ブドウ栽培

侯文海さんが手に持っているのは摘み取ったばかりの「白牛ナイ」。喜びを隠せない
 9月、ブドウ収穫の季節がやって来た。侯文海さん(52歳)にとって一年中で最も忙しい時期になる。侯さんは河北省沙城(現在の懐来県)桑園鎮石門湾村の農民で、14歳から父親についてブドウを栽培している。沙城地区はブドウの名産地で、中でも最もいいブドウは桑園鎮産のものだと彼は言う。

 沙城地区は華北平原の北部に位置し、南北に山々が連なり、中央には官庁ダムがあり、最高海抜1977・6メートル、最低海抜394メートルの盆地である。大陸性モンスーン気候に属し、四季がはっきりしていて、日照もよく、日夜の気温差が激しい。5〜9月は農作物の生長期で、日夜の気温差は11〜12・4度になり、ブドウの生長に適している。

上海から駆けつけた徐さん(左)が桑園鎮で良質なブドウを選ぶ

 史書の記載によると、沙城地区のブドウ栽培は800年以上の歴史があり、明・清代には、ここで栽培された「白牛ナイ」「竜眼」などの品種が、毎年宮廷への貢物となっていた。

 ブドウの品質はよいのだが、昔はやはり穀物の栽培が主で、ブドウの栽培面積は小さく収穫も少なかった。収穫の季節になると、ブドウをかごに入れ、自転車で県都まで持っていって売ったが、収入も少なかった。

 1980年代、中国の農村は農家生産請負制を実行し始めた。侯さんも桑園鎮の多くの農民と同じように、自分が請け負った土地でたくさんのブドウを育て始めた。今では、桑園鎮のブドウはますます名高くなっている。毎年の収穫期には、全国各地から買い付けの商人がひっきりなしにやってくる。侯さんのブドウは、遠くロシアまで売られたこともある。現在、桑園鎮の農家は、年収の80%をブドウ栽培から得ている。

 今年のブドウは生長ぶりがとてもよい。桑園鎮を歩いてみると、道路の両側がブドウ園で、品種が異なり、色も違うブドウが目を楽しませてくれる。また、商人たちの大型トラックが、ブドウ園の近くに止まっている。

一生涯農民である侯さんは、ブドウ栽培によって手堅い家業を創建した。また、村人たちを豊かにしたので「ブドウ王」と呼ばれている

 侯さんのブドウ園には、大きな大きな房の「白牛ナイ」が枝をしならせてたわわに実っている。彼はちょうど数十人を指揮して、ブドウハウスにビニールをかぶせていた。気象台の予報によると、二日後に冷たい空気が雨や風をもたらすというのでそれに備えるためだ。このビニールハウスは雨や風からブドウを守るだけではなく、ブドウの生長を遅らせ、収穫期を延ばすことが重要なのだという。

 桑園鎮でブドウのビニールハウスを造ったのは侯さんの一家だけである。春節(旧正月)が近づいても、彼の家だけが新鮮な「白牛ナイ」を出荷できる。この時期は価格が通常の数倍に跳ね上がる。今は市場経済の時代なので、ブドウ栽培も市場の法則に合わせるのだと得意げだ。

 侯さんは研究熱心な人だ。小学校卒業程度の学力しかないが、積極的に新しい技術や管理方法を学んだり受け入れたりしている。今では、栽培や管理技術ばかりでなく、営業販売理念や方式も市場の法則に合わせるよう努力している。彼のブドウは右に出るものがないほどで、人々から「ブドウ王」と呼ばれている。

土木郷ブドウ生産基地の農民たちが、長城ワイナリーに醸造用のブドウを売り渡す

 桑園鎮の周辺は山が多く、夏にはしょっちゅう雹が降る。これは生長中のブドウにとって非常に大きな脅威となる。侯さんは何回もチャレンジを重ね、「防雹網」を発明した。雹が多い季節になると、ブドウ園の上に細いナイロンで編んだ大きな網をかぶせ、雹がブドウに直接あたるのを防ぐ。これは非常に効果的で、被害が少なくなった。

 彼が使い出した「防雹網」を、こんなに簡単で実用的な方法はないと、他のブドウ栽培の農民たちも真似るようになった。ある人は冗談で「すぐに特許の申請をするべきだよ」と言うほど。侯さんは「こんな簡単なものは見ればすぐにできるよ。どうしてみんなからお金が取れるんだい?」と言っている。

 長距離輸送においては新鮮さを保つことが非常に大切だ。1988年、侯さんは桑園鎮で初めて冷蔵倉庫を経営し始めた。遠くへ「旅」するブドウを冷蔵倉庫に入れて24時間冷やし、その後、保冷車で運ぶ。このようにしておけば、温度が比較的高い南方に着いた時も、まだ十分に新鮮だ。

