中国の民俗文化を自分の目で見たいと思って留学し、観光や調査旅行で東西南北あちこちを見て歩くことができました。中国文化をいっそう好きになったことや中国語が上達したことは、予想通り嬉しい成果となりました。けれど帰国して数年が過ぎた今、それ以上に大きな成果を得ていたことに気付くようになりました。
留学中にはどういうわけか、しょっちゅうタクシーの運転手さんに歴史問題や政治問題をふっかけられたり、ある新聞編集者とは日本観でケンカになったりと、日本人であることを背負わされる場面が多かったのが印象的です。中国人のクラスメートにも、日本に対しては納得できないわだかまりが実はあるということを親しくなってから話してくれる人がいました。
こうした様々な衝撃は、どのように理解したらいいのか、自分はどのような立場で向かい合えばいいのか、ずっと未消化のままで私の心の中にありました。留学当時は未成熟で世界に関する知識も乏しく、自分独自の観点を持っていませんでした。だから何かを問われても満足に受け答えができないのだという悔いと焦燥から、逃れられずにいたのです。
ところが昨年夏の中国旅行で、こんなことがありました。北京で乗ったタクシーの運転手さんが、今まで私が出会ったどの運転手さんよりも手ごわい相手だったのです。軍事などに一家言持っている人で、やはり日本がアジアの国々に対して友好的でない、という話題になってしまいました。ああ、また始まった――と天を仰ぎつつ、日本人の印象を改善したい一心で半ば必死になりました。政治と一般人の感情とが必ずしも一致しないこと、中国でも日本でも相手国に対する情報が偏っていること、少数派ではあるが大勢の日本人が中国に親近感を寄せていること、そして私が現在の職業を通じて文化交流の一端にかかわり、もっと大勢の日本人に中国の多様な姿を知って欲しいと考えていること、などを一生懸命に話したのです。運転手さんは最後にはその会話を愉快に思ったようで、機嫌よく名刺まで渡してくれました。私が「春秋戦国秦漢」など中国古代史の話をしたことも気に入ったようです。かつて散々悩まされた運転手さんとの気まずい話題を、陽気な雰囲気に持っていくことに初めて成功した瞬間でした。
未消化で重くわだかまっていたものは、どうやら帰国後に悩み続けている間に少しずつ消化されていたようでした。私が留学で得たのは、自分を見つめ直し、自分の背景を見つめ直し、自分の考えを鍛えることにつながる、大きな異文化体験でした。それは悩みながら自分の身になっていくもののようです。これからも日々新しい考えを吸収して、本音で交流できるような友人を増やしていきたいものです。(寄稿)
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