◆あらすじ
蘇麗珍と別れた後、記者をやめ作家になった周慕雲は出会う女たちにもついつい蘇麗珍の面影を求めてしまう。シンガポールの賭博場で負けがこんでいたのを助けてくれた黒蜘蛛と称する謎の黒手袋の女は何と名前も蘇麗珍という同姓同名の別人だった。麗珍との思い出の2046号室を求めて、安宿に住もうとするが、その部屋は顔見知りのダンサー、露露が男に刺されたため清掃中。仕方なく向かいの2047号室に住むと、白玲が入居してくる。白玲との恋愛遊戯は白玲がだんだん本気になってきたので煩わしくなり、冷たく突き放す周。
宿の主人はハルビンから流れてきた元テノール歌手で、年頃の娘との悶着を客に聞かせたくない時は、大音響でオペラの歌曲を宿中に響かせる。長女の靖ブンは日本人の駐在員と恋をして父親に反対されている。清純そうだった次女の潔ブンも男と出奔した。相手の日本人が帰国後、病気になった長女が退院してきて、周が作家だと知ると自分の習作を読んでくれという。彼女の才能に気づいた周は彼女を助手に使ううちに、だんだん心惹かれていくのに気づく。だが、靖ブンは親に隠れて文通していた日本人と結婚するという。周が書いた近未来小説は『2046』といい、そこにはアンドロイドとなった靖ブンや露露が登場する。
◆解説
王家衛と私は同い年。だから、王家衛の60年代へのノスタルジーがよく分かる。幼かった私たちの目にも母親やその友人の女性たちが最も美しく魅力的に映った時代。醜悪なミニスカートが登場する直前、女たちがウエストをキュッとしめたデザインのツーピースやワンピースを着て、ハイヒールを穿き、髪はアップに結ったり、ボリュームのあるバブルカットにしていた頃。周が書いているSF小説の映像も60年代に想像した未来なので、どこかノスタルジックで、『鉄腕アトム』の漫画のような未来都市香港や、成熟したウランちゃんのようなアンドロイドたちが出てくる。そして、チャン・ツィイーやフェイ・ウォンの造型は、リカちゃんが出てくる前に、私たちが熱狂した大人っぽいヴィンテージバービーにそっくりだ。王家衛には絶対に姉妹がいて、家にはバービー人形があったのではないかと私は疑っている。
『花様年華』もそうだったが、この映画には40年代に上海で活躍した作家・張愛玲の亡霊が潜んでいる。周慕雲は張愛玲の小説に繰り返し登場する、女にだらしのない、だが女がどうしても惹かれずにはいられない男や張愛玲自身が愛した男、胡蘭成の面影があるし、ネオン看板に半ば隠れた屋上で身を乗り出す白玲や靖ブンとそっくりな構図の張愛玲のスナップを彼女の写真集で見たこともある。白玲が張愛玲の小説の女主人公であるなら、小説の習作を書いている靖ゥはデヴュー前の張愛玲自身のようだ。違うのは、それが上海ではなく香港であるということだけ。もっとも上海出身の両親を持ち、幼い頃に上海から香港にやってきた監督の少年時代の香港の上海人社会は濃厚に戦前の上海の雰囲気を残したものであったに違いない。
◆見どころ
円熟味を増し、まさに脂の乗り切った中年男の色気と美しさを感じさせるトニー・レオン。『HERO』では頬がこけて、少し痩せすぎだったのが、この作品では適度に肉がつき、ポマードで固めたヘアスタイルとコールマン髭は東洋のクラーク・ゲーブルと言っても過言ではない。私の好みはどちらかと言えば北方の男なので、小柄な彼を今までは特にいいとも思わなかったのだが、私の周辺にトニー・ファンの女性が実に多いのも、さすがに今回はなるほどと納得。演技もおそらくこれまでで最高の出来だろう。演技していると感じさせず、自在に喋り、女をたぶらかし、そこに生きているトニー。カンヌ男優賞を取った『ブエノスアイレス』以上の出来なので、『誰も知らない』の柳楽優弥君に男優賞が与えられたのに不満だったと伝えられるのも両方観た私には実によくわかる。
女優陣ではチャン・ツィイー演じる、すれっからしのくせにどこか純な気持ちを持っている女がよかった。王家衛は張芸謀よりチャン・ツィイーの本質をつかんでいるのではないだろうか。少なくとも、彼女は『HERO』や『LOVERS』よりずっと色気があった。そしてフェイ・ウォンも他の監督の映画やテレビドラマでは全然ダメで、ただのでくの坊なのに、王家衛作品でだけ輝く。王家衛はやはりただものではない。
それにつけても、我らがキムタク…。彼については言わぬが花か。
水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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