頤和園の長廊画H 写真・文 魯忠民

 
 

   
 

関羽の荒療治

  三国時代(220〜265年)のこと、魏、蜀、呉の悪戦が続いていた。あるとき、関公(関羽、字は雲長)は曹操軍と対戦し、その右腕に毒矢を受けた。名医の華佗は関公の傷を診るなり、こう言った。「毒矢は骨まで突き刺さっている。治すのならば腕を柱に縛りつけ、小刀で肉を切り裂いて、骨をそいで毒をとる。恐くはないかね」

 関公は、馬良と碁を打って酒を何杯か重ねたあと、右腕をぐいと突きだした。華佗は鋭い小刀を取りだして、慣れた手つきで、毒矢の毒をすっかり除いた。周囲の者は青ざめていたが、関公だけが顔色も変えずに、碁を打っていたのだった。

 華佗は毒を取り除き、きれいにすると薬を塗って、傷口をピタリと縫いあわせた。関公はなんども華佗を「神医」とほめた。華佗は「関公のような強い人間は見たことがない。まさに天神なり」と、ほとほと感心したようすだった。

 
   
   
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北京の頤和園は、中国清代の離宮である。庭園にある長廊は、全長728メートル、世界でも最長のギャラリーと言われている。その梁の上には人物や山水、花鳥、建築など各種の彩色画が8000以上ある。なかでも人物画は中国の古典文学、歴史物語、神話伝説などから材を取って、描かれている。本誌では今月号から長廊の彩色画を1つずつ取り上げて、絵画に描かれた物語をご紹介していきたい。

 

   
 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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