「踊る精霊」楊麗萍が創り上げた
『雲南映像』の感動
 
                                          張春侠=文 楊振生=写真 

第4幕「祭火」。楊麗萍のソロと群舞(写真・楊志鋼)

 有名な舞踊家である楊麗萍が演出し、自ら主演する大型民族歌舞劇『雲南映像』が、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスで上演された。この公演は、「中国を知り、中国を感じてもらう――中国文化の南米の旅」の活動の一部で、公演は大きな成功を収めた。

 この『雲南映像』は、雲南に住む少数民族の伝統芸術の精華を凝縮した歌舞劇。2003年8月に昆明で初公演された後、中国の15の省、直轄市、自治区の26の大中都市で巡回公演され、2004年10月中旬までに201回の公演で30万人近い観客を動員した。

 今回の南米公演は、『雲南映像』の初の海外公演であり、2005年には米国や欧州でも公演されることになっている。

 『雲南映像』は、国内外ですでに一つの文化現象になったと言えるだろう。この「土の匂い」に満ちた民間歌舞劇がどうして強烈な反響を呼んだのか、その最大の原因はこの歌舞劇が「原生態」(昔ながらの、あるがままの姿)の特質を持っているからである。

少数民族の生活と愛の表現

第1幕「太陽」。「太陽の太鼓」は、シーサンパンナのジノー族の舞踊。「太陽の太鼓」はジノー族にとって神聖なものである

 楊麗萍は「原生態歌舞」について「すべての舞踊が全部、生活に根ざしていて、自然や生活、愛に対する民族の直接的な表現形式である」と説明している。

 一年以上もリハーサルを続けてきた『雲南映像』には、具体的なストーリはない。雲南省に伝わる無数の珍しい物語を包括した大型の「原生態歌舞」の作品である。

 劇の上演時間は120分間で、プロローグ(天地開闢)、太陽、土地、家、火祭り、聖地巡礼、エピローグ(孔雀の霊)の七部分からなり、その内容は天地自然、万事万物、生命の起源への遡及、生きることへの礼賛、永遠の命への希求を含んでいる。

第4幕「火祭り」。雲南省では多くの民族が火を崇拝し、火は人を再生させることができると信じている。「鳳凰涅槃」は鳳凰が死に復活するという感動的で悲壮な考えである

 雲南省の山村から来た踊り手たちは、非常に素朴な歌声と独特な身体表現によって、イ族、ミャオ族、チベット族、ダイ族、ぺー族、ワ族、ハニ族など雲南の少数民族の労働や歓びの歌、愛情、トーテム、宗教を、自然な形で表している。クラシックで抽象的な舞台構成や変化に富んだ心地よい音楽は、人類の心の回帰、生命の激情、魂の昇天を表現している。

 田植えや糸紡ぎ、臼回し、木の枝を避けて歩く様子、蟻の歩み、蛙のでんぐり返し、トンボの産卵……すべて生活の中で普通に見られる動作が、みな踊りの形をとって舞台上で演じられた。こうした一連の踊りの動作から、観衆は雲南の民俗や歴史、哲学などの豊富な内容や雲南の人々の思考方法を強く感じることができるのだ。

 これだけでない。全ての演目で、踊り手たちは自分で音楽を演奏する。同時に、舞台に登場する服装や道具、楽器、仮面なども、その民族の村にある本物を持ってきた。だから正真正銘の村の生活そのものが表現されている。

第2幕「土地」。女性ばかりの女人国の一幕。楊麗萍がリードし、女性が群舞する

 この劇の芸術総監督であり、シナリオと演出、さらにトップダンサーをつとめる楊麗萍は、舞踊についてこんな独特の考えを持っている。

 「舞踊は天や地、神や自然と交流するためのものです。私たちの故郷では、冠婚葬祭のときにみな、それぞれの歌舞があります。私のお祖父さんが亡くなったとき、お祖母さんが『葬歌』を唄い出しました。お祖母さんはその歌でお祖父さんを偲んだのです。娘が嫁に行くときには決まって『嫁入りの唄』が歌われます。歌舞は、私たちの生活様式そのものなのです。本当の舞踊は、観衆が見て分からないものであってはいけない。一つ一つが人間性とつながっていなければなりません。それでこそ人の心を打つことができるのです」

出演者の大多数が村から来た

花腰イ族の歌と踊り。雲南省の石屏県の哨沖、竜朋、竜武一帯に住む花腰イ族の娘たちが、11、12歳から針仕事、刺繍や服の縫い方を習い初め、一そろいを作るのに4、5年かかる。踊り手の服は自分で作ったものだ

 『雲南映像』が社会的に強烈な反響を引き起こした所以は、本当の生活をそのまま表現したからという以外に、演ずる人たちがプロではなかったことが人々の注目をより集めたことにある。『雲南映像』に出演した百余人のうち、4分の3が雲南の村々から来た農民だった。彼らの中で一番の年上は二十数歳、一番若い子は7歳だった。楊麗萍が出演者を探しに村を回ったとき、彼らは野良仕事をしていたり、牛を放牧して「チャ、チャ」と大声をあげたりしていた。そういう彼らが舞台に出てほしいと頼まれたのだった。