 ここ数年、侯さんは冷蔵倉庫をさらに使いやすく改造したため、賃借りに来る人も増えた。ある人はブドウを冷蔵倉庫にしばらく置いておき、出盛り期が過ぎてから出す。その時には高価格で売れるのだ。

初めての「干白」

拡声器を持ち、40人の雇い人を指揮してハウスの上にビニールをかぶせる侯さん

 ブドウの品質がよいといっても、長い間、ここではそのまま食べるブドウだけを生産し、ワインを造ったことがなかった。

 1970年代中ごろ、中国農業科学院の専門家は沙城地区を視察した後、加工せずに食べる上質なブドウと、ワイン醸造用のブドウを栽培するのに適しているとの見解を示した。ここは北緯40度に位置し、世界的にブドウ栽培に適しているといわれる「黄金地帯」に属す。この「黄金地帯」の有名なブドウ産地には、アメリカのカルフォルニア、フランスのボルドーなどが含まれる。

 76年、沙城地区は国家のワイン原料生産基地に指定された。そして同年、当地の人々は自分たちで育てた「竜眼」から、沙城で初めての「干白(白ワイン)」を醸造した。これは中国でも初めての「干白」であった。

 83年、張家口地区長城醸酒公司、中国粮油食品輸出入総公司、香港遠大公司の三社が合資で、沙城に「中国長城葡萄酒有限公司」を設立した。

 これにより、当地の農民が栽培するブドウは大きな市場を得た。しかし、どのようなブドウからワインを醸造できるのか、ワイナリーはどのような品種のブドウを求めているか、ブドウはどのくらい必要か。このような問題は農民たちが個人で簡単に解決できるものではなかった。また、良質のワインを醸造するため、ワイナリーの原料に対する要求も非常に厳しかった。「ワインは栽培するもの。3割が醸造、7割が栽培にかかっている」からである。


 そこで、政府の協力のもと、長城ワイナリーは当地にブドウ生産基地を建設し、ワイン醸造に必要なブドウを専門的に栽培した。

 河北省土木鎮土木郷のブドウ生産基地には、大規模なブドウ園が整然と並び、低いブドウ棚には小粒で濃い紫色のブドウがたわわに実っている。ちょうどブドウを収穫していた顔志明さん(43歳)は、これは「赤霞珠(Cabernet Sauvignon)」という品種で、フランスのボルドー地区の名品であり、「干紅(赤ワイン)」を醸造するのだと教えてくれた。

ブドウの収穫期は桑園鎮の人々にとって最も忙しい時。各農家で収穫したブドウをそれぞれ車に載せて街まで運び、各地からやってくる買い付けの商人を待つ

 顔さんがこの基地のブドウ園を請け負ってからもう七年が過ぎた。もともとトウモロコシなどの農作物だけを栽培しており、5ムー(1ムーは6・667アール)のブドウ園を請け負ってから、ブドウの栽培を学んだ。

 かつては耕作不能状態の砂だらけの土地だった。土木郷と長城ワイナリーが共同で開拓し、前期の計画や土地ならし、井戸掘りなどの作業を全て基地側が担当し、その後、土地を農民に貸し、ブドウ栽培を請け負わせた。「赤霞珠」のような良質の苗は基地がフランスから輸入した。

 どのように栽培するのか、管理するのか。基地の農業技術専門家が農民にノウハウを教えた。栽培や管理の過程で問題が発生した時は、いつでも技術者に聞くことができ、収穫の季節になると、ワイナリーが基地のブドウを一括して買い上げた。

 技術者が指導してくれ、収穫期になっても自分で販路を探さなくてよい。これは「企業農家協同制」の経営方式と呼ばれる。顔さんはこれに満足している。彼が請け負う5ムーのブドウ園で年に約8、9000元の収入がある。少々不満に思っているのは、始めに基地と契約を交わしたとき、最低購入価格をはっきりさせなかったことだ。景気があまりよくないとワイナリーのブドウ購入価格が低くなり、自分たちの収入に影響するからである。

新しい嗜好品

河北省沙城にある長城ワイナリーの自動生産ライン

 ワイン醸造用のブドウ栽培は、これからどんどん発展していくとブドウ産地の農民たちはみている。中国のワイン産業は、ここ数年で急速に発展し始めたからだ。データによると、1994年から2000年まで、中国のワイン生産量は30%増で、消費量は61・8%増である。

