特集2       少数民族の「双語」人材を育てる
横堀克己 侯若虹 賈秋雅=文  于明新 横堀克己=写真

   新疆ウイグル自治区は、47の民族が暮らす多民族地域である。最大の民族はウイグル族で、約890万人、人口の46%を占めている。次いで漢族は約770万人で、人口の40%、さらにカザフ族、回族、キルギス族などの主な民族から成っている。

   各民族が互いに理解し合い、共生していくことが新疆の最大の課題である。そのためには、言葉が通じ合うことが何よりも大切だ。近年、市場経済の発展で、中国の各地との交流も盛んになり、中国語を話すことのできる少数民族の人材育成が急がれている。

生徒8人で始まった学校

佰什坎双語小学校で学ぶウイグル族の子どもたち

   「民族間の相互理解を進めるためには、民族の言葉だけではなく、中国語も自由に操れる少数民族の人材をもっと育てる必要がある。中国語がしゃべれれば、少数民族の子どもにとって進学にも就職にも有利だ」――こう考えた1人の漢族の先生がいる。黄明先生である。

   黄先生はもともとは、新疆・カシュガル地区のヤルカンド(莎車)県ベクサント(佰什坎)という鎮にある佰什坎中心小学校に勤務していた。ヤルカンドはタクラマカン砂漠に接し、パミール高原や崑崙山脈にも近い。シルクロードのオアシス国家として栄えた2000年の歴史を持つが、今はウイグル族が住む鄙びた農牧地区である。

   8年前、黄先生は、この小学校の「双語クラス」を独立させて、「佰什坎双語小学校」を誕生させた。「双語」とは民族語(この地区はウイグル語)と中国語を指す。ウイグル族の学校ではウイグル語で、漢族の学校では中国語で授業が行われているのに対し、「双語」教育は、この2つの言語で、バイリンガルの子どもを育てるのが目的だ。

   学校創立時、生徒はわずか8人、教師は2人だった。2000年から正式に「佰什坎双語小学校」となり、黄先生が校長となって、もっぱら「双語」での教育が始まった。

渋る親を説得   

   しかし、土で造られた校舎はボロボロ。設備もほとんどなく、生徒は増えなかった。そこで先生たちは、村から村へ、生徒を募集しに歩いた。時には百キロ以上離れた村にまで出向いた。

   カシュガル地区は圧倒的多数がウイグル族である。ベクサント鎮は99%を占める。しかし、彼らの生活は貧しく、子どもたちを学校にやることさえ渋る親も多かった。2人の先生は、畑に出て、いっしょに働きながら親たちを説得した。

   2人の先生の理想に共鳴する先生が出てきた。給料なしで働き始めた。若い女の先生は、出産を何回も延期した。恋愛中の男の先生は、ガールフレンドに見捨てられた。

   こうした努力が次第に実り、親たちは双語学校に子どもを通わせるようになった。子どもは家に帰ると、「小先生」となり、親たちに中国語を教えた。

   漢族や他の少数民族と交流するうえで、中国語は親たちにとっても必要性が高まっている。中国語のテレビや映画を見ることもできる。親たちは進んで子どもを双語学校に通わせるようになり、牛や羊を売って学校の校舎を建て直した。食糧やテレビも贈られてきた。

   この小学校創立のドキュメンタリーが昨年、中国中央テレビ(CCTV)の『新聞調査』という番組で放送された。すると全国から多額の寄付金が寄せられた。ボランティアの先生もやって来た。学校は寄付金で、コンピューター教室などをつくり、貧しい生徒への資金援助が実現した。

   いまや佰什坎双語小学校は、生徒405人、正規の先生16人、新校舎の面積は千百平方メートルで、寄宿舎を持つ、中国語の授業を主とするウイグル族の堂々たる学校になった。

