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【高さんの一言】
毎日さまざまな難病に出遭いますが、患者の希望に満ちた眼差しを見ると、全力を尽くして治療にあたりたいと思います。 |
若い頃「知識青年」(「文革」中、高校や中学を卒業し、農村や生産現場で労働に従事していた青年)だった高旭光さんは、「はだしの医者」(農村で農業に従事しつつ医療衛生業務に携わる)を経験したことから医者になった。自分から望んでなったわけではないが、この仕事にだんだんと誇りを持つようになった。
2002年、17年間過ごした遼寧省の丹東市を離れ、単身で北京へやって来た。厳しい状況にも耐えることができる業務能力を買われ、人民病院の神経内科の主任として招聘されたのだ。
翌年の2003年春、北京はSARSの猛威の真っ只中にあった。最前線で治療にあたっていた高さんは、間もなく自らも感染してしまう。「隔離され、一人きりの世界で過ごさなければならなかったあの期間は、さまざまなことを考えました。目の前が真っ暗になったこともありましたが、医者としての私にとって、貴重な経験となりました」
研究にも熱心で、2年以上の歳月をかけて精神病の医学書を2冊翻訳している。
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