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劉世昭=写真・文 |
北京を発った澳門航空機は、雲間をぬって海上をかすめ、澳門空港にゆるやかに着陸した。この空港の滑走路は、海を埋め立ててできたものだ。 前回も案内してくれた友人の許さんが、早くも到着ロビーで待っていた。「劉さん、五年ぶりですね。よく見てください。澳門はすっかり変わりましたよ」。彼は、買ったばかりのトヨタ自動車で来たのだった。ゆとりのある楽しい生活を送っていることが、そこからはうかがえた。その後、許さんに連れられて澳門をドライブした。 澳門半島から海をまたぐ新しい「澳◆大橋」を渡り、「◆仔」(タイパ)と「路環」(コロアン)という二つの離島を回ってから、もう一つの大橋「嘉楽庇大橋」を渡って戻ってきた。もともと静かなところだったが、澳門は五年前よりダイナミックに感じられた。たとえば、東望洋山のふもとの金蓮花広場には、澳門復帰の際に中央政府が贈った金色の記念モニュメント「盛世蓮花」が陽光に照らされて光り輝いていたし、たくさんの観光客がそれをバックに記念写真を撮っていた。また、オープンしたばかりの「金沙娯楽場」の入り口では、ゆかいなピエロが来客を楽しませていた。南湾湖の湖畔には、高さ338メートルの観光タワーがスラリとそびえ立っていた。屋外でアドベンチャーが楽しめる世界一高い観光タワーだ。◆仔から路環までの自動車道路わきでは、建設を急ぐドーム型の体育館が認められた。来年ここで開かれるスポーツの祭典「東アジア大会」のために準備しているのだそうだ。澳門半島と◆仔の間では、海をまたぐ三本目の大橋がまさに建設中だった、など……。
現代的な風景と伝統的な風俗が共存するのが、澳門の特徴である。今年5月26日は旧暦の4月8日で、仏教の開祖・釈迦牟尼の生誕日「仏誕日」だった。この日、澳門では三つの伝統祭事が同時に行われる。仏教の「浴仏節」、道教の「譚公誕」、漁師たちの「酔竜節」だ。 早朝、まずは路環の譚公廟へと足を運んだ。道教の神様「譚仙聖」を祭る小さな寺院で、清代の同治年間(1862〜1874年)に創建された。信者が線香などを供えると、ひとしく幸運を得ると言われる。そのため路環においては、香火の絶えないにぎやかな寺院となった。 やがて路環の中心街に、澳門の各社会団体、商会の祭りの隊列がやってきた。色とりどりに扮装し、獅子舞をしたり、供え物を担いだりして、それぞれ儀式を行いながら山車とともに行進している。その後、譚公廟の前で止まると、激しい爆竹音に包まれながら、順序よくひざまずいて拝礼したり、線香を供えたりして、じつに神聖な雰囲気であった。
正午近くになると、澳門の市街区にある紅街市へ赴いた。酔竜節の中心地である。午前に酔竜の舞をした人たちが、ご利益のあるというご飯「頭牌飯」を配るのだ。この日、頭牌飯をもらった人は、一年間は幸運に恵まれるという。そのため人々は長い列を作って、真剣な面持ちでじっと待っているのであった。 酔竜節の祭事のルーツは、広東省中山県の漁村にあった。海での漁が危険なので、まずは人々の団結と協力が必要となる。言い伝えによれば、毎年の仏誕日になると天上の竜が降りてきて、仏祖をお祝いするのだという。そのため漁師たちはこの日、酒を飲みながら竜舞で街を練り歩き、邪気を払い、福を招き、隊伍を団結させている。竜舞の踊り方も、酒を飲む量によってさまざまに変わる。歴史が移り変わるにつれて、酔竜節の発祥地ではその踊りが消滅してしまったが、ここ澳門では伝統的な風習がそのまま残されているようだ。
正午12時、竜舞の隊列が近づいてきて、頭牌飯を配りはじめた。隊列の中には、二人の小さな子どもが木製の竜を持ち、大人をまねて酒を飲みつつ竜を舞うしぐさをしていた。ただし、手に持っているのは酒ビンではなく、ミネラルウォーターのビンである。「酔竜舞」には後継者がいることがわかる。 午後2時、市の中心部にある議事堂前広場で、仏教関係者による浴仏儀式が執り行われた。澳門特別行政区行政長官の何厚カ氏も参列し、法師たちとともに仏祖銅像を載せた山車の前でテープカットを行った。その後、山車は広場を出て、市街地へと繰り出していった。
浴仏儀式は、広場に一時的につくられた日除けの中で行われた。釈迦牟尼の銅像三尊を祭った台の上で、和尚たちが経をあげ、仏像に三度叩頭の礼をした。礼拝が終わると、儀式を執り行う大法師が仏像にひざまずいて、清水で仏像を洗った。つづいて何厚カ長官も仏像に礼拝し、同じように清水で仏像を洗った。多くの和尚と信者たちは、列をつくって順番に「浴仏」していた。儀式は簡単そうでありながら、非常に厳かに執り行われた。 観光コースを離れて、ある横町で澳門庶民の生活をのぞいてみた。老舗の造り酒屋「永昌興記製酒厰」の門前で、主の馮璋さん(83歳)が話してくれた。「澳門の造り酒屋は、この一軒だけになりました。中国伝統の製法で、焼酎を造っています。おいしいですよ!」
作業場に入ってみると、まさにその通りであった。昔のままに薪を燃料として、大鍋で蒸留酒を造っている。こうした手作りによる伝統的な製法は、中国でも奥深い山村で見かけたことがあるだけだ。それがいまでも澳門に残っていようとは、思いもよらなかった。 神仏の絵や扁額がうずたかく積まれている「大昌木器彫刻店」には、二人の職人がいた。一人は仏像を彫刻し、もう一人は古い扁額の漆を塗り替えていた。扁額の文字から、それが百年前の清代の遺物だということがわかる。澳門は、来年にも世界文化遺産への登録を申請するため、多くの古い建築物に大規模な修繕を施していることを思い出した。 夜のとばりがおりた。街に出てみると、商店には依然として人が多い。澳門の特産を売る「手信店」(「手信」は澳門の方言で、土産物の意味。最近は特産物を指すことが多い)には、なお観光客が多かった。それにつられて、土産物を見繕うことにした……。
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