木と石と水が語る北京@   歴史学者 阿南・ヴァージニア・史代=文・写真
太古から続く樹木
 
 

悠久の歴史を持つ北京。この都市の一木一草にも、路傍の石にも、また流れる水にも、さまざまな物語が秘められている。北京に長く住み、母国語の英語のほか日本語、中国語も堪能で、中国の歴史に造詣が深い阿南史代さんに、独特の視点から北京を語っていただこう。そこからまた、新しい北京の姿が見えてくる――編集部

 

 北京の古跡を訪ね歩いて得られる最大の収穫の一つは、多くの堂々たる太古の樹木に巡り会えることだ。ほとんどは寺領であったり、皇室の離宮であったりした場所に残されている。このような場所では、樹木は数世紀にわたって大切に敬われ、保護されてきた。以前そこに何があったかを伝えるのは、それらの樹木だけということもよくある。

 北京近郊の寺院を調査するとき、いつも私に挨拶してくれるのはこうした樹々だ。時として立派な松の木立が谷の奥深く望見できれば、他に何も残されていなくても、人はその松の木立が特定の場所の記憶をとどめていることを知る。

 北京一帯には、29種にのぼる樹齢300年以上の樹木が6000本以上も生き残っている。最長寿の樹木は、多種の桧や松といった常緑樹である。イチョウ、沙羅、槐などの落葉樹もまた千年以上生きている。このような高齢の樹木は敬われ、また超自然性を具えていると考えられている。この種の樹木は寺院、宮廷庭園、墓所などに選ばれる。一方、一般家庭の樹木としては花の咲くアカシアや、ナツメや柿といった実のなるものが選ばれるようだ。

 壮麗な樹木は市内や近郊に散在し、北京の過去の地図を成している。こうした場所を訪れると、これらの樹々が話せるものなら、きっとこの都市の歴史にまつわる、胸のときめく物語を語るだろうとよく感じる。これらの樹木とのこれまでの出会いを読者に伝えることは、とりもなおさず樹木に語らせ、その存在を認知させることになるだろう。

 例えば、中山公園(訳注:故宮の南にある孫中山を記念する公園)にあるがっしりした桧は2列を成して、10世紀遼代の興国寺跡へと導いてくれる。この場所は後に社稷壇と合併した。これほど幹周りの太い樹木は市内ではまれである。今でこそ、ここは人出の多い公園だが、樹木を見ればかつては聖なる参道であったことがわかる。風雪に耐えた樹木の力強さは畏敬の念を起こさせる。

 同様に、地壇もたくましい桧の樹に囲まれている。朝の運動の一環として、人々はよく樹々の周りを巡り、その強い生命力から「気」を取り込もうとしている。多くの樹の幹には、長い歳月、人々が触れてきたために、きれいに磨きこまれたコブがあり、凝った背中や首筋をこすりつけられて金茶色に輝いている。樹木のほうでもマッサージされたと感じたに違いない。ますます健康そうになっている。

 北京の老樹には強烈な個性がある。市内、郊外を問わず、巨木は敬いの対象となり、皇帝や地元の人々から「皇帝の樹」「桧の帝王」「馬つなぎの樹」などという愛称を与えられている。これは歴史の生きたシンボルを讃える方法としてすばらしい。

 また樹木の名前は、その形態を表しているものが多い。例えば「臥龍松」は文字通り枝を広げ、「香炉桧」は、2本の枝が丸い幹につけられた取っ手のように見える。労働人民文化宮には、「振り返る鹿」を思わせる曲がった桧の老樹がある。

 北京は何世紀にもわたって首都であったため、さまざまな風変わりな樹木を誇っている。宮廷や僧院の園丁たちは、故意に枝を刈りこんだり、あるいは美しく裾を広げて特異な形を造りあげたりした。珍しい樹皮の模様や、地上に張り出した根の造形を観賞するために植えられたものもある。

 

 不幸なことに、かつて北京地域を覆っていた広大な森は、歴代の王朝による壮麗な都市建設のために大量に伐採され、無残に死に絶えた。これは徐々に環境を変えていった。今日でも都市部の拡大により、生き残った樹木は危機にさらされている。

 1976年に中国を初めて訪れたのが、私と北京の老樹との最初の出会いだった。節くれだった桧と松の大木が、市内から明十三陵まで旧道に沿って並んでいた。それは神聖な並木だった。

 1983年に再び戻ってきたとき、また同じ道を車で走ったが、ショックを受けた。大木は道路を広げるために根こそぎにされているところだった。樹齢500年の古木の切り株が、道路沿いにずらりと転がっていた。

 現在、北京では、一致協力してすべての老樹を保護しようとしている。樹木の周囲に柵を張り巡らし、色分けした金属板に公式番号を付けて、樹皮に打ちつけ識別している。樹齢百年以上の樹木は第2級、300年以上は第一級である。

 林野局がこのように樹木の追跡調査をしているので、かつて樹木を保護していた寺院が無くなっても、樹木は遺産として認定される。周囲が取り壊されても、伝統的な四合院(訳注:中庭を四つの建物で囲む中国の住宅様式)の老樹は残されることもあり、新しく生まれ変わった地域を美化するものと期待したい。

 さまざまな種類、樹齢、形の北京の樹は、私たちと過去とをつないでくれるだけではない。樹木や神聖な場所を次の世代へ残さなければならないことにも気づかせてくれる。未来世代はこれに感謝し、楽しむことだろう。老樹すべてに愛称をつけてはどうだろうか。(訳・小池晴子)

 

 
 
     
 
筆者紹介
阿南・ヴァージニア・史代 1944年米国に生まれ、1970年日本国籍取得、正式名は阿南史代。外交官の夫、阿南惟茂氏(現駐中国日本大使)と2人の子どもと共に日本、パキスタン、オーストラリア、中国、米国に居住した。アジア学(東アジア史・地理学専攻)によって学士号・修士号取得。20余年にわたり北京全域の史跡、古い集落、老樹、聖地遺跡を調査し、写真に収めてきた。写真展への出品は日本、中国で8回におよぶ。
 

  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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