望まれる9年制一貫教育

   佰什坎双語小学校の成功に刺激されて、カシュガル地区では雨後の筍のように双語教育の小学校ができてきた。マラルウェシ(巴楚)県では、1200万元を投資して、今年秋には総合校舎と学生寮、教員宿舎を持つ双語学校が発足する。カシュガル市にも全寮制の双語学校がつくられた。

   しかし、新しい問題も起こってきた。ウルムチ市など新疆各地の初等中学に進学した佰什坎双語小学校の7人の生徒たちは、みな成績がよく、活躍しているのに、ヤルカンド県第2中学に進学した生徒は、途中で落後してしまったというのだ。遠隔地の初等中学は全寮制だが、県二中は通学制なので、放課後、生徒が夜遊びしてしまうのが原因の1つらしい。

   これを防ぐためにも「農牧地区に、小学校と初等中学を合わせた9年制一貫教育の全寮制の双語学校が必要だ」と黄校長はいう。

   佰什坎双語小学校はここまで発展したが、教師の給料が安いこと、生徒の通学距離が長く、交通事故の心配があることなど、なお解決すべき問題が山積している、と黄校長は指摘している。

新疆からの「国内留学生」

500人以上の新疆からの生徒を受け入れているロ河中学

  北京の中心部から東へ約10キロ、通州区に、学校創立138年という歴史を持つ高級中学校(日本の高校)がある。北京ロ河中学である。広い緑の校庭に20世紀初頭に建てられた校舎群が点在し、落ち着いた雰囲気のこの学校は、成績優秀な生徒が集まる重点学校の1つだ。

   しかし、この学校が、他の学校と異なるところが1つある。それはここで学ぶ2800人の生徒の中に、500人以上も、新疆ウイグル自治区からやって来た少数民族の生徒がいて、漢族の生徒といっしょに学んでいることである。

西部大開発の一環

   新疆から中国の各地にやって来て学ぶ「国内留学生」の制度は、実は国の「西部大開発」の事業として始まった。「西部大開発」といえば、さまざまな経済発展計画を思い浮かべるが、遅れた西部地区の教育支援も重要な戦略の一部なのである。

   2000年から、教育部はこの制度をスタートさせた。当初は、全国12の都市にある15の学校が、毎年、千人の新疆からの留学生を受け入れたが、2002年からは、留学生の数が1540人に拡大された。現在、受け入れている都市は、北京、上海、天津、南京、杭州、広州、深セン、大連、青島、寧波、蘇州、無錫である。

   留学生は、新疆の教育部門が選抜し、受け入れ都市に連れて行く。選抜は、試験のほか、新疆各地区ごとに割り当てがあり、遠隔地や僻地、貧困地域の子どもたちも選ばれるチャンスが与えられている。また、農牧民の子弟が80%を占めるよう規定されている。

   新疆の初級中学(日本の中学)を卒業して留学してきた子どもたちは、中国語がうまく話せないうえ、学力にも差がある。このため、最初の1年間は予科に入って学ばなければならない。だから彼らの高校生活は、普通より1年長い4年間である。

   その間の費用は、生活費や学費などすべて学校所在地の都市が負担する。生徒1人当たり毎年、8000〜1万2000元かかる。

   彼らは高級中学を卒業すると、全国統一試験に参加しなければならない。しかし少数民族は一定の合格ラインと枠があり、できるだけ多くの少数民族の子弟が大学に入学できるように、教育部が規定を設けている。

漢族と同じクラスで学ぶ

新年を迎える前に、学校で餃子を包む新疆からの「国内留学生」たち(ロ河中学提供)

   現在、ロ河中学で学んでいる新疆からの留学生は、すべて少数民族で、ウイグル族が一番多く、カザフ族、ウズベク族、キルギス族、回族の生徒もいる。入学してきたときは、60%の生徒が中国語を話せない。

