新東京支局長 林崇珍

 


 

   



 始めまして。私は林崇珍と申します。前任の張哲に替わって『人民中国』の東京支局に着任しました。

 福建省の山間部にある農村の出身で、北京外国語大学の日本語科を卒業し、『人民中国』に入社してまだ2年の新人です。24歳の若さで、独身です。これまでに日本に来たことはありませんので、まだ右も左も分かりません。どうぞよろしくお願いします。

 東京に着いてから、毎日が悪戦苦闘の連続です。とにかく地理がわかりません。東京支局は目黒区にあるのですが、どこに行くにも地図が必要です。

 北京で暮らしていたときは、道というものは東西南北に走っているのが当たり前と考えていました。けれども東京の道はくねくね曲がっています。行き止まりの道もたくさんあって、目的地に着くのはなかなか大変です。おそらく東京は、北京のように人工的に造られた都市ではなく、江戸の昔から自然に発展してきた都市のためなのでしょう。

 ある日、街の様子を知ろうと、わざと地下鉄の広尾駅から渋谷駅までを歩いてみました。広尾駅を出る前、駅員さんに渋谷まで道順を尋ねたら、やさしく、詳細に説明してくれました。私が外国人だとわかると、道順を書き込んだ地図を書いてくれたのです。

 それでも道に迷いました。狭い路地に入り込んでしまうと、まるでそこは北京の「胡同」(横町)のようで、右に曲がったり、左に折れたりしているうちに、方向感覚がまったくなくなってしまいました。

 そこで私は勇気を出して、商店に入って店の人に、渋谷までどう行けばいいか尋ねました。店の人は親切に教えてくれました。

 大きな通りにでると、そこには「明治通り」という標識がありました。この道はどこに通じるかがわかる道路標識もたくさんあります。地図と人の親切と道路標識、この三つに導かれて、私は無事に渋谷駅につきました。

 この体験から私は、これからもこの三つに頼って、日本を歩こうと心に決めました。大都会の人は冷たいと聞いていたのですが、意外にそうでもないことがわかってほっとしています。

 着任してから、日中友好団体や『人民中国』の読者の皆さんとお会いして、忌憚のないご意見をうかがうことができました。静岡県日中友好協会の『人民中国』普及部会や飯能市の三誌読者会、大和地区日中友好協会、中野区の「ギョウザの会」などにもうかがいました。

 どこでも読者の方々から中国に対する熱い想いや『人民中国』に対する期待をうかがい、とても感銘をうけました。

 『人民中国』の読者は次第に高齢化しているといわれます。『人民中国』はもちろん、若い人を含めさまざまな年齢層の人に読んでいただきたいのですが、しかし私は、日本に来てから、多くのお年寄りが元気に活躍しているのを見て、非常に感動しています。

 敬老の日のテレビ番組を通じて、日本のお年寄りが、みな生きがいを求め、日々を送っていることがわかりました。中国では男性は60歳、女性は55歳で定年ですが、日本では60歳を過ぎても仕事をやっている人がたくさんいます。

 朝夕、自発的に交差点に出て、ボランティアとして小学生たちの通学の安全のために働いているお年寄りもいます。近くにある目黒区区民センターでは、シルバーボランティア募集のコーナーがいつもにぎわっています。

 これは、同じように高齢化が進んでいる中国にとっても 、いい

 

見本ではないかと感じました。

 おぼつかない足取りで、私の東京生活はスタートしました。最近亡くなった本誌の創刊者の一人、康大川は生前、「『人民中国』は愛読者によって支えられている」とよく言っていたそうです。私のこれからの東京での仕事は、愛読者の皆様や街の人々の親切がなければ立ち行かないと感じています。