特集二       人と人とが築く中日友好

同じ漢字から生じる危うさ

                            朱建栄 日本・東洋学園大学人文学部教授

1972年9月、田中首相は訪中し、周恩来総理と会談して、中日国交正常化が決まった(五洲伝播出版社提供)

 私は中学生の時から、日本と縁ができた。1972年、周恩来総理と田中角栄首相が握手し、中日国交正常化が実現したテレビ映像を見て、日本に興味を持った。翌年、初の日本語ラジオ講座が上海で開講した。私は待っていましたとばかり、その第1期生となった。

 文化大革命中、私は長江中洲にある崇明島の農場に「下放」された。毎晩、運命の不公平を嘆きながら日本語を自習した。3年後、「文革」後初めての大学統一試験に受かり、日本語学部に入った。

 大学での最初の授業で、先生が「中国人と日本語」についてこう言われたのを今でも忘れることができない。それは「中国人にとって日本語は、3日、勉強すれば半分わかる。しかし3年勉強しても、半分しかわからない」というものだった。

 漢字を多く使う日本語は、中国人なら大体の意味をすぐ理解できる。しかし、時間が経てば経つほど、中国と日本の文化や言語は完全に違うことに気づくのだ、という意味である。

 中日関係はいま、多くの問題に直面している。その構造的な原因は、急速に拡大する交流と相互依存、また一部の利益の衝突に対して、相互理解がはるかに追いつかないことにあると考える。互いに東洋人の顔をし、ともに漢字を使うため、いつの間にか、交流の前提である文化と思考様式の違いを忘れ、無意識に自分の物差しで相手を計り、そこから多くの誤解や行き違いが生じているのだ。

朱建栄さん(前列中央)(朱建栄さん提供)

  先日、日本のあるテレビ局の討論番組に参加した際、日本の政治家が、中国の教科書がいかに「反日的か」を説明しようとして、教科書の中にある「牢記歴史教訓」という言葉を取り上げた。そして「中国共産党は、反日の記憶を『牢獄』に入れるように頭に刻みこめと煽っている」と解説した。しかし、「牢記」というのは「しっかり覚える」という意味で、「反日」とはまったく関係がない。

 私には多くの日本人の友人がいるし、妻も日本人である。相互尊重、相互理解の精神で接すれば、必ず仲良くなることができる。中日両国間も、まず双方の相違を確認しあうことから始めるべきだろう。

 両国の間には、社会政治体制の違いのほか、先進国と途上国という発展段階の違いがある。また精密だが一点集中主義的な日本と、やや荒っぽいが巨視的な大陸的な中国という思考様式の違いもある。

 同時に、中日両国は、世界最大規模の経済関係になっており、しかも両国とも、覇権国家にはなり得ない。双方の協力があってこそ、はじめて東アジア共同体の推進ができるという共通利益と共同責任を有している。こうした大局観に立って2国間のさまざまな具体的問題を捉えなおすと、見方が変わる。感情的対立も避けられる。

 「大同小異」という言葉にも、中日の発想は異なる。日本語では「小異を捨てて大同につく」というが、中国語では「小異を残して大同につく」という。アジアや世界への責任を果たすという「大同」のため、一部の相違や対立を、時には「捨てる」覚悟もいれば、時にはそれを「残す」という発想が大切であろう。



  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。