[寄稿] |
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中山邦夫(920s) |
5月1日から七日、メーデーの大型連休に合わせて、北京市朝陽区政府、北京音楽台(ラジオ)、中国対外演出公司の共催による野外音楽祭「朝陽流行音楽周」(ミュージック・フェスティバル)が、北京朝陽公園で開催された。 同音楽祭には、中国だけでなく、アメリカ、フランス、南アフリカなどのプロのアーティストも参加。1日12時間の公演が、7日間にわたって行われ、のべ30万人以上が足を運ぶ大きな反響を呼んだ。 同音楽祭のイベントの一つである「新人バンドコンテスト」には、約七十組のアマチュアバンドがエントリー。唯一の日本人バンドだった「920s」が、審査員と観客の心をつかみ、みごと最優秀賞に輝いた。 同バンドのリーダーを務める中山邦夫さんが、中国と音楽との出合いについて綴ってくれた。(編集部) 北京に初めて足を踏み入れた二十歳の頃には、中国の「新人バンドコンテスト」でステージに立ち、しかも最優秀賞までいただけるとは、夢にも思っていなかった。 1999年4月、僕は中国語がまったくできず、右も左もわからない手探りの状態で、北京での第一歩を踏み出した。それ以前は日本で機械工をしていたが、将来の人生設計ができず、悶々とした日々を送っていただけ。そんな生活に区切りをつけるため、貯めたお金で北京留学することを決意した。 しかし、中国語の基礎もなく北京に来たのだから、現実は甘くはなかった。授業に「参加」してもなかなかみんなについていけない。語学の習得で悩む日々が続き、時には途中で挫折しそうになった。ただ、どんなに辛い時も、僕が師匠と慕う先生がかけてくれた「あなたにしかできない使命を持った人だと信じている。否、そのことを私は知っている」という言葉を思い出し、励みとして乗り切ってきた。 目標と楽しみを見つけた
北京に来てしばらく経ったある日、大学の成光先輩に、「ギター部の集まりがあるから見に行こう」と誘われた。歌を歌うのが大好きな僕が、興味津々について行ったのは言うまでもない。そして、良き先輩に囲まれながら、ギターのレッスンを始めることになる。 「中国語の歌を覚えよう。そして音楽で中国人と交流をしよう。これも一つの語学勉強だ!」 僕は、ギターと出合ったことで、やっと目標を見つけられた気がした。その日から語学、音楽、そして中国人との交流が楽しくなった。 中国に来て二年が経った〇一年四月、パンク&ポップの「わかりやすい音楽」を目指すアマチュアバンド「920s」を結成する。バンド名「920s」は、仲間の了解を得て、僕の名前「くにお」にちなんで付けた。数字を使ったのは、世界の誰もが読める共通の文字だからである。 「920s」を結成したことで、中国のバンドと一緒にライブを行うことができるようになり、生活の場が広がったばかりか、僕自身はいつの間にか、作詞、作曲も手掛けるようになっていた。 僕たちが作るオリジナル曲は、日本語、中国語、英語の三カ国語で歌う。「聴き手に他の国の曲、文化に興味を持ってほしい。国境と言語にとらわれない輪を広げていきたい」との思いがあるため、一曲に三カ国語の歌詞をちりばめることも少なくない。言葉が通じることで、観客は日本人、中国人はもちろんのこと、韓国人やタイ人、ノリのよいヨーロッパ人など多種多様。僕たちの思いは少しずつ伝わってきている。 拍手で吹っ切れた
ただ、屋外のステージに立ったのは、5月の「コンテスト」が初めてだった。初の野外ライブに、五十嵐薫(ギター)、島袋英士(ベース)、大原拓磨(ドラム)、それにギターとリードボーカルの僕の四人は舞い上がり、ドキドキしたが、とにかく音楽が大好きで、根は誰もが単純な人間。ただひたすら、「楽しもう! 中国の人たちと一緒に音楽を通して交流しよう!」を合言葉に、勢いでステージを乗り切った。 コンテストの日、4人が右腕に巻いた三色のリストバンドは、赤・勝利、青・栄光、黄・平和の意味を持つ。ただ、こんな思いは簡単には伝わらないのだろう。初日には、「日本人バンド」という理由から、不快感を持つ観客も少なくなかったようで、ブーイングが起きた。 それでも、中国語と日本語で過去の名曲などを「920s」テイストにアレンジして、自分たちにできる最高の楽曲を送ることだけを考えた。そして、予選の演奏を終えたときには大きな拍手をもらい、音楽の力を再認識できた。 決勝十二組に残った僕たちが準備していた曲は、オリジナルの中国語の歌『愿愛如花』(愛は花のように)。僕たちが求める風格とは一味違う、優しいメロディーのバラード曲である。 そして緊張の表彰式。初日の倍以上もある大きなステージで、最優秀バンド賞を贈られたのは、「920s」だった。 まさか、大きなステージでもう一度歌うチャンスがあるとは思ってもみなかった僕たち。ドラムの拓磨は泣いていたし、僕もウルウル来てしまった。赤・勝利 青・栄光 黄・平和の思いが、中国の友に伝わったと信じたい。舞台の上で僕は「920s」を代表して、「ありがとう! みんな、ほんとにありがとう! 僕らは中国を愛しています!」とあいさつ。日本語にすると、かなり「くさい言葉」だが、観客の大きな拍手が僕たちを優しく包んでくれた。 いまの自分、また「920s」があるのは、尊敬する師匠をはじめ、家族や先生方、そして国籍を問わない友の支えがあってのこと。特にKEISUKE、KOUSUKE、ACKYの三人に、受賞の瞬間を見せられなかったのは残念でならない。これからもさらに飛躍できるよう、感謝の気持ちを忘れずに前進していきたい。
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