 沙城の長城葡萄酒有限公司は20年以上の発展を経て、今では中国のワイン業界屈指の企業となり、「長城干紅」と「長城干白」は国内で知名度抜群のワインブランドとなった。現在、ここのワイン販売量は3万トンに達し、一部分はイギリス、ドイツ、日本、香港などの国や地域でも販売されている。

 一般の中国人の食卓にワインが上るようになったのはここ10年のことだ。1990年代から、開放された中国市場に、大衆が「洋酒」と呼ぶ外国のワインが出現した。その美しいパッケージ、非常に高い価格、「干白」「干紅」のような名称、これらは中国人の生活にまばゆいばかりの彩りを添えた。

土木郷ブドウ生産基地の農家が、ワイナリーへ出荷するために「赤霞珠」を収穫する

 今までずっと、中国人の食卓は白酒が主であった。ワインは祝いの時に、酒が飲めない人のために用意されるものだった。当時、人々はワインのことを「紅酒」と呼び、これは糖分を含んでいて甘く、子どもでも飲める代物だった。

 「干白」「干紅」の味は、大部分の中国人には馴染めず、すこし「苦(苦い)」で「酸(すっぱい)」がその第一印象だ。徐々に受け入れ始めると、新聞や雑誌で、ワインは血行を盛んにし、脈を通じさせるので、飲み続けると健康によいと紹介された。健康的とあって、たくさんの人がワインを試し始めるようになった。

優雅なレストランで食事をしたりワインをしたなんだりすることは、都市部の若い人々の間で流行になっている。

 健康概念の以外にも、ロマンティックな生活への憧れからワインに近づいた人たちもいる。「ブドウ園」この響きは、映画『雲の中で散歩(1995年・アメリカ)』のロマンティックなストーリーを思い起こさせる。北京市の近辺には、ワイナリーが建設したヨーロッパ式のブドウ園があり、ロマンティックな週末を演出している。ブドウ園を散歩したり、ワイン醸造の工程を見学したり、ワインを試飲したりすることができて、若い人々に受けている。

 北京市の東直門大街に「甜蜜生活」という名のイタリアンレストランがある。ここでは西洋料理と共に、イタリアやフランスのワインを提供している。客層はイタリア、フランス、日本などの外国の人だけでなく、一部分は中国人だ。これらの中国人の大半は、国外で勉強や仕事の経験があり、西洋の食文化に理解があるそうだ。ワインがわかる中国人がどんどん増えてきていると、店主の劉暘さんは感じている。

都市からの観光客は、沙城地区の容辰ブドウ園で、自らブドウ狩りをしたりワインを造ったりする

 大都市のデパートやスーパーマーケットには多くの種類のワインが置いてあり、値段の高い外国のブランドだけでなく、国産のワインも一本十数元から1、200元まで揃っている。一般の消費者の購買力に合わせるため、あるワイナリーはワイン瓶のガラス製からプラスチック製への移行を試みている。

 ワインを飲むことが一種の流行になってきているとはいえ、一般の人々にとっては飲み方やつまみの合わせ方など、まだ分からないことが多い。ある人はワインにスプライトを入れて飲む方法を「創造」したり、白酒と同じように「杯を手にしたら一気に飲み干す」ような飲み方をしたりしている。

 白酒文化が色濃く残る中国で、ワインが短期間で現状を変えることは不可能だ。しかしワインの参入は、中国人の生活に健康と文明の新風を吹き込んでいる。

 



 ▽ 現在、沙城地区のブドウ栽培面積は11万ムーに達し、年間生産量9万トン、品種は150種にのぼる。その中で、そのまま食べる品種の栽培面積は2万ムー、ワイン醸造用の品種は4万ムー、両者兼用の品種は5万ムー。4万戸近い農家がブドウ栽培を営んでいる。

 ▽ 現在、世界の一人あたりの年平均ワイン消費量は7.5リットル、中国はわずか0.5リットルで世界平均の15分の1である。

 ▽ 中国醸酒工業協会の予測によると、2005年、中国のワイン生産量は約50万トンに達する。

 ▽ 専門家の予測によると、2006年までにアジアのワイン消費量は16.4%増加し、中国は世界でワイン消費量の伸びが最も速い国となる。

 ▽ 現在、中国のワインブランドで有名なものは、河北省の長城葡萄酒(グレート・ウォール)、山東省の張裕葡萄酒(チャンユ)、天津の王朝葡萄酒(ダイナスティ)。ここ数年、各地でたくさんの新しいブランドが出現している。

 ▽ 北京市場では、1本20〜30元の低価格のワインが人気で、中価格のワインは50〜60元ほどである。

祝祭日になると、人々はよいワインを選んで親戚や友人の贈答品にする