[特別寄稿]

 
 
SARSとの戦いに役立った対中ODA
 
               財団法人日本国際協力システム(JICS) 総務部総務課長 岡田 実

右が筆者

 2004年10月、二年連続してSARS患者が発生した中国・安徽省を訪問した際、安徽省衛生庁の幹部はこう述べた。

 「私たちがSARSと戦っている重要な時期に、日本国民は私たちの戦いに関心を寄せていただいた。中国に『雪中送炭』という故事があるが、本当に必要な機材を困難な状況の中で援助いただき、支援してくれた日本政府はもとより、日本国民全体に対し、中国人民が感謝していることをぜひ伝えていただきたい」

 私の所属するJICSは、2003年春に猛威を振るい、世界を震撼させたSARSに対し、日本政府が実施した緊急無償援助の調達監理機関として、実際に現場で使用される医療機材や防護服等の調達を担当した。調達実施後、モニタリングの一環として現場を訪問し、関係者から直接話を聞く機会を得た。それを踏まえて、SARS発生以降の経過、対中ODAがどのように行われたかを振り返るとともに、筆者が現地で見聞したことを紹介させていただきたい。

酢を求める市民たち

 私は当時、北京に駐在していたが、2003年2月の春節が終わると、奇妙なニュースと噂を聞いた。広東省では肺炎が猛威を振るっており、市民が「酢」を沸かして部屋を消毒するため、「酢」を求める人々が商店に殺到しているという。

 「酢」を沸かして肺炎を予防する? 周囲の中国人スタッフに、いったい何が起きているのか聞いてみたが、みな首を傾げ、要領を得ない。2003年2月11日のチャイナデーリー紙に「謎の(mysterious)肺炎ウイルスにより、305人が罹患し、5人が死亡」したが、「制圧下にある(under control)」との広東省当局の発表が紹介された。

安徽省立児童病院の集中治療室に設置され、救命に使用されるモニター装置

 その後「謎の肺炎」に関する報道は減り、いつしか北京の人々から忘れられていった。しかし、この期間にSARSの脅威は静かに、かつ急速に拡大していたのだ。

 3月12日に衝撃が走る。「謎の肺炎」はハノイから香港にもたらされ、WHOは緊急警報を発出した。WHOはこの「謎の肺炎」を「重症急性呼吸器症候群(SARS)」と命名した。

衛生部長と北京市長の更迭

 後から振り返ると、広東省でのSARSの発生状況は、2月10日前後にピークを迎え、以後三月末に向けてなだらかに減少していたことがわかる。他方、この間、SARS感染は出稼ぎ労働者、観光客、ビジネスマンらによって広東省以外の地域へ拡散した。北京市のSARS感染者は四月に入って急速に増え、院内感染も深刻化していった。

 危機意識を高めた中国指導部は、胡錦涛総書記、温家宝総理、呉儀副総理が陣頭指揮に立って、「SARSとの戦い」の最前線の視察に回った。4月13日にはSARS対策の全国会議を開催し、4月17日の党政治局会議で「伝染病の状況を正確に把握して上層部に報告し、定期的に社会に公表する。報告を怠り、情報を隠してはならない」と指示した。

 これを受けて4月20日、中国政府は劇的に政策を転換した。中国衛生部は4月20日、北京のSARS感染者数を大幅に上方修正し、新華社は同日、衛生部長、北京市長の更迭を伝えた。

 その後、5月の「黄金週(大型連休)」の中止、必要な強制隔離の実施等、矢継ぎ早に施策を打ち出すとともに、最悪の事態に備え、北京郊外の小湯山に伝染病専門病院をわずか一週間の突貫工事で完成させた。SARSとの戦いは山場を迎えた。

対中ODAの緊急発動

成田空港倉庫にて援助物資の出荷前確認を行なうJICS職員

 日本政府は、こうした動きに呼応して、迅速に対中SARS対策支援を決定していった。4月28日、日本政府はJICAを通じ、SARSが拡大するアジア七カ国に対し、総額3億5780万円の医療機材を供与することを決定し、中国に対しては約2億500万円が充てられた。第一陣の医療機材は、外国からの援助としては初めて、5月3日に北京に到着した。

 続いて5月9日、日本政府は国際緊急援助隊(専門家チーム)を、SARS感染症対策病院に指定された中日友好病院に派遣することを発表した。中日友好病院は、日本の無償資金協力で建設され、長期にわたりJICAを通じて技術協力を実施してきた日中友好のシンボルとも言える病院である。

 さらに同日、日本政府は約15億円という大規模な対中緊急無償援助を発表した。5月14日、中国の武大偉駐日大使は小泉首相と官邸で会談し、SARS対策での日本政府の支援について「支援と協力に感謝する」と述べた。

 5月16日には口上書が政府間で交換され、これを踏まえ同日、中国政府とJICSの間で調達代理人契約が締結された。JICSは世界的にSARS関連物資の供給がタイトなっている状況の中、迅速に調達作業を進行させ、移動式X線装置、ICUモニターセット、簡易人工呼吸器セット、防護服等、医療機材の第一陣は5月29日に北京に到着した。

 5月31日、サンクトペテルブルク建都三百年記念行事に出席した小泉首相は、胡錦涛国家主席と日中首脳会談を行った。この席で、冒頭、胡錦涛主席から「中国人民および政府を代表し、SARSに関する日本からの支援に心から感謝」の意が表された。

次なる戦いに向けて

安徽省立医院で活躍する移動式X線装置と担当の医療関係者

 幸い中国政府が全力を挙げて取り組んだ対策が功を奏し、新しいSARS感染者は五月中旬から急速に減少した。WHOは6月24日に、北京を渡航延期勧告と感染地域の指定から解除して、ここにSARSは「制圧」された。

 他方、中国当局は気を緩めず、SARSの再流行、来冬の再発を防ぐため、着々と手を打った。安徽省は、その一環として省内38カ所の医療機関に、日本からの緊急無償援助の医療機材を設置し、発熱患者の診断、患者発生の場合の治療、医療従事者の感染防護、感染地区の消毒などに備えた。

 2004年4月、安徽省の研究者がSARSに感染し、再びSARS騒ぎが起こった。この際、省疾病予防抑制センターに日本の援助物資として配置されていた二百着の防護服は全て使用され、隔離区内の消毒のため薬剤噴霧器が大いに活用されたという。

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 「SARSとの戦い」に参加した中国側の医療関係者の語る当時の様子を聞くにつけ、それはまさに自らの生命をかけた壮絶で崇高な戦いであったことがわかる。未だ条件の厳しい地方の医療機関において、日本からの「雪中送炭」の援助が、これからも中国の人々の生命を守る戦いを力強く支援する「武器」となることを祈りたい。


 本稿は筆者が個人的にまとめたものであり、筆者の所属機関の見解ではない。

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SARSをめぐる経過については、以下の論文を参考にした。

 尾身茂・井上肇「SARSへのWHOの対応その制圧対策と今後の教訓」『国際問題』2003年12月、No.525、(財)日本国際問題研究所



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