『古井戸』の村に贈られた日本酒
 
                                               蒙双忠 

日本から送られた清酒を手にして喜ぶ張福和さん(写真・ケイ蘭富)

 長野県大町市に住む読者の北澤久輝さん(80歳)は、本誌2004年2月号の特集「『貧困の山』を移す闘い」を読んで、感慨を深めていた。撮影者のミマ蘭富さんが写した写真「『古井戸』の村に待望の水がやってきた日、村は喜びに沸いた」(同号13ページ、同村は中国映画『古井戸』のモデルとなった山西省左権県拐児鎮の石玉 村)に見入り、ある思い出をよみがえらせたのである。

 「水がきたぞう……。(それは)百万仏の笑顔と言おうか。少なくとも150年来、水を黒水潭から担いだ苦しみ、親子二代にわたり掘り続けた古井戸、日常の飲み水のために払ってきた多大な犠牲――そうしたものからようやく解放された瞬間だ。待望の水は容赦なく老人の顔にも手元にも飛び散ったことだろう。黄金にも思えるこの水滴、どんなにか待ち望んだ水。苛酷な長い道程も一気にふきとび、村を上げて喜びに沸いた。見るからに微笑ましいこの光景。ケイ蘭富さんに心より敬意を表したい。私も57年前、新しい村のために流れを引いた者の一人として、感激一入なるものを感じます。できたら、この同年輩の老人に日本酒の一升でも送りたい。水の来たお祝いにと考えています。……」(北澤さんの読者アンケートより)

 このアンケートを受け取った本誌読者係らは、北澤さんにケイ蘭富さん(拐児鎮鎮長=町長)の住所を伝えるとともに、「航空便で酒を郵送していただくには、大変な手間がかかります。僭越ながら『古井戸』村の老人たちを代表して温かなお気持ちをちょうだいし、感謝の意を表します」という返事を出した。

 しかし、北澤さんは「お酒を差し上げないで、どうして気持ちを表せるだろうか」と再度、当社あてに次のような手紙を送った。

 「正直言って、私も50年前に野原を切り開いて新しい村作りに挑戦しました。飲料水の確保に苦労し、小川から庭先の仮池に水が流れ込んだ時の感動や喜び、それが貴誌のあの光景を見て、自分のことのように鮮明によみがえったのです。おそらく近くにいれば、一升を持ってお祝いに駆けつけたと思います。そんな他愛もない私の真情をおくみとりください。お願いですが、私の気持ちの日本酒を貴誌あてに送りますので、山西省左権県拐児鎮 ケイ蘭富様まで送ってください。そしてあの笑顔の老人に、ほんの一杯でも祝い酒を味わってもらいたい。これは私の日本の友人としての気持ちです」

 北澤さんは、この手紙とともに日本酒を当社あて航空便で送った。当社の担当者らはさまざまな手続きを経て、その酒を張福和さん(75歳)の手元に届けた。張さんは目に涙を浮かべながら、次のような手紙を代筆してもらったという。

 「私は何のとりえもない老人です。一生をかけて井戸を掘りつづけてきました。一枚の写真によって、北澤さんが日本からわざわざお祝いをお送りくださり、何とお礼を述べてよいやらわかりません。私はこれまで写真を撮られたことがありません。水が通るその日、ミマ鎮長に、このホースを持って水を放ってくださいと頼まれたのです。その時、何世代もの人々が待ち望んだ貴い水が放出されたのを見て、私の心は蜂蜜よりも甘く感じられました。北澤さんとはお目にかかったことはありませんが、ご心配くださりありがとうございました。私はあまり読み書きができません。気持ちをうまく伝えることもできません。しかし、ここに北澤さんのご健康とご長寿を、心よりお祈り申し上げます」

 二人は差し向かいで酒を酌み交わしたわけではないが、彼らの心は時空を超えてしっかりと結ばれた。互いの体をいたわりあって、その真心を酒に託したのであった。


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