チャイナスコープ
「処罰から褒賞へ」計画出産政策の静かなる変化
 

両親が子どもを担ぎ、一家三人で団結する徒競走

 今年60歳の楊秀珍さんは河南省孟州市谷担鎮柿園村の農民で、娘が二人いる。26年前、彼女は国の呼びかけに答え、自ら避妊手術を受けた。そのため、今年から毎年600元の「計画出産家庭奨励扶助金」を亡くなるまで受け取ることができる。

 「奨励少生(少子化を奨励する)」は、中国が推し進めている新たな計画出産政策である。現在、河南、四川、甘粛省などの十数カ所の省や市で試行しており、2005年、全国へ展開することになっている。規定によると、子ども一人または娘二人の農村家庭は、夫婦が満60歳になると、最低基準一人あたり毎年600元の奨励扶助金の受け取りを申請することができる。

 中国の計画出産政策は1970年代初頭から始まった。当時、中国の人口はすでに八億人を超え、中華人民共和国建国初期より約3億人増加していた。この深刻な人口問題に対処するため、国家は「晩、稀、少(出産を遅らせる、出産の間隔をあける、少なく出産する)」の出産政策を実施し、80年代からは「一組の夫婦に一人の子ども」を提唱した。

 都市部では、特別な状況を除いて基本的に子どもは一人、農村部では、第一子が女の子だったら、第二子を産むことができる。一千万人以下の少数民族は二人を、一部では三人を出産することができる。また、ある地域、例えばチベットのようなところでは制限がない。統計によると、現在の中国の出産可能な年齢期間における一人の女性の平均出産数は1・8である。

 以前、農村では労働力の需要と伝統的観念の影響により、計画出産政策を推し進めることは非常に困難で、行政措置と経済処罰に頼っていた。30数年の間に全国の出産数は3億人ほど減少し、人口の急増を抑えるのに効果はあった。しかし同時に、出生性別比(男児出生率が女児より高い)の開きを増し、一部の家庭の生活が苦しくなるなどのマイナス現象ももたらした。

 「処罰から褒賞へ」は中国計画出産政策の大きな変革であり、農村社会の保障制度を作る大きな突破口でもある。これは、低い出産率を安定して保つことや出生性別比の開きを縮めることなどで大いに役割を果たすこととなる。