[特別寄稿] |
ふれあいに意義あり――通訳奮闘記
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北京放送・中国国際放送局記者、キャスター 王小燕 |
2004年6月、北京と上海で開催された日本の大相撲中国公演で、私は通訳をつとめた。初めて生で相撲の試合を見、親方や力士、行司さんら相撲界の皆さんと触れ合うチャンスに恵まれた。未知の文化への好奇心から、興味津々で引き受けたこの仕事から、私が感じ、考えたことは――
期待と不安
最初の通訳は5月31日午後だった。先発隊で到着した伊勢ノ海親方が、中国の人気ポータルサイト「新浪網」のチャットルームにゲスト出演するのにお供した。その中で二つほど、疑問に感じることがあった。 【疑問その一】 「相撲を将来まで受け継いでいくには、今一番の課題は何ですか」。この質問に対する親方の答えに耳を疑った。 「それは、いかにして目新しい提案に惑わされず、古来のままの相撲をとっていくかということです」 改革の今の時代を生きる中国人の私にとっては、「変化しない」ことは理解しがたかった。 【疑問その二】 帰りのバスの中で、親方は自信満々の様子でこう言った。「相撲はこれまで11回、海外公演を行ったが、いずれも大成功を収めた」 私は「まだ始まっていないのに、果たしてご期待通りの成果が収められるのかな」と心の中で思った。なぜなら中国では、「日本」と言うだけで反感を持つ人もいるし、歴史問題も絡んでインターネットの掲示板には好意的でない書き込みも見られるからだ。 そのうえ、人為的に身体を太らせる訓練法が理解できず、力士の体形にショックを感じる人もいる。私も含めて、果たして、一般の中国人は大相撲を好きになれるだろうか、と心配になった。 初めての相撲観戦 けれども私の疑問と不安は、大相撲の本番が開始されるやいなや、たちまち払拭された。 なんと言っても、目の前で繰り広げられた激しいぶつかり合い、立会いの「ガツン」という衝撃音には驚いた。目が土俵に釘付けになり、ハラハラドキドキしていたら、たちまち結果が出る。 相撲は案外、単純明快な競技のようだ。しかし、厭きさせない。勝負の時間は短くても、思わぬ展開が起こる。もう勝利するだろうと思った力士でも、一瞬のうちに逆に押し出されたり、倒されたりすることもしばしばだ。 伝統文化の重み 「相撲は1500年以上の歴史を持つ日本古来のスポーツで、礼節と様式美を重んじる日本の伝統文化です」。日本相撲協会の北の湖理事長は開会式でこう挨拶した。確かに、千年以上の時が流れても、直径4・55メートルの土俵で繰り広げられてきた競技は、昔のままの姿だ。 中国人の目から見れば、時代劇のワンシーンから飛び出してきたかのような呼び出しや行司、髷を結った力士たち。その姿から昔の文化の一端に触れることができた。そう考えると、トレンディーなものを追うことなく、古来のしきたりを忠実に守る人生を選んだ彼らに、私は敬意を表したくなった。 子どものころから、「中身こそ大事だ」と、形式軽視の教育を受けて育った私だが、改めて考えてみると、伝統文化を受け継ぐ上では、形式そのものの果たす役割をあまり軽く見られてはならないと思う。伊勢ノ海親方の話の真意が、ようやく少し分かってきた気がした。 触れ合いに意義あり 初日公演終了後、行司の式守与太夫さんが、西単の餃子専門店で、ちょっとした晩餐会を主催した。タクシーに分乗して西単に向かったが、私は土佐ノ海さんと松田さんという力士と同じタクシーに乗った。乗ってきた力士さんを運転手はチラチラ、バックミラーで観察し、好奇心の塊となっていた。 餃子店でも注目の的になった。玄関に立つ服務員は好奇心を抑えられない様子で、一行を三階の個室へと案内した。玄関の真向かいで、白い帽子に白い制服を着たスタッフが、ガラス張りの中でせっせと餃子を作っていたが、思わず作業の手を止めて、力士たちの方を眺めている。そこで、土佐ノ海さんは愛想良く手を振り、にっこりと「ニイハオ!」。店に笑いがあふれた。 食事を終えた後、オープンしたばかりのセブン・イレブンへ寄った。入った時、店内には客はそれほどいなかったのに、気がつけばあっという間に「パンダ」状態。じろじろ力士たちを眺める金髪の外人さんや、流暢な日本語で記念写真を頼むOL風の女性。それでも土佐ノ海さんは嫌な顔一つ見せなかった。 後日、上海の新聞記事でも読んだことだが、力士たちはどこに行っても、笑顔で人々の撮影やサインに応じていたようだ。『東方体育日報』は「想像と違うぞ! 大きな力士が偏見を覆した」というタイトルで力士たちの礼儀正しさ、物腰の柔らかさ、時間厳守の習慣などを称えた。 触れ合うこと。それこそ今回の大相撲中国公演の意義ではなかったろうか。
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