 プロローグの中で、両手にバチを持ち、大きな銅鑼を叩いているハニ族の男性は曹林旭さん。彼は2001年8月8日のハニ族の「燕の巣の祭り」の当日、村の人々といっしょに銅鑼と太鼓の踊りを踊っているときに選ばれた。その年に彼は、いっしょに選ばれた他の17人の踊り手たちとともに故郷の村から15キロの山道を歩いて町に出て、さらに七時間以上もバスに乗って雲南省の省都の昆明にやって来た。

楊麗萍の舞踏は、火祭りの霊魂を表現している(写真・楊志鋼)

 楊麗萍が踊りと歌のできる普通の人を踊り手に選抜した理由は、できるだけ民族の歌舞の原初的な特色を保ちたいと思ったからだ。踊り手たちは、少数民族の村から選ばれた踊りと歌の名手ばかりだ。彼らは、持って生まれた感覚によって踊るだけで、わずかな修飾もない。

 「舞台で演じられる歌や踊りの中の多くの動作は、プロのダンサーが絶対、真似することができません。すべての踊りの動作は、彼ら自身の言葉なのです。田植えや臼回し、牛頭の舞いは、本来、彼らの生活そのものです」と楊麗萍は言う。

 彼らの公演を通じて、人々は失われつつある太鼓の打ち方や、民間ではすでになくなってしまった民謡、昔の風俗習慣を見てとることができる。『雲南映像』は人の手でつくられた跡があまり多くないので、観客は元々の味を感じることができる。踊り手の顔に浮かぶ自然な笑顔や踊りへの陶酔感から、これらの歌と踊りがすでに彼らの生命の一部になっているのだと観客は深く理解することができるのである。

活きている民族の博物館を残したい

エピローグ「孔雀の霊」。ダイ族は愛情のシンボルである孔雀を「太陽の鳥」と呼ぶ。孔雀は彼らの崇拝するトーテムである。(1)楊麗萍のソロ(2)彼女がリードする群舞

 楊麗萍は「踊る精霊」と言われている。彼女は雲南・大理に生まれたペー族だ。幼いころからの少数民族の生活が、彼女に舞踊の才能を植え付けた。1971年、13歳で村を出て、シーサンパンナ州の歌舞団に入り、その後、北京の中央民族歌舞団に入団した。1986年、彼女は一人で舞う『孔雀の霊』を創作し、これを演じて、一挙に世に出た。

 その後、楊麗萍は独特の身体表現で、『二本の木』『月光』など人口に膾炙している舞台を造りあげた。彼女の自作自演の映画『太陽の鳥』は、カナダのモントリオール映画祭で特別賞を受けた。

 舞踊への限りない愛と持って生まれた民族的な特質が、早くからまったく新しい方式によって雲南の少数民族を表現したいという楊麗萍の考えを生んだ。

 そのために彼女は、絶えず民間へ素材の収集に行く。その収集の過程で、楊麗萍は雲南省の民族文化の大きな変化を見た。例えば、多くの素晴らしい妙技が、使われないために消滅の危機に瀕しているとか、若い世代が伝統的な服装よりもジーパンを好むとか……。

 ある専門家はジノー族のパーカー村を調査した後、もしこれを保護しなければ、ここの民族の伝統的服装は十年以内に消滅するだろう、民族の口承の文学や歴史、風俗を継承する仕組みと民族の伝統的な歌舞は、20年以内に消滅するだろう、と指摘した。こうした情況は、雲南省の多くの村でも珍しいことではない。「神の太鼓」という太鼓は24通りの打ち方で、人の一生の生・老・病・死を表現することができる。1990年代の末期には、雲南全土では3人のお婆さんがこの「神の太鼓」を打つことができたが、いまはたった一人しか残っていない。

楊麗萍は『雲南映像』の出演者全員を率いて、観衆のアンコールに応えた

 この厳しい現実に、楊麗萍は大きなショックを受けた。雲南の民間伝統芸術が消滅するのをなんとか引き伸ばすため、彼女は中央民族歌舞団を早めに退職し、雲南各地の山村で民間の歌舞を収集・整理することにした。

 2000年から2001年まで、楊麗萍は一年以上かけて、雲南省のほとんどすべての山村を歩き回った。その距離は、1万キロ以上に達する。ある山村へは3回も出かけた。

 1年以上の収集活動で、楊麗萍は集めた素材をまとめて一般公演し、より多くの人々に民間歌舞を理解してもらおうと決心した。それから『雲南映像』が、彼女のたゆまぬ努力で、ついにリハーサルの段階に入ったのである。

 しかし、リハーサル期間中に、出演者や経費などが原因で、劇団は何度も苦境に陥った。資金を調達するため彼女は、自分のすべての貯金をはたき、大理にある住宅を売った。

タバコ盆の踊り。これは雲南の石屏、建水一帯のイ族ニソ支族の若い男女の求愛活動の一種。

 楊麗萍は、『雲南映像』を演出する際、最初から、彼女とこの劇との関係を「創作」という言葉で形容したいとは考えていない。「ただ、本能的にこれら各地に散在している古い舞踊を発掘し、それを舞台で演じるという方式でそれらを記録し、展示し、忘れないにしたいだけだった」と彼女が言う。

 「民族舞踊は千年も伝えられて来たもので、重厚な歴史の蓄積と痕跡がある。だから誰かが、上に積もった塵を払い、それをまた新たに輝かせる必要があるのです。私たちのやり方は、そうした民族の民間に伝わる、まもなく消失しまう舞踊を整理してまとめ、舞台の上で観衆に、生きた民族の文化博物館を見せることなのです」と彼女は言うのである。


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