[特別寄稿] |
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中華搶救流失海外文物専項基金 先 鋒 |
「海帰文物」(「海帰」とは海外留学から帰国した人のことを指す言葉)または「回流文物」とは、かつて海外へ流出し、さまざまなルートを経て国内に戻ってきた文化財のことである。1970〜80年代、経済力が強まった日本は、政府や民間が巨大な資金を投じて海外へ流出した日本の文化財を取り戻した。現在、同じような現象が中国でも起こっている・・・・・・。
帰ってきた『研山銘』
「2999万元!」。2002年12月7日17時13分、オークショニア(オークションの進行者)のハンマーを叩く音により、北宋(960〜1127年)の米ワタの巻物『研山銘』が中国に戻ってきた。価格のオファーから競売成立まで、10秒とかからなかった。 1993年6月、上海の朶雲軒でハンマーが叩かれ、1958年から中断されていた中国の芸術品のオークションが再開された。それから現在まで10年以上、オークションは流出文化財を中国へ取り戻す重要なルートとなっている。
流出文化財の回収は2002年から盛んになった。海外流出文化財の回収を熱心に行ってきた「中華搶救流失海外文物専項基金」の王維明・総責任者は、「2002年、中国財政部と国家文物局は共同で『国家重点貴重文物の収集専門経費』を作りました。『研山銘』はこの専門経費を利用して回収した初めての文化財です。同年十月には、改訂した『中華人民共和国文物保護法』により、民間でも購入やオークションなどで文化財を手に入れたり、法律に基づいて流通させたりすることが許可されました。その結果、民間のコレクションブームが起こったのです」と話す。 「海帰文物」の大部分は、日本、東南アジア、香港、澳門、台湾などの国や地域から戻ってきている。「海帰文物」の代表である『研山銘』は、日本から回収してきたものだ。オークションは、文化財取り戻しの主な方法となり、民間のコレクションブームによって、先に豊かになった人々や企業が次々と投資して文化財を収蔵したり、博物館を設立したりしている。
彼らのコレクションの主なものは、海外の中国文化財で、その需要は大きい。統計によると、「海帰文物」は現在、中国国内の著名なオークション会社十数社の競売品総量の50%以上を占め、その競売成立額は競売成立総額の60%を上回る。2005年1月までにオークションにかけられた「海帰文物」は、合わせて約4万点。最高額をつけたのは、中国書画と明清時代の磁器だ。企業家の多くは、国内オークションだけでなく、海外オークションにも目を向け、中国文化財を直接落札しようとしている。昨年、浙江省の企業家だけでも、海外で中国文化財を買い付けた額は3億元近くに及ぶ。 国家の文化政策が、これの主な原因となっていることはもちろんだが、さらに大きな推進力となっているのは、ここ数年の急速な経済成長がもたらした巨大な消費能力だろう。コレクションブームは民族文化を重視する国家であれば、どこでも発生する普通の現象なのだ。 富豪が買い戻した国宝 イギリス、ペルシア、ユダヤそして中国という四つの血を受け継ぎ、外見は西洋人のようである澳門の富豪のスタンリー・ホー(何鴻 )さんは2003年9月、中華搶救流失海外文物専項基金に700万元近く(当時、日本円にして1億円)を寄付し、円明園の干支銅像の一つ「猪首銅像」(豚の首の銅像、中国での「猪」は「豚」)を買い戻した。 文化財の回収は、オークションのようなビジネスルートだけで行われるのではない。猪首銅像は寄付金による買い戻しの方法で戻ってきた。このような方法はどのように行うのか? また成功率はどのくらいか?
