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通恵運河が通州区で大運河と合流する地点に位置する「燃灯塔」 |
遅い午後の太陽が大運河にきらめき、岸辺には輝く冬小麦の緑野が広がっていた。間もなく深い影が現れ始めた。これこそ私が待ち望んでいたものだった。通恵運河が北京から真東に流れて通州区で大運河と合流する地点に、有名な仏塔「燃灯塔」が千年の永きにわたって立っている。その影もまた名高く、明代の詩にこう描写されている。「晴天、燃灯塔影は5里を駆け、白河を渡る」と。
この詩には探究心をそそるものがある。1996年11月12日はさわやかに晴れ、遅い午後の影はくっきりとしていた。運河の西岸に仏塔を探しあてても、その影を正確に探しあてられるとは限らない。私は何枚も間違った写真を撮ってしまった。次々に並んで現れる影を追いかけて徐々に下り、やっと燃灯塔の本当の影を見つけた。それは群を抜いて突き出ていた。
4時40分、塔影は長く伸びた。まず道路沿いに並んだ家々を横切り、ついで白菜を収穫している野菜畑をかすめた。やがて大運河を渡り、その輪郭線は植えたばかりの冬小麦の野にくっきりと映った。それはさながら緑のカーペットに置かれた黒い切り絵であった。最後に塔影の先端は、遠く白河の岸辺に並んで植えられた樹々に達した。明代の詩は正しかった! わずか数分のうちにすべての影は最大限の長さに達し、やがて太陽が西の山々に消えゆくにつれて、ゆっくりともの言わぬ形状は闇の中に溶けていった4時46分、塔影は去った。黒い影を追いかける私は狂っていると思われただろう。ましてそのうつろな影をなんとか写真に収めようというのだ。しかし、この経験は私をますます興奮させた。私は明代の詩を実感し、そのイメージを証明したのである。
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「燃灯塔」の遠景 |
光の最後の輝きのなかで、鳩の群れが古塔の尖端の周囲を隊列を組んで滑空し、羽根に落日がきらきらと反射した。私はもう1つの重要な事実を思い出した。塔は北京市にとって1種の洪水予報の役割を果たしていたのだ。白河の河水が実際に塔の尖端に達するような事態になれば、そのとき初めて高地にある首都も危険にさらされる。
この塔は過去仏「燃灯仏」に捧げられたものである。この仏は釈尊の師であっただけではなく、「定光仏(永遠の光)」としても知られていた。したがってこの塔が、2つの運河を往来するはしけや舟にとって、灯台の役割を果たしていたのは理にかなっている。
へさきに魚網を積んだ小舟が現れ、漁師が長い櫂を前後に操っていた。そのリズミカルな手さばきには、何世紀にもわたって身に付けてきた優雅さがあった。小舟は短くカーブして小さいほうの運河に入り、北京の方向に向かった。まさにその瞬間、燃灯塔に電灯がともり、闇を増す水路を照らした。
13層8角の塔の軒に下がる無数の鈴の柔らかな響きが、この場所にえも言われぬ安らぎを与えた。昔、仏塔に燃える灯りは路を行く旅人を迎え、さらに鈴の音は歓迎の響きとなったことだろう。そして塔影は、それが最も長くなる瞬間を捕らえることのできた幸運な人々に忘れ難い印象を与えたことだろう。(訳・小池晴子)
五洲伝播出版社の『古き北京との出会い』より
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