安徽省・南屏村
 
 
魯忠民=写真・文
千年の古民家たたずむ「菊豆」の故郷

 
奎光堂は、八大祠堂の中では規模最大だ。明の弘治年間(1488〜1595年)に建てられ、今から400年以上もの歴史をほこる。当時の葉家が四代目の祖先・葉奎公を祭った祠堂で、敷地面積は2000平方メートル以上。優雅で上品、迫力がある

 
   
  南屏村の朝

 
   
  「小洋楼」の屋上の亭は、村全体を眺望するのに最適な場所だ

 
   
  「小洋楼」旅館のおばさんが、手作りの家庭料理を客にふるまう

 
   
 

五方向に分かれる「交差点」。教わらないと、間違いやすい

 
 
 
 
尚素堂は八大祠堂の一つで、清代末期に建てられた。当時の流行が反映されて、西洋風に装飾された

 
 
 
  叙秩堂には、映画『菊豆』の中の染物家「老楊家染坊」をロケしたときのセットや道具が残されている

 
 
 
  葉家の支祠「奎光堂」の正門

 
   
  氷凌閣は二階建てで、二階からは邸内や遠くの山が一望できる

 
 
 
  民家の門や窓にほどこされた木彫

 
 
 
  程亜輝さん、韓栄さん夫妻が古式ゆたなか邸内で、古い民芸品を売っている

 
 
 
 
  祠堂の正門わきにある石造りの太鼓。美しく精巧な彫刻がほどこされている
 

 
 
 
 
石彫のある門楼
 

 1980年代末、中国の著名な監督・張芸謀は、映画『菊豆』を撮影するため、ロケ地の手がかりを本誌『人民中国』に探っていた。そして、当時掲載されていた安徽省イ県の「徽派建築」の写真を見たとたん、目の色を変えた。89年秋、張芸謀は、映画スターの鞏俐をはじめとする製作スタッフを率いて、安徽省イ県南屏村へ、ロケに出かけた。『菊豆』は、解放前の中国の染物屋を舞台にした人間の愛憎ドラマで、フランスの第43回カンヌ映画祭ルイス・ブニュエル賞(90年)など一連の国際賞に輝いた名作である。その後、美しい南屏村は有名になり、訪れる人は後を絶たない。ここはまた、「南屏村――『菊豆』の故郷」という観光用のキャッチコピーを打ち出して、その名をさらに国内外に馳せている。

 南屏村は、もとの名を葉村といい、千年以上の歴史をもつ古村落だ。元代(1271〜1368年)末期、葉という姓の家族が安徽省祁門県の白馬山から移転して以来、この村落を急速に発展させた。明代になると、南屏村はすでに大きな規模となり、葉、程、李の三つの家族で構成されるようになった。現在、村には合わせて300戸以上が立ち並び、千人あまりの人口がある。「縦横に交わる72本の路地、36の井戸、300あまりの明・清代の古民家がある」と称されている。南屏村は、前回の本誌2004年10月号で紹介した関麓村とはわずか2・5キロの距離にあり、同じく「徽派建築」に属するが、その風格には異なる特徴があるようだ。

 南屏村で「小洋楼」という旅館に泊まった。「小洋楼」は、じつは俗称であるそうだ。清代末期に、村のある豪商が建てた四階建ての建物である。木造・レンガ造りだが、もとの徽州民家の構造を大胆に変えて、ローマ建築のアーチ形の窓をとり入れたため、そう名づけられたのだという。

 さらに目を奪われたのが、屋上にある小さな亭だ。それは村全体を眺望するのに、最適な場所である。亭全体が木造で、広さは4、5平方メートル。周囲に手すりと長いすが設けられている。その昔、主人がここに友を招き、茶や酒を飲み、月を愛でては詩を詠んでいたのだろう。いかにも、くつろいでいた様子がうかがえる。ここから四方を眺めると、南屏村の大半をぐるりと見渡すことができる。遠くには青い山脈と黄色い花の咲く畑が、近くには白壁・黒い屋根瓦の民家、そして変化に富んだ「馬頭牆」(階段の形をした切妻壁)が見えた。まさしく、徽州文化独特の趣である。