実際に猪首銅像の買い戻しに携わった王総責任者の話によると、同基金の文化財収集手続きに基づき、手放してもよいというコレクターの同意を得た後、北京に運んで鑑定を行ったという。考古、歴史、冶金、工芸美術などさまざまな分野の専門家にそれぞれ鑑定してもらうと同時に、北京大学などの科学研究機関で 線検査や微量元素分析を行って、この銅像が本当に円明園の遺物であり、国家一級文物すなわち国宝であると証明した。そして最後に、何さんの寄付金で買い戻したのである。 猪首銅像の復帰式典に参加したある大学生は、「もっと多くの人が何さんのように寄付をしたら、さらに多くの国宝級の文化財を取り戻すことができます。オークションが唯一のルートであるべきではありません」と語った。オークションで中国文化財をしょっちゅう落札しているある企業家は困惑した様子で、「オークション業は出品物の真贋を保証してはいないので、買い手は多くのリスクを背負わなければなりません」と述べた。
国宝級の文化財が数多く戻ってきているとはいえ、「海帰文物」は全体的にあまり価値が高くないものが多い。ある報道によると、「海帰文物」には逸品が少なく、その数量は全体の5〜10%に過ぎないという。さらに考慮しなければならないのは、オークションのマイナス面をどのように避けるか、「海帰文物」のランクと価値をどのように保証するか、皆の利益をどのように得るかということだ。 王総責任者は「私たちは、文化財の収集において、鑑定と価値評価の重要性を強調しています。真実性と価値を保証することによって信用を得ることができ、コレクターにも報いることができるのです。こうしてこそ、価値ある文化財の回収を続けることができます。我々の専門家委員会には、啓功、王世襄、羅哲文、李学勤など各分野の文化財専門家を含む50人以上のメンバーがいます」と紹介している。また、「私たちの文化財回収には、公益と市場という二つのルートがあります。中国文化を愛する有識者の文化財の寄贈を歓迎しています。これは公益ルートです。市場ルートとは、専門家を国内オークションに派遣して、文化財の品質を保証することです」と語った。
姿を変えて戻る文化財 「多くの国宝は海外にあって、全部を一度に見ることはできないから、写真で見るだけでも本当にうれしい。もし実物が展示されたらもっとうれしいな」。海外流出文化財の写真展で、ある小学生はこのように感想を述べた。 2004年11月、中華搶救流失海外文物専項基金は海外流出文化財の写真展を開催し、写真百点を展示した。この種の展覧会は中国では初めての開催で、一大センセーションを巻き起こした。展示物は、実物であれ写真であれ、国内ではめったに見られない文化財が多かったからである。
王総責任者は「たくさんの有名な博物館が、無料で文化財の写真などの資料を提供してくれました。日本の泉屋博古館や大阪市立東洋陶磁美術館も協力してくれましたよ」と話す。さらに「ある意味では、これも『戻ってきた』と言えるでしょう。もし実物を展示できたらもっと効果的で意義深いのですが」と続けた。 王総責任者は、「搶救」(速やかに救助する)というとすぐに神経を張り詰めてしまいがちだが、実際は、この概念を二つの方面から理解することができると説明する。一つは買い戻しや寄付などの正当なルートで実物を回収すること、もう一つは、実物を回収する条件がそろっていない場合、合作により、文化財に関する学術研究、文化交流、展示などを行うことである。どちらにしろ、最終目的は人類の文化遺産を保護することにある。「私たちは、海外で収蔵されている中国文化財の図録をシリーズ化して出版する計画です。全面的かつ客観的に紹介します。こうすることによって、中国文化財の回収において、合作の空間をより広くできるでしょう」と王総責任者は話す。 経済崛起後の文化復興
国土と国宝も、国家の重要物である。20世紀末、香港と澳門が相次いで中国に復帰した。アジアでの西洋の植民地主義は終焉を迎えたのである。これは、中国が国際社会での政治的地位の向上と経済の持続可能な成長にともない、文化大国として平和的に発展していることを物語っている。文化財の回収ブームの社会的背景は、ここにあるのだ。 植民地主義の時代、特に1840年のアヘン戦争後から百年余りの間、中国の文化財は大量に海外へ流出した。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の統計によると、世界28カ国の博物館147館に、167万点の中国文化財が収蔵されている。しかしこれは個人コレクターの収蔵量の十分の一に過ぎない。 欧米の有名な博物館は、いずれもたくさんの中国文化財を収蔵し、その中には国宝クラスの逸品も少なくない。例えば、大英博物館には東晋(317〜420年)の顧ト之の『女史箴図』や殷(商)・周(紀元前1600〜同256年)の青銅器「双羊尊」「康侯キ」などがあり、ネルソン美術館(アメリカ)には西周(紀元前1046〜同771年)の「成王方鼎」や洛陽竜門石窟の『皇后礼仏図』があり、ニューヨーク・メトロポリタン美術館には「古今独歩」と称えられた唐(618〜907年)の画家韓幹が描いた有名な『照夜白図』がある。これらは枚挙にいとまがないほどだ。 「今日、どの国でも人類の文化遺産の保護を強調しています。1970〜80年代、日本で文化財の回収ブームが起きましたが、現在、中国でも同じようなことが起きているのです」と王総責任者は語る。「中日両国の文化財の回収ブームは、同じような背景を持っています。それは、国力の強化、政府の支持、民間の参与です。文化財の回収は、東洋文化が広く認められ、文化の復興が始まることを示しているのです」 |
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