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王浩=文 魯忠民=写真 |
中国の内陸部、長江に面した重慶は、人口3200万人。世界で人口がもっとも多い巨大都市である。 8年前に中国第4の直轄市になってから、経済の発展は目覚しい。 2000年に中国政府が「西部大開発」の発展戦略を打ち出して以来、その牽引車の役割を果たしている。 外資が次々にやってきて国際化が進み、今年10月には第4回アジア・太平洋市長サミットが重慶で開催される。#AAC6BC しかし、巨大な人口圧力、経済基盤の弱さ、交通の不便さなど、この都市の抱える問題もまた多い。 その中で、人々は毎日を懸命に生きている。 激しく変わり行く重慶の素顔を紹介する。 「棒棒軍」が支える市民の生活 |
長江を行き来する客船の多くは、重慶の朝天門埠頭に泊る。昔、ここは天子を迎えた埠頭なので「朝天(天子に拝謁する)門」という名が付けられた。 早朝、この朝天門埠頭に、5、6人の男たちが数個の大きな貨物の箱の上に座っていた。船が着いたらこの貨物を船に積み込むのだ。彼らの多くは3、40歳で、質素な服を着ている。皮膚の色は黒ずみ、痩せている。 船が岸に着くやいなや、彼らは先を争って乗客の荷物をとりに行く。そして乗客の荷物を担ぐと、飛ぶように運んでゆく。 彼らはいつも一本の竹の天秤棒を持っているので、地元の人から「棒棒」とか「棒棒軍」とか呼ばれている。だいたい20万人いるという。近年、その数は絶えず増加している。 王志祥さんもその中の一人である。重慶市テン江県の人で、今年45歳。「棒棒軍」になってから2年になる。それ以前は、村の人とともに建築の出稼ぎに行っていた。しかし、市場競争が激しく、1年間、金を稼げなかったこともあった。 王さんには2人の子があり、小学校に通っている。生計は、わずかな耕地からの収入以外はほとんどすべて、彼の稼ぎにかかっている。王さんは生活のため、重慶に来て「棒棒軍」になったのだ。
重慶の「棒棒軍」は大きく分けて二種類ある。一つは会社に入って、会社が手配する仕事をする。もう一つは、自分で仕事を探す。王さんは会社に入る道を選んだ。「こちらの方はいつも仕事があり、毎月の給料もわりに保障されているから」と王さんは言う。 「棒棒」の仕事はきつい。王さんは毎朝、6時か7時に埠頭に来て、貨物を運ぶ。仕事は日が暮れるまで続く。船が遅れたりすると、何時に家に帰れるか分からない。 王さんの言うには、「棒棒」の仕事は簡単なように見えるが、誰にでもできるという仕事ではないそうだ。この仕事を始めたばかりのころ、王さんはこの仕事は自分に向かないと感じた。仕事がきつく、違う荷物を運ぶのに、それぞれ違う運び方をしなければならないからだ。少しでも荷物を破損すれば、客から文句を言われる。王さんといっしょに来た数人の若者の中で、すぐ辞めていった者もいる。 春節で村に帰ったとき、王さんの妻は、「棒棒」の仕事はきつ過ぎるから辞めてほしいと勧めた。だが、それでも王さんは重慶に帰ってきた。 王さんの毎月の給料は700元(約1万円)余りだ。食事とタバコなどの生活費以外、毎月400元余りを家に送金できる。だから彼は満足している。
彼の住んでいるところは、埠頭から遠くない。6人で一部屋を借りている。重慶に来てからまだ一度も重慶の街中に行ったことがない。 しかし王さんは「棒棒軍」の仕事に誇りを持っている。重慶は山に沿って発展した都市で、道路は険しくデコボコだから、人々の生活には「棒棒軍」の助けが必要なのだ。「棒棒軍」は、引越しや外出から買い物まで、重慶の人々の生活に深くかかわっている。 「俺たちだって重慶に貢献している」と王さんは胸をはった。 |
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