関羽の荒療治
三国時代(220〜265年)のこと、魏、蜀、呉の悪戦が続いていた。あるとき、関公(関羽、字は雲長)は曹操軍と対戦し、その右腕に毒矢を受けた。名医の華佗は関公の傷を診るなり、こう言った。「毒矢は骨まで突き刺さっている。治すのならば腕を柱に縛りつけ、小刀で肉を切り裂いて、骨をそいで毒をとる。恐くはないかね」
関公は、馬良と碁を打って酒を何杯か重ねたあと、右腕をぐいと突きだした。華佗は鋭い小刀を取りだして、慣れた手つきで、毒矢の毒をすっかり除いた。周囲の者は青ざめていたが、関公だけが顔色も変えずに、碁を打っていたのだった。
華佗は毒を取り除き、きれいにすると薬を塗って、傷口をピタリと縫いあわせた。関公はなんども華佗を「神医」とほめた。華佗は「関公のような強い人間は見たことがない。まさに天神なり」と、ほとほと感心したようすだった。
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