祭りの歳時記 D
               丘桓興=文 魯忠民=写真  
   
 

 
 
 
端午節の竜船競争を描いた年画

「5月5日は端午節。ヨモギをさして、香りが漂う。ちまき(粽子)を食べて、砂糖をつける。竜船を水に浮かべて、喜びがわく」。言い伝えによれば、旧暦5月5日の端午節には、ちまきを食べて、竜船競漕(レース)を行うなどの習慣がある。いずれも、二千年以上前の愛国詩人・屈原を記念するためのものである。

ヨモギの魔除け

 湖南省汨羅県にある屈子祠村は、屈原が汨羅の河に身を投げて、殉死したところである。その後、村に「屈子祠」(ほこら)が建てられたため、その名がついた。地元での端午節は、とりわけ盛んで、にぎやかである。

 端午節の朝、村人たちは野山に出かけてヨモギや藤のつるを、また池のほとりでショウブを刈って、門にさしたり、掛けたりしている。こうした風習について、村人たちは次のように話している。

 「ヨモギは、芝居の舞台で使われる馬の鞭に似ている。まっすぐで長いショウブの葉は、青銅製の宝剣のよう。くねくねと曲がった藤のつるは、妖怪をつかまえる鉄の鎖だ。広間には鍾馗(伝説上の魔除けの神)の絵を貼るが、その鍾馗が馬に乗って、宝剣を持ち、鉄の鎖で門を守れば、魔物や妖怪が家に入って、災いをおこすことはないだろう」

 端午節にヨモギをさしたり、ショウブを掛けたりする習わしは、古代人が5月5日を「悪月、鬼日」としていたことに始まる。五月には、家を建てたり、かまどを設けたり、寝床に敷くござを干したり、新しい仕事や役職に就いたりしないだけでなく、5月5日生まれの子どもは両親に悪運をもたらすと考えられて、捨てられたという話も残る。

貴州省・清水江のほとりでのミャオ族の竜船(写真・丘桓興)

 また、5月ともなると暑くなり、カやハエが出てきたり、疫病が流行ったりする。「五毒」と言われるヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモなども出てきて、人間に害をおよぼす。そのため、香りのきついヨモギやショウブで害虫を追いはらうほか、玄関先にトウガラシやニンニク、破れた漁網を掛けるなど、さまざまな魔除けの風習がある。

 女たちは『五毒図』を壁に掛け、害虫の絵に針をさして、五毒がなくなることを願う。

 子どもは体が弱いので、邪気や毒にやられやすいと思われている。そのため、寿命を延ばすとされる五色の糸「続命縷」を腕に結びつけるほか、香料を布袋に入れ、子どもの身につけてやる。見た目にもきれいだし、邪気をはらうこともできるというのだ。

 花を入れて湯浴みするのも、端午節の風習である。小さいころ、ふるさとの広東省では、端午節ともなると母が庭に置いた風呂桶に、ヨモギやショウブ、ホウセンカ、ハクモクレンをひたしていた。昼近くになって水が温まると、その風呂に入れてくれた。草花についた水を、私の体にまきながら「ヨモギとショウブの水で体を清めると、あらゆる病気を取り除くのですよ」と言っていた。考証によれば、ランの花を入れる湯浴み「蘭浴」は、四千年前の夏の時代には行われていた古い習わしであるという。

端午節の朝、湖南省汨羅県屈子祠の村人たちは、玄関にヨモギをさして、ショウブを掛ける

 蒸留酒の白酒と雄黄(鶏冠石、天然の硫化ヒ素の一種)などを混ぜた「雄黄酒」は、端午節にはなくてはならないものである。部屋の掃除をしたあと、床にそれをまくのである。民間のことわざに「雄黄酒をまくと、虫が遠くへ逃げる」とある。昔、端午節の昼食時には、雄黄酒を少し飲んだり、指に雄黄酒をつけて子どものひたいに「王」の字を書いたりして、邪気や厄を除けていた。今では、雄黄酒を飲めば、嘔吐や下痢をして、意識がもうろうとする中毒症状が現れるので飲まなくなった。それでもヨモギをさして、ショウブを掛け、雄黄酒をまくことが、夏場における殺菌や虫除け、病気の予防に効果的な、よい習慣だと思われている。

 また、民間においては、端午節に薬草を採るという習慣がある。この日に採った薬草は、もっとも効くといわれている。なぜなら多くの薬草は、端午節のころになると、葉や茎、根が成長して、薬用になると考えられているからだ。まさに、薬草の栽培農家が言うとおり、「端午節前は草だが、端午節になると薬になる」である。

竜船競漕にぎやかに

ちまきを包む屈子祠のある農家の人々

 端午節になると、河畔(湖畔)の地域では、竜船競漕が行われる。屈子祠村の竜船競漕は、たいそうにぎやかだ。競漕前には、竜頭を祭る儀式が行われる。村ごとに竜船の漕ぎ手たちが竜頭をかつぎ、船旗やかいを捧げ持ち、ドラや太鼓、爆竹の音が鳴りひびくなか、屈子祠の屈原像を前にして、ひざまずいて拝むのだ。

 儀式が終われば、竜頭をかついで河へ飛びこみ、それを清める。それから、竜頭を船首に据えるのである。屈原を祭り、竜頭を清めることで、競漕の無事を祈るのだ。漕ぎ手たちにも端午節に身を清めることで、無病息災がかなうと考えられている。

 この地方の竜船は、長さ約20メートル、幅約1・5メートル。頭を高々ともたげ、目を丸くして見張っている。船尾には、長い竹片で作った多彩な鳳凰の尾をさし、船体やかい、舵の部分に、竜のうろこを描いている。ピストルの合図にあわせて、漕ぎ手たちはそろって速くかいを漕ぎ、さまざまな竜船が水の上を飛ぶように走る。船上のドラや太鼓が鳴りひびき、両岸からは人々の歓声があがる。

