【高さんの一言】
毎日さまざまな難病に出遭いますが、患者の希望に満ちた眼差しを見ると、全力を尽くして治療にあたりたいと思います。

 若い頃「知識青年」(「文革」中、高校や中学を卒業し、農村や生産現場で労働に従事していた青年)だった高旭光さんは、「はだしの医者」(農村で農業に従事しつつ医療衛生業務に携わる)を経験したことから医者になった。自分から望んでなったわけではないが、この仕事にだんだんと誇りを持つようになった。

 2002年、17年間過ごした遼寧省の丹東市を離れ、単身で北京へやって来た。厳しい状況にも耐えることができる業務能力を買われ、人民病院の神経内科の主任として招聘されたのだ。

 翌年の2003年春、北京はSARSの猛威の真っ只中にあった。最前線で治療にあたっていた高さんは、間もなく自らも感染してしまう。「隔離され、一人きりの世界で過ごさなければならなかったあの期間は、さまざまなことを考えました。目の前が真っ暗になったこともありましたが、医者としての私にとって、貴重な経験となりました」

 研究にも熱心で、2年以上の歳月をかけて精神病の医学書を2冊翻訳している。



   
[AM7:00]
いつも早めに出勤し、白衣に着替えて仕事を始める準備をする。まずは、入院患者の病状をチェック。
  [AM8:30]
神経内科の医師や外来の研修生たち約20人を引き連れて、各病室を回診する。患者一人ひとりに対して丁寧に病状を尋ねる。

 
   
[AM9:30]
回診後、会議室で患者の病状について話し合い、治療法を確認する。その後、自室に戻って、話し合いの結果をまとめる。

  [AM11:30]
白衣を脱ぎ、病院の職員食堂で昼食をとる。昼食後は、パソコンで時事ニュースを読むのが毎日の習慣。
 
   
[PM3:30]
毎週木曜日の午後は、外来患者の診察をする。今日の午後は、高さんと同僚で合わせて8人の患者を診察。
  [PM9:00]
5時半に退勤。夕食をすませた後、妻と一緒にテレビドラマを見る。歴史をテーマとしたものが好き。10時半に就寝。
 




【お部屋拝見!】

人民病院に神経内科の主任としてやってきてからは、病院から与えられた100平米以上の中古住宅に住んでいる。高さんの前任者が残していった家具を利用して、こざっぱりとした部屋に仕上げている。

 
持ち物
チェック!
  自分で購入した、通勤や学会に出席する際に用いるバッグ(1000元ぐらい)。  
 

胸につける職員証。高さんは主任医師なので、職務は「教授」

 
  通常用いる医療器具。上から順に、神経反応をみる音叉、神経反射をみる打診器、目や脳神経をみるペンライトと検眼器。

 
  旧型のラジオ。院生だったころ、英語学習のために購入したもの。今でも利用している

 
  資料やデータを保存するために用いる20GBのフラッシュメモリ

人民病院が開催するシンポジウムの招待状

 

 

【プロフィール】 1956年遼寧省丹東市生まれ。1987年中国医科大学卒業、専攻は神経病学。1990年パリのSALPETRIERE病院で1年間研修。1999年病理学と病理生理学の博士号を取得。2002年北京大学人民病院の神経内科の主任になる。家族は銀行員の妻と娘。

  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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