「窰洞」で蕎麦三昧

蕎麦粉で「碗タ」を作る高徳英さん

 陝西省呉旗県張坪村の農民である王佐金さん(49歳)は、妻の高徳英さんとの2人暮らし。教師となった娘はすでに結婚して家を離れ、21歳の息子も西安市の警察学校に通っていて、夏や冬の休みに帰省するだけだ。

 呉旗県は延安市の北西部にある。陝北(陝西省北部)の黄土高原に位置し、延安市からは曲がりくねった山道を車で3時間、山を2つ越える。途中、黄土高原の谷や山中の段々畑を一望することができ、その荒涼とした広大な光景に心が揺さぶられる。

蕎麦粉を使って作った各種の料理は、かつては村人たちの主な食糧であったが、今では遠方からやってくるお客をもてなす高級な健康食品となっている

 山道を走っていると、特色ある陝北住居「窰洞」(洞穴式住居)を随所に見かける。レンガや石製のものが多く、一つの住居は3〜5つの洞穴でできている。窰洞の門には更紗のカーテンがかかっていて、古風で素朴な図案と鮮やかな色彩が、黄土に明るい色を添えている。土製の窰洞もあるが、大方はもう古くなっていて、廃棄されていたり物置となっていたりする。

 時々、ロバに乗った当地の人に出会うが、ほとんどがお年寄り。若者はバイクや車が好きなようで、数台のカラフルな自動車の列とすれ違った。近くで結婚式があったのだろう。

 王さんの家も山の斜面にあり、4つの洞穴と2間ある平屋でできている。窰洞の木製の門や窓には緑色のペンキが塗られ、部屋の中には余計なものがなく、広々としていて清潔だ。

マントー風の「蕎麦油モ」

 遠くからやってきた私たちを見て、王さんは笑いながら言った。「蕎麦はいかがですか。ここ陝北の特産なんですよ。都市の人たちは、健康食品がお好きでしょう」。このとき、妻の高さんはすでに台所で準備を始めていた。

 2つ目の洞穴が台所となっていて、中は広くて明るい。2つ口の大きなかまどには白いタイルが敷かれており、かまど脇の壁には白地に青い花が描かれたタイルが貼ってある。台所は、火を焚き油や煙が出る場所だが、とても清潔で整っている。

 親切な王さん夫婦は、蕎麦を使って数種類の伝統料理を作ってくれた。

当地の農民が栽培しているウマゴヤシ(撮影・袁軍)

 「蕎麦碗トゥオ」は「涼粉」(緑豆で作ったところてんのような食品)に似ている。溶いた蕎麦粉をお碗の中に入れて鍋で蒸す。蒸しあがるまで、何度も鍋の蓋をあけてかきまわす。冷めて透明状になったら、お碗から出して適当な形に切り、ニンニクや唐辛子、からし、ゴマ油、塩、酢などの調味料であえて食べる。とてもさっぱりした口当たりだ。

 「ドゥオ蕎麺」(蕎麦きり)は呉旗県でもっとも有名な地方料理。練った蕎麦粉をしばらくねかせたあと、麺棒で直径約30センチの円形にのばし、刃の両端に柄がついた長い包丁を使って麺状に切る。細麺でも平麺でも、好みに合わせて作れる。切ったらゆでて、酸辣湯(酸味と辛味のあるスープ)の調味料と一緒に食べる。

 「圧ホーロー」はさらに独特な料理だ。鉄製のところてん突きのようなもので練った蕎麦粉を突き出して筋状にし、そのまま沸き立ったお湯の中に落としてゆでる。蕎麦粉を突き出すのは王さんの担当、高さんはてきぱきとゆで上がった麺をすくう。トマトと卵のあんかけスープと混ぜ、自家製の大根漬けを添えて食べると、本当においしい。「蕎麦を使った料理はまだたくさんあるのですが、時間がなくて全部は作れません」と高さんは話す。

健康食品として人気に

呉旗県の酢工場は、蕎麦を原料として食用酢を生産する

 蕎麦は陝北の特産の一つだ。王佐金さんによると、かつて、ここの農民の主食は蕎麦で、小麦や米を食べることはあまりなかったという。陝北の気候条件は蕎麦の生長に適していて、生産量も小麦より多い。「当時は、1ムー(6.67アール)の耕地で、蕎麦なら150キロ収穫できましたが、小麦はたったの50キロでした。よって、蕎麦粉は安く、小麦粉は高かったのです」と王さんは語る。

