二〇〇八年のオリンピック開催が近づくにつれ、人々の関心はますます北京に集まっています。そこで、読者の皆様に様々な角度から北京を紹介するため、この連載をスタートしました。著名な作家である邱華棟氏がミクロな視点で北京を観察し、その変貌をここに綴ります。
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環状道路の交通量は非常に多い |
アメリカの都市デザイナー、ケビン・リンチ氏が『都市のイメージ』の中で、都市のイメージは五つの要素「パス(動線)、エッジ(境界)、ディストリクト(地区)、ノード(結節点)、ランドマーク(目印)」から構成されると述べている。私もその五つの要素から北京を観察してみた。その中の一つ「パス」から受ける北京のイメージはどのようなものか、ここに述べたい。
北京の道路はすばらしいと、住んでいる人も訪れた人も、みんなが感じている。交通状態が悪く、しょっちゅう渋滞になっていても、中国の都市の中で一番いい。ほとんどが全六車線、八車線の道路で広々としている。
首都である北京には、広くて四方八方に通じた道路が必要だ。都市計画によると七本の環状道路を開通させる予定。すでに五本が開通していて、残りの二本も今後四年の間に開通する。これに京石(北京―河北省石家荘)、京開(北京―河南省開封)、京瀋(北京―遼寧省瀋陽)、京津塘(北京―天津―塘沽)、京昌(北京―昌平)、京承(北京―河北省承徳)の各高速道路と北京首都空港高速道路を加え、環状及び放射状の交通網がすでに構築されている。このクモの巣のような交通網のおかげで、どこへ行くのもどこから来るのも便利になった。
道路は通過点であり終着点ではない。できるだけ速く、これが重要なことである。道路とは過程であり、私たちが必ず通らなければならない場所であり、留まるところではないのだ。
道路とはまた、データでもある。そこには、方向や距離、インターチェンジの標示など、様々な情報がある。私たちはいつも、これによって進んでいる。朝早く、出勤するために多くの人が道路に出る。彼らは人または車の流れとなり、道路をいっぱいにする。しばらくすると、静かになった。みんな目的地に着いたからだ。そうして渋滞は和らぐ。しかし、昼間である限り、人や車が行き交い、道路はずっとにぎやかだ。
道路を都市の血管と考えてみる。大通り、高速道路、自転車専用路、一方通行路、立体交差路、小道などがあり、四方八方に通じている。広くて大きな主要道路は動脈で、小道や横町は毛細血管だ。そして人や車はみなその中にいる。
都市のパワーは道路から窺い知ることができる。道路の端に立ち、忙しく通り過ぎる人の表情や車の型・速度を眺めているだけで、その都市のリズムがみえてくる。人や車は赤血球で、渋滞や事故を整理する交通警察は白血球とみなすことができる。
そのように北京の道路を眺めていたら、ここは琴(古筝)とロックのリズムが一緒になった都市だと感じた。速くもなく遅くもなく、時には速く、時にはゆっくりと、どちらにしろ前に進んでいる。
北京に暮らしていてありがたいことには、道路の東西南北の方向がはっきりしているので、道に迷わなくてすむ。方向さえわきまえていれば目的地にたどり着ける。また、道路が広大なので、道路わきにある高層ビルはあまり威圧感がない。
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公共交通を優先することによって、渋滞が緩和されている |
北京とは異なり、たくさんの高層ビルが両脇に聳え立ち、まるで峡谷のような都市もある。歩いていると圧迫感があり、自分がちっぽけなものに感じて卑屈になってくる。これは道路が狭いためだ。上海や香港、深ロレで私はこのように感じた。もちろんそれは、これらの都市のフェティシズム(物神崇拝)的な建築理念によるものかもしれない。通りにせり出したガラス張りのビルがそのフェティッシュ(物神崇拝の対象)であることがよく分かる。それらは私たちを支配し、心理的な威圧感を与える。甚だしいものになると、低俗な金色のガラス張りだ。
北京はこのような圧迫感がなく、建築物は通りから一歩ひいて控えめに建っている。広い大通りや噴水、緑地スペースが確保され、現実的にも精神的にもゆったりとしている。これは北京の魅力の一つといえる。人間本位で、決して拝物主義ではない。
都市を構成する要素がはっきりしていることは、ひとつの個性といえる。個性があるから、私たちはその都市を記憶する。要素が明確であることで、深く印象に残り、美しいと感じる。
北京の美しさの一つは、道路にある。私は道路に出るといつも、夢中になって観察し、期待とともに歩みを進める。
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