竜船チームは屈子祠で竜の頭を祭る

 激しいレースの結果、優勝を勝ちとった竜船は、地元の村に名誉をもたらすだけでなく、その村に豊作と安寧、健康をもたらすと考えられている。そのため、村々はこの竜船競漕をとりわけ重視しているのである。

 伝えられるところによれば、竜船競漕は、汨羅の河に身を投げた楚国の三閭大夫・屈原のしかばねをすくったことから始まった。奸臣の誹謗のために、楚王は、内政改革をはじめ斉と連合して秦に抵抗せよという屈原の主張を受け入れなかったばかりか、かえって彼を遠ざけた。詩人でもあった屈原は、15、6年におよぶ放浪のなかで『離騒』などのすぐれた詩を書き残している。紀元前278年5月5日、汨羅のほとりで吟詠していた彼は、楚の都が秦に攻め落とされたという消息を聞いて、悲嘆にくれて河に身を投げ、国に殉じた。付近の人々は、この凶報を聞くとまもなく争って船を漕ぎ、魚から守ろうとそのしかばねをすくい上げた。これが端午節にまつわる竜船競漕の伝説である。

 じっさい、こうした習わしは屈原が亡くなる前からあったという。中国民俗学の大家・鍾敬文氏は「端午節に竜船競漕を行うのは、古人が船をつかって魔物や疫病神をはらう巫術活動から起こったものだ」と考える。しかし、著名な学者である聞一多氏はこう考える。「端午節は、もともと呉越人による『竜子節』(竜の子孫の祭り)から起こった。彼らは竜のトーテムを崇拝し、船を漕いで、河の竜神に供物をささげ、雨の恵みと稲の豊作を願ったのだ」

 しかし、屈原のすばらしい人徳と偉大なる詩は、後世の人々を深く感動させたので、竜船を漕いで屈原を救うという伝説が各地に広まり、人々に信じられていったのだ。宋代になると、朝廷が全国に「端午節には屈原を記念せよ」というおふれを出した。そして、人々に香袋をつけさせ、屈原の志を芳香のように永遠に残そうとしたのである。

「五毒図」が刺繍された衣服、香袋、トラの頭をデザインした靴。これら端午節の子どもの服飾は、厄を除け、病気を避けることを意味している

 竜船を崇拝する習わしは、各地にまだある。貴州省・清水河畔のミャオ族の竜船は、中央の一本は大きく、両側の二本は小さい三本の丸太をつないで作られている。ふつうの日には船棚に置いて、担当者が管理している。競漕前には線香をたいてこれを祭り、それが終われば、漕ぎ手たちが船をかついで河に入れる。習わしにより、竜船が村々をめぐるたびに、村人たちが河のほとりで竜船を迎え、祭祀用の鶏、アヒル、豚の肉などを竜頭に掛けるのだ。

 一方の漕ぎ手たちは、船に載せているもち米のおにぎりや肉料理を、沿岸の婦人や子どもたちに分け、それによって幸せを分かちあうことを示す。広東省潮州の人々は、竜船が通過した河の水を幸福の水と見なしている。その「竜船水」を飲むと無病息災がかない、女性が竜船水で髪を洗えば、頭痛が治るといわれている。

ちまきを食べる

 ちまきは、各地に共通する端午節の食べ物だ。屈子祠村の人たちは、水に浸したもち米を、アシの葉をつかって三角錐の形に包み、糸などでしっかり縛ってよくゆでる。食べるときにはアシの葉をむき、砂糖をつければ、甘くておいしい。

 ちまきの起こりは、後漢の欧回という長沙の人に始まるという。欧回はあるとき、汨羅のほとりで三閭大夫と名乗る人物とばったり出会った。彼いわく「端午節には、人々が私を祭りますが、河に投げられた供物はみんな魚に食べられてしまいます。もし、供物をアシの葉に包み、五色の糸で鋭角状にしばれば、魚がヒシの実だと誤解して食べなくなります」と。欧回は、このできごとを人々に教えた。それから、アシの葉で包んだちまきが現れたという。

端午節ににぎわう竜船レース

 じっさい、ちまきは当初、「角黍」と呼ばれていた。キビ(黍)を角形に包んでいたからで、北方の端午節における古い食べ物である。その後、角黍は南方に伝えられ、その中味もキビからもち米に変わって、「粽子」と呼ばれるようになっていった。

 古今のちまきは、種類が多い。形によって名付けられたものに、角粽、菱粽、筒粽、称艨iはかりの分銅)粽、枕頭(まくら)粽、などがある。また材料の別では、肉を包んだものが肉粽、アズキあんを包んだものが豆ノウ粽、さらに五仁粽(五種のさねを入れたちまき)、棗粽などがある。棗粽は、「早中状元」(早く状元になる。状元とは旧時、科挙の最高の試験・殿試に一番で合格した者)の「早中」と発音が似ているので、読書人から歓迎された。今では、大学入試を控える子どもがいる家庭で、子どもに棗粽を食べさせることが多いようだ。

 端午節に食べるのは、もちろんちまきだけではない。昼食にはさまざまなご馳走を並べるが、塩漬けのアヒルの卵、炒めたヒユナなどがある。端午節に塩漬けのアヒルの卵を食べれば、その夏じゅう、できものができないし、頭痛が起こらないといわれる。また、ヒユナを食べれば、暑気あたりや腹痛が予防できるといわれる。端午節の食べ物は、病気を防ぎ、健康をうながすと考えられたのであろう。

 

 
   
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