◆あらすじ
カンヌを制した三名匠が織り成す至高の愛のトリロジーということで、その冒頭が王家衛の『手』(邦題は『若き仕立屋の恋』)である。映画はこの後、ソダーバーグ、アントニオーニとアメリカとヨーロッパの監督によるエロスをテーマとした短編が続くのだが、王家衛の実に東洋的で隠微なエロティシズムと比べると西洋人の描くエロスなんてどうにもあっけらかんと健康的に見えて、完全に吹き飛んでしまう。さて、その『手』はまたしても50年代から60年代初めの香港が舞台。
仕立屋の徒弟のチャンは親方に言われて高級娼婦のホアの家に採寸に行くが、ホアは寝室で客を取っている最中。客間で散々あえぎ声を聞かされて、客が帰った後、ようやく彼女の部屋に通された時、若い彼は思わずズボンの前を手にした袋で隠さざるを得ない状況になっていた。それに気づいた女は、「女に触れるのが商売なのにそんなことでどうするの」とチャンを叱りつけ、手でチャンの局部を愛撫する。だが、それ以降は二度とチャンに触ることはなく、チャンは女のもとを入れ替わり立ち替わりする男たちを見ながら、ホアのために黙々と豪華なチーパオのドレスを仕立てていく。
年月が過ぎ、チャンが仕立屋として腕をあげていくのとは反対に、零落していく女。やがて仕立代も滞りがちになり、親方の命令で催促に行ったチャンに女は彼が作った新品同様の数々のドレスを売ってくれと頼む。売らずに大切に保存するチャン。とうとう立ちんぼに身を落とした女はうらぶれた安宿で不治の病に臥す。彼女の宿代を払い、1人彼女を見舞い、感染するからと拒絶する女を抱きしめ、初めてキスをしたチャンは女の死を見届けると店に帰って親方に「華やかにアメリカに旅立って行った」と涙を浮かべて報告するのだった。
◆解説
これはもう王家衛お得意の世界を凝縮した短編だ。2月号で王家衛の映画には張愛玲の亡霊が潜んでいると書いたが、この映画に描かれる仕立屋と得意先の女の微妙な関係も張愛玲の『赤いバラ白いバラ』の中で主人公の男の妻と若い仕立屋の浮気に男が気がつくというエピソードとして描かれていた。まあ、でも、ストーリーのヒントをどこから得たかなんてことは、この際どうでもよい。それを映像化した美こそが、この映画のすべてなのだから。
それにしても『欲望の翼』『花様年華』『2046』、そしてこの作品と、誰が何と言おうと執拗に50年代60年代の香港の上海人社会を描き続ける王家衛。自分の好きな世界だけを撮り続けることができるなんて何と幸せな監督だろう。
◆見どころ
王家衛と言えばウィリアム・チョン(張叔平)。王家衛すべての映画の美術と衣装を手がけるアートディレクターである。この映画の取材で上海でスタンリー・クアンの『長恨歌』を撮影中の彼に電話インタビューをすることが出来た。脚本がないことで有名な監督はアート・ディレクションに関しても綿密な打ち合わせをしたことはなく、ストーリーと登場人物の職業などをチョンに話して聞かせるだけ。あとはすべてチョンが想像力を働かせて作り上げる。デッサンをしたことがないので、当然監督に事前に自分のデザインを見せることもないというチョンは、
自分が用意したものが映画でどのように使われるか撮影するまで分からないのでそれが楽しみと言う。
互いの趣味に対する完璧な信頼は1つにはチョンもまた上海人の両親を持ち、上海の文化をバックボーンに育った、監督と同年輩であることと無関係ではないだろう。チョンの創作のヒントは50年代60年代のモノクロの北京語映画の数々と香港の映画雑誌で、林黛、尤敏、葛蘭らの女優がスクリーンで見せたスタイルだという。当時の香港のソフィストケイティッドされた映画もまた香港に渡った上海の映画人たちが作り出したものだったのである。
水野衛子
(みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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