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張春侠=文 劉世昭=写真 |
「私がどうして上海にやって来たと思いますか? (台湾海峡)両岸の『愛と平和』のためなのです」 チョウから玉山まで 郭承豊さんは長年、台湾で広告業に従事してきた。彼が設立した「華威葛瑞集団(グループ)」は、いまや台湾の三大広告会社の一つとなっている。 事業に力を注ぐとともに、彼はつねに民族と社会のことを気にかけてきた。1992年には、内部の刊行物を『新概念』と改名し、市場で公開販売をした。このときから、彼は『新概念』という媒体をもって、「愛と平和」の人生理念を伝えている。
93年、「チョウの王国」の誉れが高い台湾島は、激しい政治紛争のなかにあった。郭さんは、そうした時期には「愛」を通してこそ、さまざまな恩讐をとり除くことができる、と考えた。そこで、「私は台湾を愛する、チョウを愛する」というスローガンの運動をはじめ、「台湾人はチョウの化身だ。チョウを愛し、守っていこう」と強調したのだ。こうして現在、「台湾はチョウの王国だ」というイメージが、人々の心の中に浸透しているという。 台湾の最高峰である玉山(3952メートル)は、島内の四分の三にあたる水源を抱いている。郭さんは「(台湾の)人々は玉山によく登り、『心清如玉、義重如山』(心は玉のように清く、正義は山のように重い)という精神を感じとって、自らの心を浄化させるべきだ」と考えている。そこで、97年には「玉山運動」という活動をスタートさせた。若者たちを率いて玉山に登頂し、成人式を行ったばかりでなく、著名な作曲家や詩人を招いて大型歌曲『玉山頌』を共同制作したのである。また、玉山で大規模なパーティーを開いたり、新郎新婦を招いて若者たちの婚約式を行ったりした。 玉山の頂上には現在、「心清如玉、義重如山」という文字を刻んだ石碑がある。人々は毎年の玉山登頂を通して、台湾への愛を表しているという。 新台湾人、新中国人
郭承豊さんの本籍は山西省、夫人の王小虎さんはハルビンの人である。二人とも台湾生まれであるが、いつも外省人(1949年前後に大陸から渡ってきた人)と見なされて、生粋の台湾人とは区別されていた。 政治紛争が激化するにつれて、台湾の「群族問題」も日を追って激しさを増した。台湾人と外省人の衝突も、悪化していく趨勢にあった。こうした状況下にあって、郭さんは「新台湾人」という概念を打ちだした。「台湾を愛するこの土地の人であれば、どこから来た人でも、みな『新台湾人』である」と。 また、郭さんはこうした基礎の上に立ち、「新上海人」「新中国人」という概念を打ちだした。「台湾と大陸は、もともと一家だ。いずれも中国に属しており、炎帝・黄帝の子孫である。そのため台湾人であるか、大陸人であるかにかかわらず、いずれもが中国人なのだ」と彼は考えている。 「けれども歴史的な原因によって、一部の台湾人はこうした概念をすぐには受け入れられません。そこで『新』という一字を加えることによって、地域的な隔たりがうすれ、人々がそれを認めやすくなるのです」 「新中国人」という理念によって、過去のさまざまな恩讐が解け、人々がみな前向きになる。こうした基礎の上に立てば、両岸の平和統一をさらに促進できると郭さんは考えている。「今後は、阿扁(陳水扁氏の愛称)がこの道を行けば、台湾もこの道を行く。両岸の平和統一が、ついに実現するのです」。郭さんは自信に満ちて、そう語る。 新中国人の運動
