[特別寄稿]

 
 
中国語講座の陳真さんを偲ぶ
命つきるまで蒔きつづけた 友好の種
 
                      元北京放送局アナウンサー 鄭友恵(アナウンサー名・鄭湘)

北京放送局(中国国際放送局)の元アナウンサーで、NHK「中国語講座」の講師としてもよく知られていた陳真さんが1月4日午後7時12分、北京市内で亡くなった。享年72歳だった。

ラジオやテレビの講座を通して、中日友好と両国の相互理解を深めるために「かけ橋」となって活躍された陳真さんのご冥福をお祈りし、生前の陳真さんをよく知る元北京放送局アナウンサー・鄭友恵さんに、お悔やみの言葉を寄せていただいた。 (編集部)


2003年12月、自宅でくつろぐ陳真さん(写真・王小燕)

 朝、うちの電話のベルが鳴る。「もしかしてチビちゃん(陳真さんの愛称)かナ?」という思いが一瞬頭をかすめる。そんなはずはない。陳真さんはもう逝ってしまったんだもの……と悲しみがキュッと胸をしめつける。

 生前、陳真さんからは朝早くによく電話がかかった。「おてい(私のこと)? 今いい? 燦燦(私の孫娘)に聞いてくれる? 今、小学校でピン音のお勉強は一年生の時だけ? 二年生になってもまだ教えているかしら?」

 「もしもし、おてい? 思い出してほしいんだけど、お宅の娘さん、子どもの頃、何して遊んでた?」とこんな具合である。

 病気療養中は(仕事は)午前中だけ、という陳真さん。朝早くからもう仕事である。どんな小さいことでもきちんと裏を取り、ムツカシイことはもちろん辞書をくり、資料を調べてからでないと原稿には書かない。

 30年間、北京放送で一緒に仕事をしていて、私が一番敬服しているのは、仕事に対しての、このキビシサである。仕事においては自分に対してだけでなく、他人にもきびしい。私など調べるのを怠けてつい「生き字引」の陳真さんに聞いてしまう。そうすると「〜辞典の〜項目のところに出ているはずだから、自分で調べてごらん、自分で調べると記憶に残るものよ」とたしなめられる。若いスタッフなど度々しぼられてフーフー言っていたが、陳真さんのきびしさには早く成長してほしいという愛がこめられていて、心地よかったとも言っていた。

 きびしいだけでなく、陳真さんにはこんな面もあった。いつだったか、私が「あなたは本当に仕事の鬼ね」といったことがある。すると「あら、言っちゃー何だけど、こんな可愛いオニがいる?」と彼女。「それじゃあ、チビちゃんだから仕事の虫ね」と私。「虫は虫でもてんとう虫くらいがいいナー」と彼女は「仕事の虫」を受け入れて、うれしそうに笑っていた。

 4年前、ガンの診断が下った時も、「おてい、私胃ガンなんだって」とあっさり言って、私を驚かせた。「ガンだって病気の一種でしょう。それに、もし肺炎だと言っても、誰も大さわぎしないでしょう」とあっけらかんとしていた。

 私は内心、皆の気持ちを気遣って、強がりを言っているのではないかと思った。しかし、胃の切除という大手術をしたあとの陳真さんの生活態度は見事であった。ガンの苦しい治療に前向きに取り組みながらも、NHKの講座の仕事、原稿の作成、訳本(『君よ 弦外の音を聴け』)のチェックなどを精力的にこなしていた。私は放送局の社宅に住んでいて、陳真さんの家とはすぐ近くなので、この訳本チェックの読み合わせに度々出向いた。私が日本語訳を読み、陳真さんが中国文を見ながらチェックをする仕事だ。

 読み合わせが一段落すると「おてい、ちょっとこれみて」と部屋やベランダに置いてある花自慢がはじまる。次に行った時には、夫婦で海南島を旅した時のアルバムのご披露。アロハシャツを着て、とても幸せそうな陳真さんがそこにいた。次の時は、上海へ「逆さまつげ」を治す手術に行った時の話。そしてその次は……と彼女の生活はとても充実していた。

 思えば17歳で北京放送局に入ってから、72歳で命つきるまで、陳真さんは「中日友好のかけ橋」としての四十数年間、北京放送局とテレビ局での日本語講座と、中国人に日本語を教え、日本人に中国語を教えるという事業に没頭した。陳真さんが入院直前まで、いや入院を遅らせてまでやりとげた仕事、それはNHKの中国語講座の原稿だったと聞く。

 読者の中には、中国語講座の視聴者もいらっしゃるかと思う。

 「朋友們、ニイ們好、みなさんこんばんは」とにこやかに話しかける陳真さんだが、映画『大地の子』のお父さん役で知られる朱旭さんの表現豊かな寸劇や、楽しいスキット『ミンミン 心の旅路』の時に涙をさそう共鳴感など、大量の素材の取捨選択の苦労は、並大抵のものではなかったと思う。

 しかし、「中国語を教えるということを通して、中国の文化を紹介し、中国を理解してもらいたい。理解が深まれば、心が通じあい、両国の人たちは仲良くつきあってゆける」という戦争と平和の道を歩んだ者のみが持つ信念が、講座のすみずみに表れていたのではないだろうか。この信念と責任感が命つきるまで友好の種を蒔きつづけさせたのだと私は思う。

 お別れの朝はとても寒かった。花びらに包まれた陳真さんの襟元に、私はリスナーからいただいた一枚のハンカチをそっと置いて「チビちゃん、これはね、北京放送のリスナーと陳真先生の中国語講座をこよなく愛してくださった視聴者からの献花よ。ほら、草染めの菊の花がいっぱい咲いていてきれいでしょう」と説明してあげた。

 陳真さんが蒔いた友好の種は、もう芽をふき、花を咲かせている。そしてその花は実を結び、また種となって、次々に花を咲かせることだろう。

 チビちゃん。もう原稿に追われることもないから、「おてい?」って電話もかけてくれないのよね。淋しくなるわぁ。

 あなたは、大好きなお花の中で、どうぞ安らかに安らかにお眠りください。


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