセリンさんは、長年の同誌の愛読者で、愛して止まなかった中国報道雑誌社に自分の財産を事業発展基金として譲渡するとの遺言を残していた。そのため同社では1999年10月、感謝の意を示すために同氏の墓地を改修し、新しい墓碑を建てるため、生まれ故郷までスタッフを派遣した。

北京放送学院のエスペラントの授業(中国報道雑誌社提供)

 1998年10月には、同社の記者・王漢平さんが、日本のエスペランティストである森田洋子さんの招きで、第85回日本エスペラント大会に参加し、十数都市を訪問した。日本滞在中の一カ月間、同氏はまるでバトンリレーのように、各地の日本人からもてなしを受け、心地よい時間を過ごしたという。

 昨年は、当時、中国報道雑誌社社長だった于明新(現人民中国雑誌社社長)をはじめ、中華全国エスペラント協会秘書長である筆者の私らが、第90回日本エスペラント大会に招かれ、日本のエスペランティストとの広い交流も行った。

 今年は、北京で再会できるに違いない。