 これまで、都市の人々の大部分は、蕎麦殻の枕は知っていても、蕎麦を食べたことがなかった。今では、北京のスーパーマーケットにも蕎麦粉や蕎麦の乾麺を売っているが。

当地の伝統的なそば料理である「ドぅオ蕎面」

 専門家によると、蕎麦は人体に必要な多種の有益成分を含む。栄養が豊富なだけでなく、血管を軟らかくし、視力を守り、脳血管の出血を予防する作用がある。また、低カロリー食品のため、糖尿病や高血圧などの治療を補助する働きもある。蕎麦殻の枕にも、目を明るくし脳をすっきりさせる作用があり、李時珍(明末の医薬学者)の「明目薬枕」の主な原料は蕎麦殻だ。こういった保健効能により、蕎麦はますます人々に愛される食品となっている。

 西安市には、蕎麦料理を専門的に提供するレストラン「蕎麦園飯荘」がある。実は、このレストランの開業は日本と関係があるのだ。オーナの薛瑩巧さんは日本留学の経験があり、その際に日本の友人に蕎麦の会席料理をご馳走してもらった。陝北で生まれ育った薛さんは、故郷の農家で飢えをしのぐための雑穀だった蕎麦が、もてなしの料理になるなんて考えたこともなかった。さらに、そのときの蕎麦は自分の故郷から輸入されたものだと知り、大いに啓発された。そして、帰国後すぐに、蕎麦料理のレストランを開く準備を始めた。

 蕎麦園飯荘はすでに2つ目の店舗を開業した。科学的で丹精な創作によって、陝北の伝統的な蕎麦料理に新機軸を打ち出している。ここで作っているのは、蕎麦の煎餅(溶いた蕎麦粉を薄くのばして焼いたもの)や蕎麦油篷(蕎麦粉のマントー)、陝北攪団(蕎麦がきのようなもの)、蕎麦と山菜のマントーなど。伝統食品の特色を保ちながら、現代人の嗜好に合わせている。

 支配人の孟誠翔さんの紹介によると、このレストランには15、6種類の蕎麦料理がある。毎日お客が絶えず、80〜90%の席がいつもうまっている。次は、蕎麦の会席料理を提供したいと考えているそうだ。

蕎麦栽培をやめた農家

ヤギの毛がたくさん産出されるため、呉旗県には絨毯加工工場が設立された

 都市の人々は蕎麦を好んで食べるようになった。しかし、これまでずっと蕎麦を栽培してきた王佐金さんは、それをやめてしまった。

 呉旗県は、海抜1200〜1800メートルのところにあり、土地はやせていて自然条件も悪い。長年、荒地を開墾したり山でヤギの放牧を行ってきたため、草木は少なくなり、自然災害が頻繁に発生するようになった。

 そこで、1998年から「退耕還林」(開墾してできた耕地を再び林に戻す)政策を実施し始めた。耕地に草木を植えることで自然生態を取り戻すのだ。政府は8年間にわたり、食糧や現金を提供することによって農民の経済損失を補償すると約束した。

飼育したヤギの毛は高価格で売れるため、当地の農民は豊かになっていった

 王さんの住む張坪村には、もともと一人当たり12、3ムーの山地があったが、退耕還林の後、たったの2ムーになってしまった。村人たちは当時、「農民は先祖代々、自分たちの手で穀物を栽培してきたのに、お金を出して穀物を買わせるなんて……」と、政府の補償政策が本当に実行されるのか、心の中では疑っていた。しかし補償はすべて約束どおりで、収入はかつて穀物を栽培していたときよりも増え、農民たちは心から安心した。そしてこのときから、彼らは新しい方法で生活を営むようになった。

 蕎麦は、今では500グラム当たり1元以上で売れるが(かつてはたったの0.4元ぐらいだった)、王さんの家ではもう蕎麦を栽培していない。山の土地はやせているので、穀物を増産するには多くの労力や資金を投入しなくてはならず、収穫もあまり期待できない。苦労してもそんなに稼げないのだ。

 山地に労力をかけなくなった代わりに、近くの油田で道路工事や土地ならし、建築などを請け負い、そこに精力を注ぐようになった。今ではこの収入が一家の主な財源となり、山地ではジャガイモや豆、飼料用のトウモロコシやウマゴヤシなどを栽培しているだけ。食糧は、小麦粉でも蕎麦粉でも、市場で手に入れる。

 妻の高徳英さんは自宅で家事に専念しているが、豚やヤギの飼育は彼女が行う。これまで飼っていたヤギは全部売ってしまい、現在は2匹の豚しかいない。「新品種のヤギを買うつもりなのです。そのヤギを飼えば、収入も増えますから」とうれしそうに話す。

豊かになる新しい道

当地の沙棘の葉を使って生産された「沙棘茶」

 陝北地域では昔からヤギを飼ってきた。ヤギの肉や毛は、当地の農民の重要な財源だ。退耕還林の後、農民たちの損失を抑え、収入を増やすために、当地の牧畜管理部門は他の地域から優良な品種を導入した。そして雑交によって品種改良した後、良種のヤギを農民に売った。

