文・写真/須藤みか
 
節電でスローライフを
 
 

 
35度を超えるとライトアップも中止となる

 でんきを消して、スローな夜を――。「百万人のキャンドルナイト」と銘打って、夏至と冬至には2時間電気を消してゆとりある生活を呼びかけるイベントがある。米国から始まって、オーストラリア経由で日本に入り、数年前から話題になっている。

期せずして スローな夜がやって来た

 時世に乗って、はからずもだがわたしもスローな夜を過ごすことになった。そう、停電です。

 夜9時過ぎ。日本では当たり前と享受していたことが、中国ではそうもいかず、不便を強いられることもあるが、それさえも愉しんでしまえば新たな発見がある…。そんな原稿を書いていたまさにその時、電気が消えた! そんなぁ、今日が締め切りだって言うのに。あと、もう少しだったのに。

 焦りはするのだが、こういうこともあろうかと、何年か前に買ったロウソクを出して、2本火をつけた。我ながら、落ち着いたもの。というのも、3日前にも昼間だったが3時間近くの停電を経験ずみだったからだ。ロウソクの灯りを頼りにしてパソコンの電力が残っているうちに書き上げたが、ADSLも電気がないから使えない。久しぶりのダイヤルアップで、原稿をやっとのことで送った。

夕涼みには、マイ腰掛を持参する

 ほっとしたところで、はて何をしようか――。原稿が終わったら、ウェブで調べ物をしようと思っていたけれど、パソコンの電池はそこまで持ちそうにない。テレビは見られないし、音楽も聴けない。昔の人はロウソクの灯りで本も読んだのだろうが、目も悪くなりそう。思いつくことはどれも電気を使うことばかりなのだ。手持ち無沙汰で、北京の友人へ長電話をした。こういう時の電話は始終会っている人ではなく、遠くにいる人に限る。いつもと違う柔らかい灯りは、人と人の距離を縮めるんだな。新しい店が出来ただの、交通渋滞しているだの、と聞いていると、北京の街の様子がぷかーんと頭に浮かんで来る。なんでもない話がやけに嬉しい。

不便もまた愉し

夕刊は、夕涼みしながら店先で

 そう言えば、初めて上海留学した1994年9月にも、同じようなことを思った。留学生寮で暮らし始めて2週間くらいの頃、寮全体の電気がぷつりと消えた。停電なんて一体いつ経験したのかも覚えていないから、非日常的空間の登場にわくわくした。ロウソクって中国語で何て言うんだっけ? 周囲に確認をしつつ買いに走った。

 あの時もやっぱり何もすることがなくて、誰かの部屋に数人で集まって酒盛りになった。ワインのコルクがうまく抜けなくて、コルクのカスが瓶に落ちた。思案して、珈琲のフィルターを使うことに。フィルターで漉した安ワインはなぜか、いつもよりも美味しく舌を転がった。何を話したのかはさっぱり覚えていないが、やっぱり他愛のない話だっただろう。でも、これから1年を共に過ごす、知り合ったばかりの留学生仲間との距離が近づいた気がした。留学生活というとなぜかこの日のことを思い出すのも、不便もまた愉しいことを教えてくれたからかも知れない。

 話をいまに戻すと、久しぶりだったはずのスローな夜はそれから5日後に再びやってきた。3回ともに、同じ敷地内のマンション2棟も、道をはさんだ向かいのマンションやお店にも煌煌と灯りがついているのだが、この棟だけが真っ暗。住居の管理所は、「供電局が誤って止めてしまった」と説明するけれど、3回も起こるかな。これも、電力不足の影響なのかしら。

夏の人気メニュー「ザリガニの辛味揚げ」、辛さが食欲をそそる

 ここ数年の上海の電力不足はご存知のとおり。製造業は稼働日を電力需要が少ない休日に振り替えるよう要請されているし、気温が35度を超えた日には上海名物の外灘のライトアップもお休みになる。一般家庭にまで電力制限がされることはなかったけれど、こうも短期間に停電を体験すると節電を心がけるようになる。

 考えてみれば、中国のお年寄りたちはスローライフの先駆者だ。昔から夏の夜は外で夕涼みをしてきた。折り畳み式や簡易なマイ腰掛を持参して、緩やかな時間を過ごす。

 「皆とお喋りもできるし、部屋にこもっているより気持ちもいいからね」

 そう言うお年寄りに、「節電もできますしね」と返すと、笑顔が上下に揺れた。

 

 
 

  すどうみか 復旦大学新聞学院修士課程修了。フリーランスライター。近著に、上海で働くさまざまな年代、職業の日本人十八人を描いた『上海で働く』(めこん刊)がある。  
     


  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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