「新中国人」の理念をさらにアピールするために、両岸の交流を促進しよう――。そうした郭さんの提唱のもと、99年、台北市で「両岸四地――上海、香港、台北、澳門の青少年が愛を見つける朗読大会」が行われ、社会の大きな反響を呼んだ。それによって彼は、ただ「愛」による交流だけが、海峡両岸に平和をもたらすという確信を得たという。 このときから、郭さんの生活の中心は上海に移っていった。広告業のほか、新天地で作品を販売する「上海本色」と、レストラン「百草伝奇」をオープン。「愛と平和」の理念を、さまざまな作品や料理を通して、世界各地に伝えているのだ。 台湾の執政政党が(国民党から民進党へ)変わったあと、両岸関係は膠着状態に陥った。両岸の平和を推し進めるために、郭さんは「愛と平和」新中国人運動に精力的にとりくんでいった。台湾に深くわけいり、情報を収集したばかりでなく、人々に上海に移住するよう積極的に呼びかけた。 「あなたを愛するすべての人を愛し、あなたを愛さないすべての人を愛せば、世界はほんとうの平和になる」。2003年3月、郭さんは上海で「愛と平和」文芸サロンを正式に立ち上げた。上海や香港、台湾の三カ所からきた有名人が、「愛と平和」にまつわるテーマで70あまりの芸術作品を創作。多くの参観者を集めたのである。当時は、まさにアメリカが発動したイラク戦争の時期にあった。「私の願いは人と人、国家と国家が永遠に人類の平和を追求すること。それが私の生涯の夢なのです! これらの作品を通して、海峡両岸に永遠の『愛と平和』のあかしを残したい。そして世の中の人に愛の共鳴を呼びかけたいのです」
2003年8月、世界に猛威をふるった新型肺炎SARSが終息してまもなく、郭さんは「愛と平和 極限陽光ラサへの旅」活動を行った。上海、香港、澳門、台湾からきた7人のサイクリストが上海から出発し、チベット自治区のラサまで全行程5000キロあまりを2カ月をかけて走破。ラサの大昭寺で行われた「幸せを祈る」大会に、1万人もの人々が集まり、世界に愛が満ちるように、人類が永遠に平和であるように、SARSが永遠に地球からなくなるようにと祈りをささげた。その間、彼らはまた、南京、武漢などの都市でチャリティーと寄付活動を行い、善意の寄金をすべて、SARSと闘い、SARSの終息のために貢献した人々やその家族に贈ったのである。 台湾の安定と繁栄は、一人ひとりの台湾ビジネスマンの利益にかかわっている。それはさらに海峡両岸の平和と安定にかかわっている。そのため、郭さんは台湾の情勢に対して、関心を強く持っている。台湾の総選挙を間近にひかえた2004年3月、真に人々の利益を考える指導者を選出するため、また両岸関係をともに良好な方向へと発展させるため、郭さんは大規模な「両岸の愛と平和 故郷に帰る旅」活動をまきおこした。2005年の春節(旧正月)には、大陸と台湾を直航便で結ぶ、台湾ビジネスマンのチャーター便就航が現実のものとなった。郭さんは、パブロ・ピカソの『平和の鳩』をもとにして、大胆な創意による『平和の鶏』を制作。それは、折しも今年が中華民族の伝統的な鶏(酉)年であること、また、両岸関係に春のいぶきを注ぐ「春節チャーター便」の就航が実現したことを表している。 尊敬するのはケ小平
郭承豊さんのオフィスビルの屋上には、生き生きとした猫の彫塑が屹立している。日暮れ時ともなるとキラキラと光り輝き、人々の目を奪っている。また、オフィスの各階には、さまざまな白猫、黒猫の作品がいっぱいに置かれている。
郭さんからすれば、ケ小平氏の「黒猫白猫論」は、有能な人材を使って効率を高めるという端的な名言である。このような通俗的なフレーズは、お堅い宣伝文句よりも訴える力がある。郭さんはそのフレーズを猫の絵に変え、さらに中国のイメージをそこに加えた。そうすることで、中国人が見ても、外国人が見てもよくわかる。 【ミニ資料】 ▲上海および周辺地区に駐在する台湾ビジネスマンは、30万人以上。北京および周辺地区の同ビジネスマンは約8万人、深シンには8万人あまり、成都には5万人あまりが駐在している。 ▲データによれば、2004年末までに台湾企業の大陸への投資項目はあわせて6万4626件、契約投資額は799億3500万ドル、実際に利用された金額は783億2000万ドルになる。 ▲現在、大陸で学ぶ台湾の学生は、4000人を超えるといわれる。短期研修を含めれば、2万人以上となる。台湾学生が学んでいる省・直轄市は、多い順に北京、上海、広東、福建である。 |
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