◆あらすじ
子供の頃、カンフーの教義書を浮浪者に売りつけられ小遣いをまきあげられたシンは、その教訓から強くなるために悪を目指しチンピラになる。冷酷非情なギャング集団斧頭会の下っ端となり、豚小屋砦と呼ばれる貧民窟の貧乏人たちを立ち退かせるよう命じられるが、何とこの豚小屋砦の住人たちはパッとしない外見とは裏腹に、揃いも揃ってカンフーの名手揃いで、逆に叩きのめされてしまう。斧頭会の組長は、古琴を奏でると、その波動が矢となり人を殺すという必殺の刺客を送り込み、貧民窟の英雄たちは次々に刺客の手に倒れていく。そこで立ち上がったのが、普段は住人たちを踏みつけにしている豚小屋砦の業突く張りの大家夫婦。実はこの夫婦は武侠界の伝説のカップル神雕侠侶の成れの果てだった!
斧頭会はとうとう隠し玉の殺し屋を繰り出す。その男こそは幼いシンから金を巻き上げた浮浪者だった。殺し屋との闘いでついに力尽きた大家夫婦に代わり、なぜか突然、正義と潜在能力に目覚めたシンは殺し屋との死闘の末に勝利し、幼い頃の初恋の相手、聾唖の美少女のためにキャンディーショップを開店し、人々の幸せのために生きる決意をする。
◆見どころ
コメディだからとあなどっていると、そのアクションと撮影技術に驚かされるのは『少林サッカー』と同じ。今回のアクションの数々も思わず爆笑してしまう奇抜なものながら、その特撮には相当のお金と時間がかかっていることは間違いない。何しろ、アクション指導は『グリーン・デスティニー』『マトリックス』のユエン・ウーピンと70年代80年代のカンフー映画の第一人者サモ・ハン・キンポーなのだ。ぎゅっと詰まった高水準のアクションの濃度は、むしろ『HERO』や『LOVERS』をはるかに凌ぎ、やっぱり武侠映画の本家本元は香港だなあと思わせる。
『HERO』を絶対に意識していると分かるのは琴の奏者が波動の矢で人を殺していくシーン。これはもう『HERO』冒頭の琴の音をバックにジェット・リーとドニー・イエンが意識の闘いを繰り広げるシーンと、秦の兵士が放つ矢の特撮シーンをまとめてパロったものに間違いない。『HERO』のいわば白眉とも言える大真面目なアクションシーンを笑いのめす精神は、いかにも周星馳、いかにも香港映画である。ここに中国映画と香港映画の本質的な違いがある。
でも、ちゃんと、中国映画も立ててはいるんですよ。中国エンターテインメント映画の巨匠馮小剛をゲスト出演させているんだから。まあ、その役柄は立てているのか、おちょくっているのか、微妙なところだけど。
その馮小剛の台詞。私はまず冒頭のこの台詞で大笑いしました。
◆解説
武侠と言えば金庸。この映画も実は金庸の小説を下敷きにしている。何でも8個所、金庸の小説から引用された部分があるとかで、周星馳が原作者に許可を求めてきたため、冗談で「1箇所につき1万払ったら?」と言ったところ、すぐに払い込んできたという。自作の映像化の出来にはうるさい金庸が『カンフーハッスル』には満足していると伝えられるのは、あまりにも原作とかけ離れた破天荒な話になっているからか。
でも、同じく金庸小説を換骨奪胎した王家衛(ウォン・カーウァイ)の『楽園の瑕』にはいたくご不満だったらしいので、この作品が一見荒唐無稽でありながら武侠小説の精神を伝えているところに合格点がついたのかもしれない。金庸ファンでない私には8箇所というのは分からなかったが。
豚小屋砦の貧民たちの中にすごい武功の使い手が隠れていたという設定は、『射雕英雄伝』の洪七公率いる乞食党をもとにしているのは明らかだし、不細工な夫婦が実は『神雕侠侶』の主人公である楊過と恋人の小龍女という美男美女の数十年後だった(『神雕侠侶』は元代が舞台で、20世紀前半が舞台のはずのこの映画とは全然時代が違うじゃん、まさに「ありえねー」なのだが)というオチが暴かれるシーンでは、さぞや中国や香港では観客席が大爆笑の渦となったことだろう。東京国際映画祭でのプレミアでも一部の熱狂的武侠ファンが盛んに拍手していた。
そして、この映画は単なるパロディにとどまらず『射雕英雄伝』『神雕侠侶』が主人公の青年の成長譚になっており、何者でもなかった主人公が英雄たちとの出会いによって、だんだん己の真の力に目覚めていくと同時に人間的にも成長していくというテーマをも、きちんと踏襲している。周星馳は意外と真面目な人なのかもしれない。
水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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