   予科の1年間で、中国語の水準を高め、初級中学での学習の不足分を補い、漢族の生徒といっしょに学べるようにする。そして高級中学入学後は、14のクラスに分散して入れられる。だから各クラスには8〜10人の新疆からの生徒がいることになる。こうすることによって新疆の子どもたちに、中国語を向上させる環境が与えられるとともに、漢族の子供たちと友達になることもできる。

    新疆からの留学生を担当しているロ河中学の張洪志副校長は、こうしたやり方が、異なる民族の子どもたちの団結に有利である、という。「少数民族の子どもたちは性格がややせっかちで、自尊心は強い。予科のクラスでは、クラス間の綱引き競技の勝ち負けをめぐって喧嘩することもありました。高級中学のクラスでは、子どもたちの間でもめごとがあれば、先生たちが、事実に基づいて問題を解決しています」と言う。

    しかし、16歳になったばかりの子どもが、初めて父母や故郷と遠く離れて暮らすのだから、生活面でも精神面でもいろいろ、困ったことに遭遇するのは避けられない。とくに、少数民族の子どもたちはほとんどがイスラム教徒であり、豚肉は食べないなど、さまざまな制約がある。このため学校側は、教職員食堂を改修し、新しい厨房施設を入れてイスラム食堂を作った。ここで、特別に招かれた二人のウイグル族のコックが腕を振るい、子どもたちのために郷土料理を作っている。

   また、子どもたちは学校内でも、自分たちの民族的習慣を持ち続けることが許されている。イスラムの祭日であるラマダン(断食月)明けの「開斎節」や「クルバーン節(犠牲祭)」を、校内で楽しく過すことができる。また、学校側は新疆側と協議し、従来、2年に1回だった里帰りを、毎年の夏休みとすることにした。その費用の半分は、学校側が負担する。

    しかし、勉強の面での重圧は大きい。新疆の、特に僻地の教育水準は、かなり低い。重点中学であるロ河中学の生徒は、成績優秀な生徒ばかりだから、高等中学に入って最初の半年は、新疆の子どもたちにとってついてゆくのは大変だ。そこで先生たちは、彼らを励まし、毎週土曜日に補講の授業を行っている。

   こうした努力が実って、ロ河中学で学んだ少数民族の卒業生は、98%が大学に進学した。そのうち半数は、北京の大学に入り、北京に住んでいる。卒業生が母校に帰ってくる「返校日」やイスラムの祭りの日には、彼らはみな帰ってきて、里帰りの気分を味わっている。

相互理解で開かれる将来

「新疆留学生」担当の張洪志副校長

   少数民族と漢族の生徒が机を並べて学ぶことによって、目に見えない影響が出ている、と張副校長はいう。少数民族の子どもたちは次第に視野が広がり、自分の考えを大胆に表現することができるようになった。漢族の生徒たちも、新疆に関心を持ち始め、親しみを持つようになった。また、新疆の生徒たちが歌や踊りに秀でているのを、漢族の生徒は最初、それを見ているばかりだったが、次第にその輪の中に入って行くようになった。

   教育部の規定によると、彼らは大学を卒業したあと、新疆に帰って5年間、勤務しなくてはならない。しかし自治区の指導者たちは、彼らが新疆のために、中国の各省市で活躍することを望むと言っている。

   また教育部は、この制度を拡大して毎年3115人にし、さらに2007年までに5000人にする方針だ。受け入れる都市も24に拡大される。

   4年間の「国内留学」を終えたウイグルの生徒たちは、知識も広がり、自信もつく。中国語は、地方の訛りがない「普通語」だから、これを使って、多くの人々と交際できるようになる。

   卒業後、さらに大学教育を受け、専門知識を身につければ、将来、どんな職業に就こうと、自在に対応できる。中国国内のどこでも働くことができ、どの民族とも理解し合うことができるようになるのだ。

   少数民族の青年たちに教育の機会が与えられたことは、「彼ら自身の人生にとっても、また新疆の将来にとっても大きな意義があることだ」と張副校長は言っている。



 
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