母なる川・黄河を守る中日協力
 
                                         張春侠=文

 河南省鄭州市を流れる黄河周辺には、数年前まではげ山が連なっていた。それが今では、600ヘクタールを超える森に生まれ変わり、青々とした緑が広がっている。

 これは、三重県日中友好協会(日中友協)と中華全国青年連合会(全国青連)の協力により、3年前から植樹をはじめた「中日青年生態緑化モデル林」である。最近では、静岡県日中友協も同地での植樹を行った。

「みんなの家」を守る

小渕基金の支援で、河南省鄭州市の黄河流域には緑が広がった

 5月29日、(社)日中友協副会長で、静岡県日中友協会長の鈴木重郎氏を団長とする「静岡県緑化協力訪中団」の百十人が、鄭州市 陽市高郷村( 陽市は、行政区分上、鄭州市の下に属する市)で植樹を行った。

 高郷村は黄河主流の南側にあり、かつては植物分布が少なく、地すべりが多発していた地域である。水土流失が下流の山東省で断流を引き起こすだけでなく、土砂堆積が原因で、鄭州市を例にすると、水面が地表面より十数メートルも高くなった。典型的な天井川である。河川が氾濫すれば、鄭州市に大きな災害をもたらすことになり、砂漠化がさらに進んだことで、春と冬には砂嵐がよく起こっている。

 黄河流域の生態環境を改善するため、2003年、静岡県日中友協と全国青連は共同で、日本の「日中緑化交流基金」(通称:小渕基金)に、鄭州市の黄河沿岸に「母なる川を守る活動――中日青年生態緑化モデル林」を育成する計画書を提出し、資金援助を申請した。

 同活動には、静岡県から地方議員、県庁職員、企業家、教師、学生などの様々な人々が参加している。基金創設四年目の今年の植樹団は、過去最大規模となった。最高齢は82歳、最年少は大学生。ほとんどが初訪中で、初めて黄河を見た人たちである。

今年5月、鈴木氏を団長とする静岡県緑化協力訪中団が、黄河流域で植樹を行った

 彼らがイメージする黄河は、「美しく、雄大で、神聖な存在」であり、決して生活に危害を与える危険な存在ではない。黄河の現実を知り、大きなショックを受けたことが、植林に参加した動機である。

 植樹場所は山の上だが、自動車では山の麓までしか行けない。そのため70歳を超えたお年寄りも、杖をついて片道2キロの道のりを歩き、自分の手で一本ずつ苗木を植える。

  陽市では、中日双方の共同主催により、「母なる川を守る活動」の立ち上げ式典が行われた。千人を超える中日の関係者が、「母なる川を守る、私とあなたが手を携えて」と書かれた30メートル以上もある幕に署名。この幕は今後、半永久的に河南省博物館に所蔵される。

 「なぜ中国で植樹を?」との質問に、参加者は、「地球はみんなの家。次世代に美しい姿で残すことが、この世界に生きる私たちの共通の使命」と話し、「毎年参加したい。子々孫々まで貢献できたらうれしい」と付け足した。

 「母なる川を守る活動」の発起人で、中国共産主義青年団中央委員会の周強第一書記は、活動を重要視して何度も視察を行い、自身も植樹に参加した。全国青連の湯本淵副秘書長は、「中日両国の環境保護での交流と協力は、ODA(政府開発援助)や民間交流の成功例である。これが中日の関係をさらに発展させていく力になるだろう」と述べた。

植樹に込めた思い

今年6月1日、中国共産主義青年団中央委員会第一書記の周強氏(右)が、鈴木氏に栄誉証書を授与した。(写真・劉世昭)

 植樹参加者の中で、最も尊敬を集めていたのは、団長の鈴木重郎氏である。

 80歳の鈴木氏の訪中回数は128回に達し、1954年の初訪中以来、50年間、友好事業に身を投じてきた。若い頃には、青年運動に傾倒し、中国で中国の経験を学びたいと思っていたが、当時の時代背景では簡単なことではなかった。

 54年、全国青連が仲立ちし、世界農業会議に出席する名義で、第三国のオーストリアを経由して鈴木氏に招待状が送られた。その後、全国青連が費用と航空券を郵送。彼は単身日本を発ち、前後してウィーン、モスクワを経て、3週間かけて同年8月に中国にたどり着き、夢をかなえた。

