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張春侠=文・写真 |
1964年9月29日、中国人記者七人と日本人記者九人が、それぞれ東京と北京に降り立った。これは中日両国のメディア史における大きな前進であり、また国交正常化の実現に向かう道を切り開いた。 2004年の今日、中国外交部は釣魚台国賓館で中日記者交換40周年を記念する座談会を開催した。中国外交部の武大偉副部長と駐中国日本大使館の原田親仁公使、及び両国の歴代と現在の常駐記者百人近くが参加した。 武大偉副部長は、32年前の中日国交正常化の際、周恩来元総理に会った情景を思い起こし、「周総理は田中角栄首相との会談の様子を熱心に聞かせてくれ、特に『戦争状態の終結』の『終結』という言葉は日本語で何というのか、中国語の『認真(まじめ)』という言葉は日本語ではなぜ『真剣』というのか、と質問をされたそうです。私はその時、戦争状態の終結・国交正常化の実現に対する周総理の姿勢は非常に真剣で、大きな責任感を持っていると感じました。今日、このエピソードを紹介したのは、中日両国があの不幸な歴史から抜け出した瞬間や、両国の指導者と国民が中日関係に対して大きな希望を寄せていた気持ちを、みなさんとともに回想したいと思ったからです」と述べた。 初代常駐記者の代表――劉徳有・元『光明日報』記者と大越幸夫・元東京放送記者は、周恩来、廖承志、松村謙三、高碕達之助などの各氏が膠着した局面を切り開き、中日常駐記者の相互派遣を実現したことは、中日のメディア協力における大きな前進であり、両国民の相互理解に大きな貢献をしたと話した。 人民中国雑誌社の于明新社長は、「1953年6月、周総理、廖承志など政府指導者の配慮のもとに、日本語雑誌『人民中国』が創刊されました。創刊号の印刷部数はたったの3000冊でしたが、現在は固定読者数を万で数えるほどになり、広く47都道府県で読まれています。初代駐日中国人記者七人のうちの3人は、かつて人民中国雑誌社で働いていました。私は2回の日本駐在経験があり、延べ7年半の間に、日本人の中国人に対する深く厚い気持ちを切実に感じました。今年5月15日、小泉首相から『人民中国』を自費で定期購読するとの申込ファクスを受け取りました。弊誌を定期購読された日本の首相は、宮沢喜一元首相に続き二人目です。日本の政治家、国民が弊誌を通して、さらに深く中国そして中国人の感情を理解してくれることを期待します」と語った。
中日両国の参加者たちは、両国関係の現状と未来像、メディアによる貢献と現在の問題などについて討論した。様々な苦労を経て築き上げた現在の中日関係を大切にし、相互理解と友好関係を絶えず発展させるために、両国のメディアが積極的に役割を果たしていきたいとの意向を示した。 |