◆あらすじ
1902年、豊泰写真館の丁稚の劉京倫(夏雨)は蓄音機など新しい西洋の文物に夢中で時に仕事もそっちのけになるが、腕がいいので主人に気に入られている。ある日、写真館にイギリス人のレイモンド(ジャレッド・ハリス)が西洋鏡と称する映写機を売り込みに来るが、主人(劉佩g)に追い払われる。見せ物小屋で映写をしようとするレイモンドを助けたことがきっかけで映画に魅せられた京倫は写真館に内緒でレイモンドの助手になり、興行を手伝い始めるが、やがて主人にバレて店をクビになる。
一方、当代随一の京劇俳優の養女(刑宇飛)に惹かれる京倫は金持ちの未亡人(方青卓)と結婚させようとする父親に逆らって勘当される。悩む京倫に生きたいように生きろ、と説くレイモンド。西洋鏡は北京中の話題となり、西太后の誕生日に紫禁城で上映することになるが、ボヤを出してお咎めを受け、レイモンドはイギリスに強制送還されてしまう。失意の京倫にレイモンドから北京と北京の人々を映したフィルムが届く。京倫は自分で工夫して映写機を作り、興行は大成功を収める。1905年、中国で初めての映画『定軍山』が劉京倫の手で豊泰写真館で撮影された。
◆解説
ありそうでなかった中国の映画草創期を描いた物語。写真館の丁稚の青年が京劇をそのまま撮影したのが中国の映画第1号だったという史実をそのままに、映画が誰の手によって中国に持ち込まれたかや映画の撮影に至るまでのストーリーはフィクションで肉付けした青春物語になっている。『茶館』『駱駝の祥子』『春桃』など"老北京"物は北京映画製作所の十八番だったが、その伝統も廃れつつあった今世紀初頭に生き生きと"老北京"の市井の人々を活写したのは文革終了直後にアメリカに渡って20数年という新華僑の女性。北京映画製作所のベテランスタッフと外国人スタッフの力を見事に結集させ、長編映画初監督とは思えぬ出来となった。
レイモンドが初めに映写するのはリュミエールの記録映画などで、北京の人々が外人も自分たちと同じように食べたり笑ったりする人間なのだと気づき、やがて京倫が万里の長城など北京の風物を撮影して放映すると、中国人が初めて自分たちの国の美しさに目覚めるなど、20世紀初めの中国の激動の時代の幕開けもさりげなく描いている。映画を愛する気持ちが溢れた感動的な作品である。
◆見どころ
動く写真を初めて見る北京の人々の驚きと喜びの表情があまりに素晴らしいので、観客役はすべてエキストラを使わずに全部プロの俳優を使ったのかと聞いたところ、これが何と北京どころか田舎の普通の人たちをエキストラに使ったという。プロの俳優はおろか、北京の人たちでも前世紀初頭の素朴な庶民の顔をした人間を探すのは難しかったからとのこと。では、なぜあんな表情を引き出せたのかと言うと、アメリカ人のカメラマンを初めとするスタッフがあれこれ芸をして見せたのだと言う。初めて見る外国人の滑稽な仕草に大喜びする自然な表情をそのまま使ったのだそうだ。
主演と脇を固める新人とベテランのそれぞれの俳優も素晴らしい。『太陽の少年』でヴェネチア映画祭最優秀主演男優賞を17歳で受賞した夏雨が中央戯劇学院を卒業して初めて主演し、成長したその姿と演技力を披露しているのを始め、婿として忍従の日々を送る写真館主人を農民や小市民を演じさせたら右に出るものはいない劉佩錏が演じ、その妻の呂麗萍や未亡人役の方青卓(『キープクール』で姜文とカラオケを熱唱していた女優さん)も出番は少ないが存在感のある演技を見せる。悪女として描かれることの多い西太后を演じるのは優しいお婆ちゃん役が多い女優さんで、舶来の新し物好きだったという、これまで映画で描かれることのなかった西太后の愛すべき一面を見せるのも面白い。
水野衛子
(みずのえいこ)
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中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
イラスト・山本孝子
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