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張春侠=文
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干し柿作りは貧困地域の農民たちに富をもたらす主な手段だ。(写真提供・左権県党委員会宣伝部) |
中国に長期の貧困扶助ローンを提供した世界銀行( )、貧困で学校に通えない児童を援助する希望プロジェクト、貧困層参加型の貧困扶助を推進した中国農業大学人文・発展学院の李小雲院長など、九つの機関と個人が第一回「貧困撲滅賞」を獲得した。これは、中国で昨年設立されたばかりの賞で二年に一度選出される。
多くの国家の場合、貧困をなくす活動は慈善団体が主に行っているが、中国は政府が主導している。一九八〇年代の中期から、全国で計画的、組織的かつ大規模な貧困扶助事業をスタートした。一九九四年、『国家八七扶貧攻堅計画』(二十一世紀までの七年間で、八千万人を貧困状態から脱却させる)を立て、二〇〇一年には『中国農村貧困扶助開発要綱(二〇〇一〜二〇一〇年)』を公布した。貧困扶助への国の財政資金も一九八〇年の十億元から二〇〇四年の百二十二億元に増加した。累計では千百四十七億八千万元に達する。
近年、貧困をなくすために社会が果たす役割は大きくなっている。一九九四年から現在まで、東部と西部地区の協力や国家機関の貧困地域に対する個別援助、慈善団体の寄付などにより、農村の貧困地域に七十億元に相当する現金と物品を寄付した。同時に、希望プロジェクト、私営企業家が貧困地域の発展を助ける「光彩事業」なども、貧困農村の教育、衛生、生産と生活条件を大きく改善させた。
二〇〇三年、農村で最低限の生活水準を保てない貧困層は、一九七八年の二億五千万人から二千九百万人まで減少した。貧困発生率も当初の三〇%から三%に下がった。二〇二〇年までに、貧困層の生活レベルを「小康(まずまずの生活)」にすることが目標である。
中国の貧困対策は依然として「任重く道遠し」である。社会の参与を推進するために、国務院(政府)の貧困扶助弁公室と全国工商業連合会は合意し、税金の免除や優遇策などによって、非国有企業が貧困地域の労働力に職を提供することを奨励している。
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