 到着後には、積極的に各種のイベントに参加した。折りしも朝鮮半島の板門店での停戦交渉中だったため、彼も朝鮮に出向いた。ただ住環境は劣悪で、列車で一泊したこともあったという。

 中国では重慶、成都、南京なども視察。いまでも忘れられないのは、唯一の日本人として、「中国の第一回全国人民代表大会を傍聴したこと」だという。中国初の憲法が採択された情景も、いまでもはっきりと覚えていて、当時撮影した毛沢東主席との記念写真は、事務室の壁に飾っているそうだ。

 

 初訪中の後、鈴木氏は日中友好の重要性を認識し、友好に力を尽くすことを誓う。そして55年に静岡市日中友協、57年には静岡県日中友協を設立。以降、日中友好に心血を注ぎ、文化大革命前後の十数年を除き、ほとんど毎年のように訪中している。72年の中日国交正常化後の初訪中で、周恩来総理が代表団に掛けた言葉を、鈴木氏はいまでもはっきりと覚えている。

 「水を飲む時は、井戸を掘った人を忘れない。中日両国の今日の友好があるのは、あなた方のような井戸を掘った古い友人のおかげです」

 中日友好に50年をささげた鈴木氏は、これまでも、ボランティアとして中国での植樹活動を行ってきた。しかし、今回のような植樹のみを目的とした活動は初めての試みだった。彼は、「余生を植樹事業にささげたい。母なる川を守るために」と話す。前出の周強第一書記は、そんな鈴木氏に栄誉証書を贈り、中日友好に対する多大な貢献を激励した。

(写真提供・中華全国青年連合会国際プロジェクト協力センター)

進行中のプロジェクト

 

@日本青年団協議会の援助で創設された内蒙古自治区ダラドプロジェクト、河北省豊寧県プロジェクト

A日本産業開発青年協会の援助で創設された内蒙古自治区オルドスプロジェクト、内蒙古自治区ホルチン右翼中旗プロジェクト

B日中青年研修協会の援助で創設された遼寧省阜新市プロジェクト、四川省雅安市プロジェクト、江西省共青城プロジェクト

C日中建設技術友好協会の援助で創設された重慶市合川市プロジェクト、湖北省宜昌市プロジェクト、陝西省戸県プロジェクト

D日本友愛青年協会の援助で創設された広西チワン族自治区柳州地区プロジェクト、湖北省武穴市プロジェクト

E三重県日中友好協会の援助で創設された河南省 陽市プロジェクト

F東京青年会議所の援助で創設された河南省霊宝市プロジェクト

G世界青少年交流協会の援助で創設された安サユ省桐城市プロジェクト、江西省星子県プロジェクト

H日本青年会議所の援助で創設された江西省九江県プロジェクト

I宝塚ライオンズクラブの援助で創設された北京市延慶県プロジェクト

J国際友好文化センターの援助で創設された寧夏回族自治区紅寺堡区プロジェクト

K静岡県日中友好協会の援助で創設された河南省鄭州市プロジェクト

L日本国際ボランティア学生協会の援助で創設された陝西省潼関県プロジェクト

M日中新世紀協会の援助で創設された青海省同徳県プロジェクト

 
 


【資料】
母なる川を守る活動を支える 「日中緑化交流基金」
(通称:小渕基金)

 「日中緑化交流基金」(通称:小渕基金)は、日本政府が1999年6月、故小渕恵三・元首相の提案で日中両国の民間団体の環境保護への資金援助を目的として立ち上げた。

 これより前、早くは九〇年代初頭に、全国青連が日本の民間団体と砂漠緑化を主な内容とする環境保護協力を開始していた。99年には、中国共産主義青年団中央委員会、全国青連の国内関連部門が共同で、「母なる川を守る」大規模な民間レベルの生態環境保護活動を発起し、国際社会、特に日本社会からの広い関心を集めた。

 中日両国政府の認可を受けて、全国青連と日本の各友好団体は共同で、小渕基金に資本協力を申請し、「母なる川を守る活動」を通して、植樹プロジェクトを進めている。

 この他にも2000年以降、全国青連、日中友協、日本青年団協議会、日本青年研修協会などの友好団体が、小渕基金の援助を受けて、中国北方の砂漠化が著しい地域をはじめ、長江、黄河、珠江流域の10省・直轄市・自治区で、14の生態緑化プロジェクトを行っている。