茶芸文化の現状とこれから
|
現代の中国茶芸は、主に明・清代に成立した伝統的茶芸の基礎の上に発展し、再生しているといってよいと思います。1960年代から70年代にかけて香港・台湾で中国茶は一つのブームを迎えます。勿論このブームは、中国全体のブームではありませんでした。主に台湾の凍頂烏竜と福建省の鉄観音、香港の飲茶(ヤムチャ)におけるプーアル茶のブームだったのです。しかし、その間に、伝統的茶芸の改良として茶海と聞香杯が生まれます。 様々な試行錯誤はありましたが、この様な状況を背景として、1980年、台北市茶文化協会の発足に当たって発表されたものが今日の台湾茶芸の茶海双杯法、つまり従来の茶芸に茶海と聞香杯を加えた茶芸ということなのです。茶海は、飲むお茶の濃さを一定にできる茶器で美味しく飲むことができます。聞香杯は、青茶(烏竜茶)独特の香りを聞くのに適しています。その後、様々な改良を加えますが今日の中国茶芸、特に烏竜茶の茶芸の基本になっています。 このような台湾茶芸は、1980年代後半から90年代にかけて、改革開放の波に乗った中国経済の成長によって、中国全土に瞬く間に普及しました。特に青茶文化圏である福建省・広東省を中心に江南地区にひろまり、更に緑茶文化圏である内陸部にも普及します。その為、中国茶芸は台湾茶芸が、一般的な中国茶芸であると理解する人が増えたのです。
台湾茶芸の特徴は、凍頂烏竜・鉄観音などの青茶には適しているのですが、必ずしも他の中国茶に適しているとはいえない場合があります。たとえば、同じ青茶である武夷岩茶や鳳凰単 茶等は、包揉捻(茶葉を丸く揉むこと)していないため、茶則(茶葉を取り出すスプーン状のもの)で茶葉を茶缶から取り出すと茶葉を傷める場合が多く、あまり適しているとは言い難いのです。 このように、青茶でも中国茶の特長を生かすためには、茶葉によって工夫しなければならないと思います。ですから、従来の蓋碗によって淹れる蓋碗法を守っている人も多いのです。しかし、この台湾茶芸は、今や中国茶芸の中心になる勢いです。現に北京や西安等の地域や雲南省のように黒茶文化圏でも、多くの茶芸館でこの台湾茶芸は流行っています。 中国茶は非常に種類が多いため、様々な淹れ方があっていいはずで、青茶の淹れ方と緑茶や黒茶の淹れ方は明らかに違うと思うのです。全国の茶芸に特徴がないというと「地方ごとに様々な淹れ方はある」というかもしれませんが、中国茶芸は、1990年代に急速に普及したため、十分な茶芸が完成しているとは言いにくいと思います。 この様な状況が生まれた背景には、香港・台湾では文化的な面での発展が促進され、大陸では茶産としての様々なお茶の開発と生産が重視されたためと思われます。竜井茶や碧螺春・鉄観音などが高い生産技術で、美味しくなった一方、新たに開発された、高橋銀峰や安吉白茶など伝統的茶葉をしのぐ名茶が生まれました。同時に蒙頂石花や顧渚紫笋のように歴史的なお茶が復興しています。 清代末期に衰えた茶葉生産を現代中国において発展させることが、中国全土の茶産地で重要視されたので、現在の中国茶芸が台湾茶芸に偏っている状況が生まれたのではないでしょうか。中国で著名な茶研究者は、農業としての茶葉生産の研究者が多く、中国茶がブームを迎えてから茶文化の研究者が出てきたという状況のようです。今後、茶芸研究者が多く輩出され、各々の中国茶にあった茶芸が考案され普及することが期待されます。中国茶芸の神髄は、様々な茶葉の特性を生かし美味しく淹れることにあるからです。 中国茶と中国茶芸や茶文化がブームと共に一人歩きをしていることについて、1999年、中国労働及び社会保障部と中国茶関係の指導者(陳文華、余悦、鄭春英、李靖氏など)によって「茶芸師国家職業標準」が提案され、中国茶と中国茶芸において一定レベルを保ち、混乱を回避するための国家検定制度がスタートすることになりました。 2002年春には、第一回の認定試験が行われ、正式な発足は2002年9月でした。しかし、この「茶芸師国家職業標準」の本来の目的は、茶芸館や茶店などが個人の自由で開店され、説明や内容に不備がある場合が多いので、それを是正する職業訓練にあり、開店許可的な意味合いも強いのです。また、「茶芸師国家職業標準」が本来中国国内向けに考えられたものなので、中国茶文化を教養として身につけたい外国人には合っていない点があることも考えなければならない問題です。 今後は、国際的な中国茶の技術と知識・教養を向上させるための制度が不可欠な要素となってきます。この様な問題を解決するのが、2003年10月から始まった「中国茶文化国際検定制度」です。この制度は、私が中国の茶文化専門家たちと協力して始めました。中国茶文化の質的向上という点において重要な意味を持っています。歴史上高い文化的地位を築いてきた中国茶文化は、現在国際的にも受け入れられ、更なる飛躍を求めなければならないのです。
|
|