|
100人の画家との合作作品のひとつ |
今年は中華人民共和国建国55周年、そして中国人民対外友好協会創立50周年という喜ばしい年である。この記念すべき年に、中国人民対外友好協会の主催で、11月16日から「魚水情――現代中国著名画家百人と王伝峰の世界展」が中国国家博物館と中国美術館で同時開催されることになった。
本展覧会に出展された作品はいずれも私が描いた魚の絵百点に、現代中国を代表する著名画家百人がそれぞれ個性溢れる筆を加え、芸術の香り高い作品に仕上げたユニークなものである。この「魚水情」と題した一連の作品で、魚と水の関係になぞらえ、美しい自然と芸術の関係や人々の情愛を表すとともに、日中両国の永遠の友情と平和を祈る心を表現しようとしている。
日本で画家として立つ
書聖・王羲之の故郷 銜郡(現・山東省臨キ市)に生まれた私は、12年前、理想と夢、若さ以外何もないまま、見知らぬ日本に渡って静岡県の富士宮市に根を下ろした。最初の一年は絵を描くゆとりなど無かった。少し生活が安定し、時間に余裕が生じると近くの画廊、美術館を歩き回った。日本にはいろいろな文化施設があり、世界の文化、芸術を身近で感じられる環境が整っている。そのため、苦学の私でもいい勉強と経験を積むことが出来た。
日本語学校を卒業し、結婚、そして芸術家としての在留資格も認められ、本格的な絵画人生が日本でスタートした。同時に手探りでの日中文化交流も始まった。
1994年、富士美術館で私の個展が開かれた。たくさんの方が一生懸命応援してくれた。そして作品の受賞も重なり、民間だけでなく美術界からも注目を浴びるようになった。現在は、日本画家の作品展を中国で開いたり、中国の有名画家を日本に招いてその作品を紹介したり、作品展を開いたりと創作活動以外のほとんどの時間を日中文化交流に費やしている。
2002年3月14日、駐日中国大使館の武大偉大使から日中両国の「魚水情」の意を込めた私の作品『桜と魚』が小泉首相に送られた。
その年の7月、日本の総務省から日中国交正常化30周年記念切手の創作を依頼された。桜の花が日本列島に根を下ろし、日本人の最も愛すべき花となって千年、金魚が中国福建省から日本に渡ってちょうど五百年。だから金魚と桜をテーマに、日中両国の源遠流長な友好の歴史を表現することにした。活き活きと水中を泳ぎ回る2匹の金魚と水面に浮かぶ三十個の桜の花は日中友好30周年の歴史を現している。五つあった候補の中から最終的に選ばれたのは私の『源遠流長』とオヒ小平の長女・ケ林さんの『紫藤花』であった。
私がキャンバスに描くもの
|
切手発行式には武大偉大使と片山虎之総務大臣が出席した(右端が筆者) |
仕事の関係で中国の画家たちと頻繁に交流のある私は、3年前から心の中であるプロジェクトを構想していた。つまり、私が百点の魚の絵を描き、その絵に中国一流の画家百人が一枚ずつ筆を加え、百点の合作を作るということだった。
日本の最高の額縁と掛け軸で作品をより完璧なものに仕上げたい。こんな思いが認められ、今年の5月31日、駐日中国大使館と社団法人日中友好協会の主催で東京国立博物館で内覧会が開かれた。一日だけの内覧会だったが、会場は七百人ぐらいの人で賑わい、感嘆の声があちらこちらで上がっていた。
そしていよいよその中国での展覧会が11月に開催される。私にとって一生忘れることの出来ない重大事件の一つとなることに間違いない。
私の描いた「魚」が日本で認められているのは決して不思議ではない。なぜなら、私の作品は中国の伝統的絵画芸術と日本の琳派芸術の特徴を組み合わせ、その柔らかい線には禅の意が潜んでいる。濃淡の中には様々な変化が見られ、見る人を優しい気持ちにさせ、安らぎをもたらすからである。
「王伝峰には一つの雑念もない」というのが、友達の私に対する評価である。
絵を描くことより先ず人間であるべきだと私はいつも言っている。絵画の商品的価値ばかり追求してしまい、芸術作品の創作を怠る若い画家にはどうしても賛成できない。苦しさと寂しさを乗り越え、安らかで強い心をもたないと、いい芸術作品は生まれないのだ。
「なぜ魚しか描かないの?」と尋ねる人もいる。
一つの題材をその髄まで描くことはとても難しいと私は思っている。広い海には数え切れない魚が住んでいて、一生をかけても描ききれない。私は山水、花鳥、人物、どれも人に負けないくらい描くことが出来る。しかし「舎得(惜しまないという意)」という言葉があるように、何かを得るためには必ず何かを捨てなければならない。魚たちに命を超えた真の生命を与え、その生命に心のすべてを託し、それを人々に訴えることが出来るということは実に素晴らしく、何より幸せを感じるときである。
日中友好協会の平山郁夫会長は今回の絵画展にこんな期待を込めている。「独自の風格を持つ王伝峰氏の作品展が、日中両国の若い芸術家の相互理解を一層促進すると共に、両国の文化交流をさらに多彩なものとしてくれることを期待いたします」。これは皆さんの期待の声と同じだと思う。だから今はその期待に答えられるよう頑張るのみである。
|