 現在の「小洋楼」の主人は、1952年生まれの葉小竜さん。夫人は葉小瑛さんで、小竜さんより四つ年下。祖先は河南省南陽の人で、家系図によれば、59代目より南屏村に転居した。その後、小竜さんに至るまで、ここで22代も続いている。曽祖父、祖父はいずれも商人、父は小学校の教師であった。

 小竜さんはもともと大工だったが、98年に家族経営による旅館を開いた。朗らかな女将の葉小瑛さんは、「亭からの眺めは最高ですよ。世界文化遺産審査チームの日本人審査員や、イタリアの外相など内外の要人・専門家たちが村に来たとき、みんな屋上に上って景色を眺めたんですよ」と、自信たっぷり教えてくれた。

 南屏村で、人に最も深い印象を与え、なおかつ特徴のある建築といえば祠堂群だ。「イ県の旧習は、宗法(家父長制)を重んじ、姓(一族)ごとに祠をもつ。(それは)分派の別に、支祠となる」といわれる。村にはいまも八つの祠堂が保存され、そのほとんどが村の前方の長さ約200メートルの中軸線上に位置している。村全体が共同で祭る「宗祠」もあれば、分派の「支祠」もあり、また一家族や数家族の「家祠」もあるという。宗祠は壮大な規模であり、家祠は小さく精巧だ。それらは古風な趣や神秘的な色彩をもつ祠堂群となっている。

 葉家の宗祠は、「叙秩堂」とも呼ばれる。村の中心部にあり、敷地面積は2000平方メートル。ほとんどが明の成化年間(1465〜1487年)に建てられたものだ。正門の上に「欽点翰林」という金文字の扁額がかけられており、祖先の偉業を表している。祠堂の門楼(屋根つきの門)は高大で、その中には人の背丈ほどもある石造りの太鼓が一対置かれていた。精緻な彫刻がみごとなものだ。

 正門を入ると、この大建築を支える80本の太い柱が目に入った。外側から順に下、中、上の三つの広間があり、下の広間は音楽を演奏するところ。舞台で芝居をすることもできる。中の広間は祭祀の儀式を行うところ。上の広間は「享堂」で、本族(本家)の祖先の位牌が祭られている。中と上の広間では、数百人を一堂に集め、儀式を行うことができるのだという。叙秩堂は、張芸謀監督が『菊豆』のロケに使った主な場所だ。いまでも撮影当時のセットがそのままに残されている。壁には『菊豆』のスチール写真が掲げられ、堂内には布を染めたり、干したりした棚、布の巻き上げ機、染料穴などの道具や設備が配されている。「老楊家染坊」という扁額も、正門上部に掛けられていて、観光客の目を楽しませているようだった。

 南屏村の民家建築は、高い壁といりくんだ路地が縦横に交差している。路地を抜けると、なんとも神秘的な印象を受けるだろう。そして迷子になりやすい。いささか窮屈さを覚える狭い路地を抜けて、そのそばの門楼から中庭に入ると、目の前がパッと明るくなるような感覚を受ける。徽派建築は、高くて明るいという特徴がある。中庭によって採光し、封鎖された中に自然との調和を求めているのだ。広間や寝室、屏門(邸内の入り口などに設けられる、折りたたむことのできる屏風門)、閨房(女子用の居間)などは、それぞれ工夫が凝らされていた。室内装飾はほとんどが対称的で、家具が整然と並べられていた。

 小洋楼のそばにある「氷凌閣」は、徽派民家の特徴をじつによく備えた建築物で、200年以上の歴史をほこる。正門を入ると中庭だ。その庭の左に母屋が、右に円形の回廊がある。回廊は全体が木造建築で、「氷梅百鳥」(花鳥)を主とする精美な木彫がほどこされている。その正面は二階建ての木造建築で、二階はもともと閨房だった。二階からは邸内の全体像や遠くの山が一望できる。

 氷凌閣には程亜輝さん(38歳)と韓栄さん(33歳)夫妻、それと八歳の子どもが住んでいた。邸宅は韓栄さんの曽祖父が建てたもので、曽祖父はかつて「銭荘」(旧時の私営金融機関)を経営していた。ここ数年は南屏村への観光客が増えており、氷凌閣も観光スポットとなっている。夫妻はこの商機をとらえて邸内で店を開き、古い民芸品を売っていた。観光シーズンともなると、連日多くの観光客がやってくる。二人の素朴で温かな接待により、その商売もなかなか繁盛しているようだ。