【あの人 あの頃 あの話】H
北京放送元副編集長 李順然
音楽を聞くような秋の空

北京貴賓楼飯店

 色彩の魔術師、梅原竜三郎(1888〜1986年)は、北京を6回訪れている。そして、多くの傑作を残したが、6回の訪問のうち5回は、秋の北京だった。

 美しいものしか描かないという梅原は、北京の何に美しさを感じたのだろうか。おそらく北京の秋、とりわけその空だったと思う。梅原は、北京の秋の空についてこう書いている。

 「秋の高い空に興味をもった。何だか音楽を聞いているような空だった」

 秋の陽に輝く紫禁城の黄色の瑠璃瓦や赤い壁、天壇の青い瑠璃瓦、森の都の緑……。梅原を魅了したこれらすべても、バックの秋の空に添えられた「点」のような気さえしてくる。傑作中の傑作だといわれる『北京秋天』にしろ、『雲中天壇』にしろ、みなそうだ。

 梅原自身、北京の秋の景物についてこう書いている。

 「北京の空は色が鮮やかで、実にしばしば美しい雲がたっている所だ。朝なのだが、黄色の屋根が輝いて、赤い壁や木の緑との色の対照が強かった」

 こうした北京の空の下での暮らしを梅原は「顧みると今日までの自分の生活のうちで最も楽しく、充実した機会であった」と語っている。

 ところで、北京の空を観る最高の場所はどこだろうか。私は迷うことなく、明の永楽18年(1420年)に造営された天壇だと答える。

梅原竜三郎画伯が描いた天壇

 世界遺産にも登録されている天壇は、もともと天の子である天子(皇帝)が、天を祀るところだった。形、色、音……空を仰ぎみるすべての舞台装置が整っているのだ。静かな天壇のどの一角に立っても、仰ぎみると天、天、天である。さえぎるものは何もない。もちろん、梅原はここを何度も訪れ、四方に広がる空を楽しんでいる。

 その次に挙げたいのは、同じく明代に建てられた古観象台(古代天文台)だ。いまでは、中国古代天文儀器博物館となって一般公開されているが、ホテル長富宮からも歩いて5、6分という、北京の中心部にある。その一角に煉瓦を積んだ高台があり、青銅製の古代天文儀器が並べられている。

 この高台から観る空も素晴らしい。なにしろここは、数百年にわたって北京の空を見守って来たところであり、また文人遊客の見晴台ともなってきたところなのだ。梅原もたぶん足を運んだところだと思う。

 3番目となると、いろいろのところが頭に浮かぶが、かつて梅原が好んで泊まったホテル北京飯店の西隣りに建てられた、北京貴賓楼飯店高層の西向きの部屋を挙げたい。

 この部屋の窓からは、画面の半分以上に北京の空を描いた梅原の名作『北京秋天』と同じ構図の風景を目にすることができる。この絵にも描かれている遥か西の彼方に連なる山脈の見える日が少なくなっているのが残念だが……。

 ちなみに、梅原は北京飯店の思い出を「北京飯店五階の大きな窓から長安街や紫禁城を眺められる一室を占めることが出来たのは幸いだった」と綴っている。紫禁城が見えたと言っているところからみて、西側に窓のある部屋だったのだろう。



 
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