 これまでのヤギは1匹から100〜150グラムのカシミヤしか取れなかったが、新品種のヤギからは600〜650グラム取れ、500グラム当たり120元以上で売れる。もし子ヤギを産んだら、1匹当たり150〜160元で売れる。新品種のヤギの飼育で得られる収入は、以前と比べると2倍以上になり、村の大きなヤギ飼育農家では、1年間の収入が5、6000元に達した。

 ヤギを飼育する農民たちはこのように収入が増えたため、県にヤギ肉や絨毯の加工工場を設立した。ヤギ肉加工工場は相当な規模となり、年間8万匹以上のヤギを買い付け、加工している。彼らが加工する「百里香」ブランドのヤギ肉は、広東省や上海市、河南省などへ出荷され、一部は香港や澳門まで運ばれる。

呉旗県で盛んに栽培されている沙棘(撮影・袁軍)

 絨毯工場は、当地で産出されたヤギの毛で各種のカーペットやタペストリーを作っている。年間120トンのヤギの毛を買い付け、総計約5600平方メートルに及ぶ絨毯を生産する。純毛ですべて手仕事の製品なので、北京市や内蒙古自治区、寧夏回族自治区、甘粛省などで売れ行きがいい。

 呉旗県には他にも農産物の加工企業がたくさんある。ウマゴヤシは当地の山間部にもともとあった野生の牧草だが、とてもいい飼料になる。牧畜管理部門は最近、アメリカ産の葉が大きなウマゴヤシなど優良な品種を導入して、農民にその種子や栽培技術を無償で提供した。さらに、良質な牧草の仕入れや加工、販売を行う関連企業を設立した。

 退耕還林の後、牧草の栽培を生業とするようになった農民は少なくない。ウマゴヤシは一度植えるだけで、毎年生長する。農民たちは企業の指導のもと、科学的に牧草の管理を行うようになった。毎年、5月から11月の間に2回収穫でき、1トン当たり400〜550元で企業に買い取ってもらう。中流農家でも、その年収は1万元に達した。

 退耕還林により、山間部に牧草を植えるようになったほか、昔から至るところにあった「沙棘」(クロウメモドキの一種)も上手に利用するようになった。沙棘は低木で、水土を保持し生態環境を改善してくれる。その実は栄養豊富で、薬用価値もある。また、間引きした枝や葉は発熱量が高い薪になる。政府は耕作をやめた土地に沙棘を栽培するよう指導し、南方の茶生産工場と協力して沙棘茶の工場を作った。そして、新鮮な沙棘の葉を仕入れ、特級の沙棘茶や保健茶を生産した。沙棘が持つ独特な保健作用のため、これらの製品は広く人気を博している。

西安の蕎麦園飯荘は専門的に蕎麦料理を提供する。都市の人々はこの種の健康食品に対して非常に興味を持っている。

 呉旗県の第一の特産である蕎麦にも、高付加価値の加工品がある。蕎麦を使って醸造した酢はとても香りが高い。蕎麦で作った酢飲料や栄養ドリンクは新しい健康飲料となった。現在、呉旗県の酢工場は年間5000トンの酢製品を生産し、国内の賞を何度も獲得している。また、乾麺や袋入りの蕎麦粉も、消費者に歓迎されている。

 農産物加工業と当地の栽培・飼育業は協調しながら発展し、農業の産業化を促進しただけでなく、退耕還林の後の農民に、収入を増やし続けることができる道を作った。

 



 ▽ 呉旗県は、戦国時代の名将・呉起がここに駐兵して国境を守っていたと伝えられていることから、古くは呉起鎮と呼ばれた。1935年10月19日、中央紅軍は呉起鎮に到着して陝北紅軍と合流し、二万五千里の長征を終結させた。その後、呉起は呉旗と名を変えた。

 ▽ 呉旗県は全国初の「退耕還林」のテスト県であり、1999年だけで、155万5000ムーの耕地を林に戻した。これまでの植樹造林面積は累計で145万5700ムー、整備された水土流失の土地面積は1271平方キロ。全県の森林被覆率は97年の19.2%から現在は49.6%まで向上した。

 ▽ 蕎麦の起源は中国にあり、紀元前5世紀の『神農書』には、蕎麦栽培に関する記載がある。野生の蕎麦は、中国の東北地域、青海・チベット高原、内蒙古高原、西南地域などに広く分布している。現在の主な栽培地は、西北、華北、西南地域などの標高が高く寒い山間部。陝西省では全省で蕎麦を栽培している。呉旗県の蕎麦栽培は600年余りの歴史があり、品質も良いので、「蕎麦の郷」と誉れが高い。

呉旗県特産のそばを原料とした各種の健康食品


  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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