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王浩=文 |
五、七、五音の俳句の形をとり入れて、漢字で表す新しい詩歌「漢俳」が中国で盛んに行われている。3月23日には北京で「漢俳学会」の創立大会が開かれた。中日両国から百人をこえる関係者が出席し、中国詩歌界と日本俳句界の交流によって生まれた漢俳の学会創立をともに祝った。会長に就任した劉徳有氏(元文化部副部長、中国対外文化交流協会副会長)と、これを祝うため日本から訪れた金子兜太氏(現代俳句協会名誉会長)に、喜びの声と今後の抱負などについて語ってもらった。 漢俳学会会長 劉徳有氏
これは、学会創立パーティーで、日本の俳人を歓迎して詠んだ自作の漢俳です。学会の創立は、中国の漢俳作家や愛好者にとって、自分たちの「漢俳の家」ができたものと大変に喜んでいます。 「漢俳」という言葉は1980年、日本から第一回俳人訪中団を迎えたときに、著名な詩人の故・趙朴初氏が初めて詠んだ漢俳「和風起漢俳」(和風 漢俳を起こさん)から生まれました。 それから25年。中国の詩歌界、日本の俳句界との交流や関係者の努力によって、漢俳は大きく発展しています。中国の作家による三百句を収めた『漢俳首選集』や専門誌『漢俳詩人』などが続々と出版されています。愛好者も当時のわずか数人から、今や数千人となるまでに増え、喜ばしい局面を迎えています。 漢俳には現在のところ、17という文字数のほかに決まったルールはありません。文語体でも口語体でも、韻を踏んでも踏まなくてもよく、季語の要求もそれほど厳しくありません。とはいえ漢俳は俳句と同様に、簡潔で洗練されたものでなければならない。中日両国は民族も文化も異なりますが、「詩の心」「詩の趣と美しさ」を重視する点については、漢俳も俳句も同じなのです。 この学会では、漢俳の創作と研究を通じて漢俳を発展させること、中日両国の文化・学術交流をいっそう推進していくことを目指しています。 今後は、互いに相手側の作品を翻訳して、紹介することを進めていきたい。もちろん、すべての作品を相手に理解してもらうのは無理なことです。正岡子規の「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」にしても、中国人には「どうして柿を食べたら鐘がなるのか」「なぜリンゴではいけないのか」理解に苦しむところです。 しかし、そこには日本独特の「省略の文化」があります。それらを翻訳することで日本文化を学ぶ刺激にもなり、漢俳を作る栄養にもなる。その違いがわかってこそ、相互理解が深まるのです。また日本の俳句界との交流を深め、多くの漢俳作品が日本に紹介されるようにと願っています。 現代俳句協会名誉会長 金子兜太氏 中国の五言絶句、七言絶句のような定型詩は、インテリ向けではありますが、一般人には(普及するか)どうかと思っていました。そういう中で(厳しい決まりのない)漢俳は、一般の人にも広まるのではないかと、大きな期待を寄せています。
これからの相互交流の促進に、大いに期待しています。(取材・構成 小林さゆり) |
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